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皆さん、こんにちは。木村剛です。このところ、「年金改革法案見直し運動」(「UGUBLO」さんの命名による)にハマッテしまっていますが、「チップを弾むから勇気を分けてくれないか」さんがいみじくも指摘してくれたように、「ゴー様も年金問題ばかりに関わっているワケにもいかず(本業は疎かにできません)」というのはおっしゃるとおりですし、「珠丸の覚書」さんからも「たまには休んでくださいね」という優しいお言葉もいただきました。
そこで、助っ人を広く公募することにしました。5月24日に、公的年金の専門家と呼ばれている方々に下記の依頼状をEメールしたところです。
拝啓、□□□□様におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。いきなりEメールを差し上げる無礼をお許しください。
さて、現在、年金改革法案が議論されておりますが、国民的な関心事であるにもかかわらず、年金計算のための仮定条件の現実性ばかりが討議され、肝心の生データが国民に開示されていないことを極めて残念に思います。国会における議論もどちらかと言えば、互いの揚げ足取りに終始しているなど、国民としては甚だ遺憾な状況となっております。
本来であれば、厚生労働省が試算を開示するために用いたあらゆる生データや試算のためのプログラムを全面的に開示し、国会の中に「年金改革小委員会」を設けて、与野党の代表が外部専門家の識見をも入れつつ、国民がみている下で最善の処方箋を探るべきと考えますが、私が情報公開法に基づいて、「公的年金に関して、公表している試算において使用されている生データ及び計算プログラムのすべて」を開示するように、坂口力厚生労働大臣に対して「行政文書開示請求書」を提出いたしましたところ、厚生労働省から何らかのデータが出てくる可能性がでてまいりました。
そこで、厚生労働省からデータが出てきた場合には、可及的速やかにお渡しいたしますので、あるべき年金制度を検討するために現状分析のお骨折りをいただきたく、お願い申し上げる次第です。あるいは、「こういう生データもしくはプログラムがあれば分析できる」ということでございましたら、具体的なご指示をいただければ、私の方から厚生労働省に公開請求いたしますので、お知恵をいただければ幸いです。 末筆になりますが、□□□□様が、今後一段と公的年金改革に対してご尽力されることを心より祈念しております。
平成16年5月24日
KFi代表
木村 剛
そしたら何と! 複数の専門家の方々から協力しても良いというお返事をいただきました。ありがとうございます。まだまだ、我らが日本も捨てたものではないのかもしれません。例えば、年金研究の第一人者として知られる高山憲之・一橋大学教授からは、下記のメールをいただきました。ご多忙であるにもかかわらず、迅速な対応をいただき感謝に耐えません。
メール、拝受いたしました。
データ入手につき、まず最大限の敬意を申し上げます。
データは、磁気媒体(CD-ROMなど)およびハードコピーの2種類で入手なさっていただきたく存じます。
磁気媒体の場合、新たにデータの入力をする必要がなくなります。
ハードコピーはデータの内容をざっと確認するのに便利です。データを入手しないと、はっきりしたことは申し上げられませんが、膨大なデータとなっているはずです。
データの読み込みと解読にそれなりに時間がかかり、いつまでに何をどこまでできるかについては、現段階ではお約束をしかねます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
高山憲之
そのほか、「年金大改革」という好著を著した日本総合研究所の西沢和彦氏にもご協力をいただけそうです。本当に強力な助っ人が現れたという感じがします。じつは、そういうこともあったものですから、5月27日のゴーログ「厚労省から電話がありました!」において、紙だけではなくて、CD-ROMによるデータ開示もお願いしているわけです。
