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2004.05.14

「知る権利」と「プライバシー」 [コラム]

 皆さん、こんにちは。木村剛です。毎週金曜日恒例のコラムの日です。商売柄、マスコミとのおつきあいは色々とありますが、最後の牛丼大追跡や鳥インフルエンザ狂騒記など必要以上に過度な演出がみられるケースが多くなっているような気がします。最近では、公的年金に関する「未納」問題への執着が異常です。その結果として、問題の本質からドンドン離れているように思われてなりません。
 また最近では、プライバシー情報の漏洩について、企業の管理体制の不備を叩く記事が少なからず見られますが、現在問題となっている「未納」の有無などは明らかなプライバシー情報であるような感じもしますし(そういえば、辞任した福田前官房長官もそうおっじゃっていましたなあ)、この間も、田中真紀子元外相の長女の離婚記事を巡る出版差し止め事件で「報道の自由」と「プライバシー保護」という問題も提起されていました。
 そこで、今日は、情報を公開することを生業とするマスコミのプライバシーの取扱いについて、日頃感じるところを書いてみたいと思います。

< 東京高裁「週刊文春の出版禁止取り消し」(Fuji Sankei Business i.)>http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/art-20040331224442-EZLXUUHHTG.nwc


絵空事ではない「マトリックス」の世界

 映画「マトリックス」に詳しい方も多いと思うが、拙い私の理解では、「マトリックス」とは、人工知能という「機械」が作り出す仮想現実に「人間」が支配される世界で、人間が機械に監視されていることに気づき、覚醒し、人間としてもう一度やり直すために監視者である人工知能と戦う生き様を描いた作品といえると思う。映画では、果たして人間がみている現実が本当の真実なのか、また、人間は現実の世界を知るということの苦痛に耐えられるのかとか、あるいは、監視されたままの方が幸せなのではないかという問いかけを発しているようにも感じられる。
 このような問いかけは、「マトリックス」だけに限らず、多くの映画や小説でテーマとして採り上げられて続けてきた。イギリスでは昨年来、作家ジョージ・オーウェルの生誕100年を機に、小説「1984」が舞台で復活上演されるようになったという。1914年に書かれた小説「1984」では、ビッグ・ブラザーという政治的権力がいかに全体主義社会を維持するかが描かれている。
 至るところに監視スクリーンが設置され、全ての言動や表情が管理・統制される世界。権力に歯向かえば人々は逮捕され、再教育あるいは拷問を受け、改善の見込みがなければ抹殺されもする。要するに、「プライバシー」のない世界だ。
オーウェル劇の復活は、オーウェル生誕100年ということのみならず、イギリス国内でテロリズムと犯罪への対策強化の一環として監視体制を強化する政府の動きに対応して、人々が本当の「プライバシー」の意味を再考し始めている証左として興味深い。
 じつは、知らない間に監視されているという状況は、すでにわれわれの生活の中では防犯カメラなどで日常的なものとなっている。企業が従業員の電子メールやウェブ閲覧状況を監視するということも、いまや常識となりつつある。インターネットでのオンライン購入履歴は消費者の「プライバシー」に関する情報で溢れ、例えば、こっそりある商品を買ったつもりでも、いつの間にか情報がどこかに漏れて、アクセスしたこともない別の会社から同様の商品のダイレクトメールが届くこともある。
 オンライン購入を通じて、あるウェブサイトへアクセスしたという個人のアクセス情報はそのサイトの広告収入として換金されているようなもので、今や「プライバシー」は売買対象となっている観がある。
 本来「プライバシー」という言葉は、一般に、個人の決断に政府を干渉させない権利、私生活をみだりに公開されない法的保障ないし権利のことを指す。要は、他人に知られたくない、一人で放っておいてもらいたいと感じる情報領域のことである。
 もっともわが国では、「プライバシー」という語感にフィットするうまい日本語がない。実際、家には本名で表札を掲げ、家族全員の名前を掲げる場合も多い。名前、住所、電話番号などの個人情報は電話帳や学校のクラス名簿・OB会名簿などに堂々と掲載されている。会員制組織に入会する際に、何の抵抗もなく名前、住所、電話番号からクレジットカード番号まで記入したりする。要するに、「プライバシー」には鈍感なお国柄なのだ。
 このような現実の中においては、わが国における「プライバシー」とは一体何なのか、という根本的な定義をクリアしておかなければ、生産的な議論ができないのではないかという危惧を感じる。

「知る権利」とプライバシーとのバランス

 いまマスコミは、企業の顧客情報漏洩を問題視して、連日その不始末を書きたてている。その記事を読んでいると、「そのとおりだ」と思う一方で、「でも、プライバシー保護の必要性を感じているマスコミ人は本当にいるのだろうか」と疑念を持ったりもする。
 というのも、「プライバシー」の重要性を唱えているマスコミ自身が「プライバシー」の保護に一番鈍感だったりするからだ。私自身、竹中プランの騒動のときに、ある週刊誌に自宅の写真を撮られたため、不審な男たちが近所を徘徊するようになり、万が一のことを考えて、家族の引越しを余儀なくさせられたという苦い経験を持っている。私の自宅を公にさらすことに何の意味があるのか、全く理解不可能だ。個人的には、あのときの引越関連費用を支払ってもらいたいと今でも恨みに思っている。

 「プライバシー」とは何か?
 護られるべき「プライバシー」とはどういうものか?
 報道されても致し方ない「プライバシー」はどこまでなのか?
 国民の「知る権利」と「プライバシー」のバランスはどのように考えるべきなのか?