残念ながら現実的には、「nodaira's Blog」さんが的確に分析しているように、紙での開示という可能性が高いわけですが、国民のサイドから言えば、CD-ROMで開示してはならないという法律があるわけでもなく、本当に厚労省が自らの潔白をデータで示したいと思うのであれば、その程度のものは出て来て当然という思いもあるわけです。
「アホが見ーるーブタのケーツー」さんが指摘しているように、「出て来てからのお楽しみだが、モノによってはもう一度違う切り口のデータを開示請求する、というフェーズも充分あり得ると考えておいた方がイイかもしれませんぜ」ということになるかもしれませんが、そのときの対応で少なくとも厚生労働省の誠意を推し量ることはできるでしょう。そして、それは「私たちが厚生労働省が設計している年金制度を信じてよいのかどうか」という点を判断するときに、極めて重要な材料になるはずです。そういう意味で、重要なのは生データだけではなく、生データを出すときの厚生労働省のスタンスであろうと私は考えています。
国民の多くは、「独善概論」さんが主張しているように「漠然とした(例えば、日本の明るい未来をつくります-自由で安心な社会の実現をめざして-いのち輝く社会をめざして、、)Imageでは、もう僕は支持できないということだ」ということを感じているんだと思うんです。もう、厚生労働省が「素晴らしい年金制度をつくります」と言い放つだけでは、国民はついてこないのです。厚生労働省が自らの信用を復活させるためには、まずは生データを正直に、しかも、国民にとって分かりやすく使いやすいように提供することから始めなければならない、と私は思っています。
(追伸)「くりおね あくえりあむ」さん、援護射撃をして頂きましてありがとうございました。おかげさまで、少しずつですが動いているような気がします。
2004 05 31 [05. 年金問題を斬る] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。5月8日の土曜日から、新企画「BLOG of the Week」がスタートしておりますが、これは、トラックバックしていただいた方々を中心に、私が独断と偏見でお気に入りのブログを毎週一つ選んでご紹介するというコーナーです。したがって、月~木曜日は「ゴーログ」、金曜日は「コラム」、土曜日は「BLOG of the Week」という構成になっておりますので、週末も是非お楽しみください。
さて、第4回「BLOG of the Week」において私が選んだのは、「saya-cafe」さんによるエイプリルフールのネタです。タイトルは、なんと「木村剛・anan抱かれたい男3位に浮上!」。告白します。これを読んで、「ひょっとしたら……」と思い、生まれて初めてananなるものをコンビニで立ち読みしてしまいました。ああっ、恥ずかしい~っ ^^;)
「木村剛・anan抱かれたい男3位に浮上!」
最近blog(ウェブログ)をはじめたことで、ブロガーの間で人気の経済学者木村剛氏が、2004年4月1日号のananの特集「2004年・私が抱かれたい男」で3位に浮上しているとのことです。
2004年4月1日号 anan「2004年・あなたが選ぶ好きな男・嫌いな男」より
抱かれたい男ベスト10
1位 木村拓哉
2位 福山雅治
3位 木村剛
4位 香取慎吾
5位 長瀬智也
6位 オダギリジョー
7位 坂口憲二
8位 フローラン・ダバディ
9位 渡辺謙
10位 ベッカム
3位に浮上した木村剛氏については、夢を持ち、かつそれを叶える実行力を持っている点がすてき。(28歳・美容師)テレビで厳しいコメントを言う木村さんと、blogのイベントでみせた親しみやすい木村さんのギャップがたまらない。女性と二人でいる木村さんはどんな風なのかと、想像してドキドキしてしまう。(24歳・IT会社勤務)
(追伸)「saya-cafe」さん、読者の利便に資するために貴ブログにリンクした上で、かなりの分量の文章を掲載しておりますが、問題があればご一報ください。
2004 05 29 [22. BLOG of the Week] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。毎週金曜日のコラムの日がやってきました。今日のコラムでは、今週、大手銀行グループの2004年3月期決算が出揃ったこともあり、金融にスポットを当ててみたいと思います。
<大手銀3月期決算、5グループが黒字転換(NEWS@nifty)>http://newsflash.nifty.com/news/te/te__yomiuri_20040524it13.htm
5月24日、大手銀行7グループは、2004年3月期決算を発表。昨年5月に実質国有化されて1兆6639億円の当期損失を記録したりそなグループと、異例とも言える決算再修正によって4028億円の赤字決算に落ち込んだUFJグループの2グループを除いた5グループ(みずほ、三井住友、三菱東京、住友信託、三井トラスト)が黒字転換を果たした。もっとも、UFJグループの決算直前までのドタバタ劇をみていると、他の5グループの今後に全く懸念がないのかと言えば、そうとは言い切れないかもしれない。
UFJグループにおける乖離
竹中平蔵氏が金融担当大臣として就任した2002年秋以来、金融改革は遅々とした歩みながら着実に進展してきた。昨年11月に発表された2003年9月期中間決算以降、景気の回復や株式市場の持ち直しを受けて、少なくとも一部の銀行の問題が金融システム全体に波及するシステミックリスクの懸念は大幅に後退したといえる。ただし、不良債権問題への見方は、過度の悲観から楽観に振れている局面も見受けられた。問題の大口融資先は、数こそ少なくなったが未だマーケットに残存している。色々と複雑な仕組みを使って、実態が変わったかのように見せかける再建計画も少なくない。
今回の決算発表において、UFJグループは、金融庁や監査法人の指摘を受けて大口問題先などの引当を積み増した結果、不良債権処理費用は、4月28日の2004年3月期業績予想の修正時における8130億円から1兆3115億円と、5000億円以上も膨らんだ。報道によれば、金融庁は、昨年8月から今月までの通常検査および本年1月から4月までの特別検査(株価や外部格付などに著しい変化が生じている等の大口債務者について検証を行い、直近の企業業績等をリアルタイムに反映した適正な債務者区分の確保を図るとともに、再建計画を有する債務者については再建計画の検証を行い、その結果も踏まえて債務者区分を判定する検査)を行ってきたが、その結果、UFJグループの自己査定による不良債権残高と検査によって判定された不良債権残高に2〜3割もの大幅な乖離が判明したという。
じつは、ハンドしてました!
金融再生プログラムに基づいて、金融庁は主要行における自己査定と検査結果の格差を公表しているが、2002年11月の初公表時における貸出金分類額の格差(自己査定結果と検査結果の乖離幅)は、50%以上が5行、25〜50%が7行、25%未満が3行という惨憺たる結果であった。
こうした実態を受けて、2002年12月には金融監督に関する「事務ガイドライン」が改正され、正当な理由がないにもかかわらず自己査定と検査結果の格差が是正されない場合には、銀行法に基づき業務改善命令が発動されることになっている。各紙で報道されているとおり、UFJグループにおいて自己査定と検査結果に2〜3割の乖離があったとすれば、この1年半もの間、同グループでは自己査定をどう考えていたのか、首を傾げざるを得ない面がある。
行政におけるルールはすでに明確になっていた。それにもかかわらず、4月の業績予想修正から1ヶ月も経たないうちに、不良債権処理費用が一気に5000億円以上も拡大している。UFJグループの2003年中間期ディスクロージャー誌には、「経営課題の解決に向けた取り組み」として、「UFJグループでは、これまで、大口貸出先の再建に向けた支援の実行、厳格な自己査定の実施など不良債権問題の解決に向けた取り組みや、株式保有にかかるリスクの圧縮を進めるなど、経営上のリスクの低減に努めてきました」と記されているのだが、同グループにおける「厳格な自己査定の実施」とか「不良債権問題の解決に向けた取り組み」とは一体何だったのだろうか。まさか贅を凝らした先送りの芸術だったわけではあるまい。