そういうことをもっと真剣に論じるべきなのではないだろうか。そうすれば、わが国におけるマスコミ報道というものも、本物のジャーナリズムなのか、それとも単なるノゾキ趣味なのかが判然としてくるに違いない。そうなると、3月に起きた田中真紀子元外相の長女に関する週刊文春の差し止め事件についても整然と理解することができるようになるだろう。現在のように、「顧客情報の流出=プライバシーの侵害」という短絡的な報道ばかりが蔓延してしまうと、物事の本質をわきまえないままで、将来の役に立たない低レベルの評論が蔓延するだけなのではないか。
 週刊文春の差し止め事件について、少なからぬマスコミは、田中真紀子氏の長女の離婚問題を「プライバシー権侵害」ではなく、「知る権利」あるいは「表現の自由」だと主張している。田中真紀子氏長女の訴訟における東京高裁決定は、「出版の事前差し止めは認められない」としたものの、「記事は私人にすぎない田中元外相の長女らの私事を、公共の利害に関する事項にかかるものと解することはできず、また専ら公益を図る目的もないでないことが明白」として、文春側の「プライバシー」侵害を明白に認めた。
 いくら元外相の政治家だとはいえ、その長女の「プライバシー」を暴くことが「表現の自由」だと本当に主張できるものなのかどうなのか。この問題については、一家言持っている専門家がそれこそ山ほどいるので深入りするつもりはないが、普通の感覚で言えば、マスコミが「知る権利」を主張して明らかにすべき事実は、重箱の隅をつつくような個人の離婚問題などではなく、公的年金の根本問題などのより重要な問題なのではあるまいか。私は、それが、一般市民の偽らざる気持ちだと思う。
 本来なら「知る権利」の本質とは何かということを真っ先に問うべき立場にあるわが国のマスコミは、政治家の子女の離婚問題をほじくりかえすとか、年金の未納問題ばかりを追い掛け回すという、本質から外れた「プライバシー」の覗き見趣味を発揮しているだけなのではあるまいか。

「本物のプライバシー」とは何か?

 先日、有名な新興大企業を率いている、ある創業社長にお会いした。古ぼけたペンシルビル3階のみすぼらしい社長室に通された私は、この堂々たるみすぼらしさに、逆に、この創業社長の隆々たる自信を感じさせられた。1時間に亘り色々と経営についてお話をうかがったのだが、中でも圧倒されたのは「プライバシー」の秘匿に関する部分だった。
 まずこの社長は、自分の写真を撮らせない。マスコミのインタビューにも絶対に応じない。「とにかく目立たないようにしている」と言う(私の場合、完全に失格だ!)。都内に5つほど自宅を構えているが、それぞれ別人の名前をポストに掲示している。他人になりすますわけだ。ガスや水道そして電話代も自分の名義では支払っていない。「他人になりすますことによる弊害は何もない」と断言していたのが印象的だった。
 さらに驚いたのは、自分の子供たちに対しても、自分が社長であることは教えないという。「山の別荘によく行っているから、子供たちはキコリだとでも思っているんじゃないか」と笑っていた。「情報というものは、意外に子供たちから洩れるから気をつけたほうがいい」ということのようだ。子供たちが中学生になって分別がつくようになってから、自分が社長であることや仕事の内容を教えるのだという。これらは、誘拐を未然に防ぐために編み出した、この創業社長なりの実践的な知恵なのだ。
 一言で顧客情報といっても、財産の金額や罹っている病気などという本当に重大なプライバシーに関わるものから、「名前と住所と電話番号という基本セット」にとどまるものまで様々である。そして、現在マスコミに報道されている顧客情報の漏洩においては、「名前と住所と電話番号という基本セット」に過ぎない場合も多い。無論、それが問題ではないというつもりはない。先ほどご紹介した創業社長であれば、それらの「基本セット」は間違いなく「プライバシー」であろう。何しろ本人は、その情報を知られないために、涙ぐましい努力を傾けているからだ。
 しかし普通の人々には、この創業社長ほどの切迫感はあるまい。何かに入会するときに、「住所や電話番号は書かない」と駄々を捏ねる人の方が珍しいと思うし、名簿作りに協力しないと村八分になるかもしれない。友達同士でも、「あいつの電話番号知ってる?」「ああ、090-XXXX-XXXXだよ」「サンキュー」と会話しているのではないか。「あいつの電話番号は、あいつのプライバシーだから、俺からお前には教えられない」などという律儀な人は何人いるだろう。そういう風に考えていくと、ますます「プライバシーとは何か」という問題に囚われて悩んでしまいそうだ。
 マスコミは「情報」を公開することが生業である。そうであれば、自らの職業において極めて重要な要素となっている「情報」というものについて、もっとセンシティブでプロフェッショナルな扱いをすべきなのではないか。少なくとも、護られるべきプライバシー情報と、公開されてもよいプライバシー情報と、公開が前提となるパブリック情報という、それぞれの情報の範囲を明確に意識した報道を求めたい。
そして、「私人にすぎない田中元外相の長女らの私事」や「未納何十兄弟がどうした」などではなく、本当に「公共の利害に関する事項にかかるもの」や「専ら公益を図る目的」の記事を読ませていただきたいと思う。

2004 05 14 [08. メディア/広告の将来を占う] | 固定リンク

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