UFJグループでは今回の赤字決算の責任を取る形で、寺西正司UFJ銀行頭取らトップ3人の退任を決定した。かつて寺西前頭取は、2002年10月の金融再生プログラム始動時に、税効果会計の見直しに関し全国銀行協会会長として、「銀行はルールのなかで経営されており、サッカーをしていたのが、突然、アメフトになった感じだ」と述べていた。しかし、今回のドタバタ劇をみていると、「サッカーはやっていたが、じつはハンドしていた」と批判されても致し方ない面があるのではないか。
問題先送りから決別しよう
UFJグループは新体制の発足に当たって、マーケットの信任を回復するために2004年度上期中に大口問題先への対応を済ませ、同年度中に、財務の健全化を完了する財務改革方針を公表した。特定大口先専担部署を新設し産業再生機構等も活用して、この半期で大口問題先を片付けるという。これは相当の決意だと信じたい。また、親密な信販会社や不動産会社に役員を送り込み、再建支援姿勢も鮮明とするという。これらの先に大ナタを振るって再建を進めるということだと思いたい。
一般論として、インチキにインチキを重ねた再建計画を掲げて、何とか検査をしのごうとしている銀行が仮にあるとすれば、それは債務者である企業にとっても、債権者である銀行にとっても、決して望ましいことではない。多くの場合、いたずらに時を浪費し、企業価値を損なうだけに終わるのだから、その企業に勤めている従業員にとっても決して好ましいことではないのである。
本来であれば、抜本的な再建計画に基づいて再生に向かってまい進しているはずの再建企業において頻繁に再建計画が見直されるのは、再建していることをアピールするという意向が強く働いたために、計画の内容に瑕疵があるにもかかわらず、その適用を急いでしまったことに主因がある。大手問題先と目される企業においては、再建するのかしないのか分からないような、先送りで先細りの再建計画にしがみついて、未だに長期衰退の道をたどっているケースがみられることを残念に思う。
もっとも、先送りを許す環境は変わりつつある。今春からは、監査法人が金融庁によって監視されるようになったからだ。金融庁は、4月に「公認会計士・監査委員会」を設置して、監査法人への監督を強化している。悪質なケースが見つかったときは監査法人や会計士への懲戒処分や業務改善命令を金融庁に勧告する権限を持つ。これまでは、大口問題先の甘い再建計画を盲目的に許容する志の低い監査法人が少なくなかったが、これからはそうはいくまい。
問題先企業の「再建計画の妥当性」は厳格に判断されねばならない。それが、企業再生の出発点だからだ。経営不振企業を根本的な問題の先送りで安易に延命させることは、問題の解決をむしろ長引かせる。金融業界では、UFJと対峙した凄腕検査官が次にどこを担当するかに注目が集まっている。
そういう観点でみれば、金融再生における患部の摘出手術はまだ完全に終わったわけではない。システミックリスクに対する懸念が和らぎ、銀行が体力を回復しつつある今こそ意を決して、膿を出し尽くすべき時だ。ペイオフ解禁が来春に迫っているという意味で、すでに金融改革はペナルティエリアの中にある。ペナルティエリアの中でのハンドは、ご法度にしてもらいたい。
(追伸) 本日深夜1:20よりテレビ朝日「朝まで生テレビ」に出演することになってしまいました。私のメディアポリシーに合っていないものですから、ずっとお断りをし続けていたのですが、司会役の宮崎哲弥氏には義理があるので、辞退し切れませんでした。
もっとも、テーマが「イラク、北朝鮮」なので(何故、専門外の私が出演しなくちゃいけないんだろう?)、おそらく、ほとんど発言しないと思いますが、他のパネリストは魅力的ですから、お暇な方は見てやってください。
それより、私にとって、最も重要なのは、明日の「@nifty BB Festa 2004」です。会場には午前10時までに着かなければいけません。「朝まで生テレビ」が終わるのが午前4時20分頃なので、睡眠時間は4時間くらいになるでしょうか。でも寝坊しないで、しっかり行きますので、皆さん、品川インターシティホールに是非来て下さい。お待ちしています。
2004 05 28 [07. 銀行はどこへ行く?] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。公開質問状の第1問「厚生労働省は、公的年金に関して、公表している試算の根拠となっている仮定条件のみならず、その計算の元となっている生データや計算プログラム等をすべからく国民に開示すべきである」につきましては、岡田克也民主党党首および古川元久民主党議員(年金改革プロジェクトチーム事務局長)のみならず、与党の河野太郎自民党議員と高木陽介公明党議員からも「イエス」のご回答をいただきました。
ご回答いただきました議員の皆さま、ご多忙中にもかかわりませず、ありがとうございました。皆さまの迅速な対応は、選挙区の国民が高く評価しているはずです。自民党からも、公明党からも、民主党からも、賛成の意見がでてきているとすれば、やはり残るは厚生労働省のみということになりましょうか。
5月19日のゴーログ「厚生労働省に対して情報公開を請求しました!」でお伝えしているとおり、私はすでに情報公開法に基づいて、「公的年金に関して、公表している試算において使用されている生データ及び計算プログラムのすべて」を開示するように、坂口力厚生労働大臣に対して「行政文書開示請求書」を出しております。
さあ、どうなるか、と思っておりましたら、先日、厚生労働省年金数理課の方からお電話がありました。以下に、そのときの模様をダイジェスト版でお示しいたします。
(厚労省) 求める資料について確認させていただきたい。「生データ」というのは、システムに投入した全てのデータということでよいでしょうか。 (当 方) 個人のプライバシーに抵触しない範囲で、出せる最大限のものを出していただきたいのですが。 (厚労省) 請求文書の範囲が抽象的なので困っています。当方は、存在する行政文書しか出せません。 (当 方) そう言われても、こちらでは、どのような行政文書があるかわからないので、抽象的に書くしかありません。具体的な記載方法をご指示いただければ、開示請求書を提出し直しますが、いかがでしょうか。 (厚労省) お話しして、ご趣旨はわかりましたので、出し直していただく必要はないと思います。 (当 方) ちなみに、いま想定されている資料の「量」は、どれくらいになるのでしょうか。 (厚労省) 数えたわけではないので、お答えできません。 (当 方) イメージで結構なのですが。 (厚労省) 数千枚ではないでしょうか。
さすが天下の厚生労働省です。ひょっとすると、私の情報公開請求にお応えいただけるのかもしれません。出てくるものによっては、行政不服審査法第6条の規定に基づいて、異議申立て(=不服申立て)を行なう必要はなくなるかもしれません。是非、厚生労働省の方々におかれては、ご配慮いただきたいと思っております。
天下の国家公務員が、まさか、嫌がらせのために、コンピュータからのデータの打ち出しを「どうだ、こんなにあったら活用できないだろう」とこれ見よがしに全部出してくるなどという無粋なことはされないと思いたいものです。そういう場合は、きっとデータベースを入れたCD-ROMと、そのデータを基にして計算するために組んだプログラムを解説するための資料を下さるはずだと思うんですね、普通の常識で考えるのなら……。まさかまさか、「法律では紙しか出せない」という非常識な理屈で拒否することなんかはないと信じておりますが……。私は厚生労働省の方々の良心を信じたいと思っております。ということで、紙とCD-ROMをよろしくお願いいたします。
厚生労働省の心ある人々からすれば、「公的年金制度をぐちゃぐちゃにしたのは、俺たちじゃなくて政治だ」という思いがあるのではないでしょうか。そうであれば、本心では、公的年金の現状を示すデータを国民の前にさらけ出して、今度こそ、どのような公的年金制度にするのが国民にとってベストか議論していただきたいと思っていらっしゃるのではないでしょうか。厚生労働省年金数理課ではプロの方がたくさんいるはずですから、TVなどで展開されている出生率などの前提条件を巡る幼稚な議論を苦々しく眺めていらっしゃるのではないかと推察いたします。だからこそ、国民に対して、検証可能な生データをお示しされるべきではないかと私は思うわけです。
いずれにしても、厚生労働省から、こうした前向きの動きが多少なりとも出てきたのは、「珠丸の覚書」さんや「Hiroette」さんたちの援護射撃が効いたからだと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
とりあえずは、厚生労働省からのデータ開示を楽しみにお待ちしたいと思います。
(追伸)「気まぐれ?!思考」さん、申し訳ありません。単純ミスによるリンク忘れでした。本日のゴーログでは、しっかりリンクを張った上で、「かめはめ波」を打っておりますので、それでお許し下さいますよう。
2004 05 27 [05. 年金問題を斬る] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。私が厚生労働省に対して、生データの公開を要求したところ、「気まぐれ大統領の独裁Log」さんが「こういうのを何でマスコミ、特に大手新聞はやらんのかね。自分とこの影響力を自慢してるんだったらやるべきだろうが」と書いていただきました。本当にそう思います。
年金問題をめぐる今回のマスコミの未納騒ぎは、あまりにも国民の気持ちや心情から乖離していました。もっとも、「ちぶろぐ」さんは、「マスコミはほんとに分かってなくて報道しているのかということです。マスコミ人ったって自分達とそう変わらない人間ですから、今のバカ騒ぎがどれだけ本筋から離れているかなんてことは分かっているはず」と書いていますし、「大西宏のマーケティング・エッセンス」さんは「残念なのは、マスコミの報道のあり方です。マスコミの記者の人たちも、この問題の本質が何かをご存知です。でも、なにかが、真実に迫る報道を鈍らせていると感じていました。だから、迂回して表面的な未納・未加入問題に紙面を割いてこられた。いろいろと事情があるのかもしれません」と説明していらっしゃいますが、そういう匂いを私も感じます。そして、「いろいろと事情がある」ところに、私はわが国のマスコミの問題があるのではないかと思うのです。
その点に関して、「c572 blog」さんは「マスコミも結局は商売ですから、事の本質よりも目先の数字の方が大事なような気がします」と指摘しておられ、そういう面も確かにあると私も思うのですが、「MENTHOL BLOG」さんが「未納である、未納でないということは、もうワイドショーでも視聴率とれない話なのは周知の事実です」と書いていらっしゃるように、視聴率うんぬんだけでは説明のつかないマスコミの報道が近年目立ってきたようにも感じるのです。
じつは、「fareaster」さんが「マスコミは官庁批判はできないのか?」というタイトルを掲げて、「マスコミの論調もなんか操作されているなぁ、というイメージを抱かざるを得ません」という鋭いツッコミをみせているんですが、マスコミに対する私の問題意識ということで申しますと、情報源に対するスリヨリという点が前々から気になっています。
わが国のマスコミ記者は、結構多忙で、かわいそうなミッションに駆り立てられています。「スクープ」という名目で、ほとんどの国民にとってはどうでもよいニュースを、正式な記者会見の1~2日前に報道するという、くだらないトクダネ合戦を競い合っているんですね。記者会見の前に報道するということにあまりにも気がいきすぎていて、記者会見の内容が社会に示唆することに対して無頓着だったりします。
今回の例で言えば、「誰が未納なのか」というトクダネを他社に先駆けて追い駆けることに夢中になって、「年金問題において、未納にどういう意味があるのか」ということを掘り下げないという背景には、そういうマスコミ体質の問題が浮かび上がってきているような気がするのです。
マスコミの問題は、そういうことだけにとどまりません。そういうトクダネ競争に慣れ切ってしまうと、少なからぬ記者たちは情報を持っている官庁や大銀行――本来、マスコミが最も監視しなければならない対象――に対して、気付かぬうちに魂を売り渡してしまうのです。トクダネ情報を取れなくなることを恐れて、官庁批判や大銀行批判をできなくなってしまうわけです。官庁や大銀行は頭が良いので、記者に対して時折トクダネのおこぼれを与えながら、分からぬように情報を操作していきます。その結果、マスコミの論調は、知らぬうちに官庁や大銀行の意向を反映するようになっていくのです。
「nodaira’s Blog」さんは、「建設的な議論、具体的な提案をするマスコミこそ必要だと思うのですが、今のマスコミにはその能力があるとは思えません。その分、個人レベルで活動している様々な人間がこうして意見を世に問える世の中になったからには、そういった人々の中から次代を担っていく人間が積極的に登用されていく世の中が実現されていけば素晴らしいと思います。政治以外の世界ではそのようなことは当たり前のように起こっているので、政治の世界から有能な人間が流出していくのを防ぐためにも、将来は必然的に外部の人材を積極的に登用していくためのインセンティブを持たせたシステムが必要になるでしょう。小泉内閣はその点でもかなり先進的な取り組みをしていると思います。翻ってマスコミについて考えてみれば、誰もが自由に情報を発信できる以上、報道を行うマスコミという枠にわざわざ嵌りに行く必要性はますます下がっていくと思います」と述べていますが、トクダネに追われることのない「個人レベルで活動している様々な人間がこうして意見を世に問える世の中になった」という環境は、私たちにとって極めて重要な意味を持っていると感じます。
私は、そういう意味でも、「ブログ」は重要だと考えているのです。
マスコミを媒介にすることなく、個人が中心となって体外的に情報を発信していくことができる環境が整備されていくことの意義を高く評価しているのです。「クラブキング」さんは「ブログのムーブメントが大衆の力になったのはアメリカ発『9.11テロ』以来。市民権を獲得した第3の大衆メディア、ブログ」と述べておられますが、私は「ブログ」を「市民権を獲得した大衆メディア」にしたいのです。
ネットワーカーの方々からみれば、「そんなものは、すでにネットの世界で成立しているじゃないか」と言われるかもしれませんが、それは正確な事実ではありません。例えば、「2ちゃんねる」は一種の大衆メディアですが、現時点においては、社会的に「市民権」を得ているわけではないと思います。大衆メディアが本当に力を持つためには、社会的な認知と社会的なステイタスが必要です。そうでなければ、メディアとして社会的に働き掛けることはできません。
だから、「とりとめもなく日記的雑記」さんに、「木村剛氏のブログは、一庶民として今一番注目しているメディアです」と書いていただいたことに対しては素直に嬉しく思いました。「それにしても、こうやって(細々とですが)書いてみると、ブログってほんと新しいメディアだなと実感します。自分も相手もブログを書いて、自分のブログを背負った上でトラックバックやコメントで対等につながっていく」という指摘もいただいていますが、私も「ブログ」は本当に可能性に溢れた「新しいメディア」だと感じています。
私は、「週刊!木村剛」を「市民権を獲得した大衆メディア」として、大事に育てていきたいと考えているのです。そこでトップページにも、さりげなく私の気持ちを込めておきました。この間ついに、「気まぐれ?!思考」さんから、「あっ!THE BLOG MEDIAになってる! 今気が付いた! メディアの新しい波ですね」と指摘されましたが、そうなんです、私は「BLOG」を「MEDIA」に育ててみたいのです。
2004 05 26 [01. ブログ万歳ココログ三昧, 08. メディア/広告の将来を占う] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。「日曜日は楽しいドライブ」さんが「小泉訪朝、北朝鮮拉致家族問題でくだらない年金ゴシップは過去のものとなって欲しいと思う。しかしそれとともに本当の年金問題も流れ去ってしまわないように・・と願う」と指摘していましたが、マスコミの雰囲気は、北朝鮮問題の勃発で、瞬間的に年金問題が何処かに行ってしまったかのような感じです。しかし、私たちの眼前に年金問題は厳然として存在しているわけで、消えてなくなってしまったわけではありません。
お時間と興味のある方は、「HPO:個人的な意見」さんが長文を書き記して、厚生年金を中心に、ある程度の数字の裏付けのあるシミュレーションを試みているので一読してみてください。国民年金の負担を厚生年金で穴埋めしようと画策している厚生労働省の野望の一端を覗きみることができるかもしれません。やはり、厚生労働省には、どの数字をどのように加工して、公表している試算がでてきているのか、を開示させるべきだと思います。そうすれば、「HPO:個人的な意見」さんのような方々が、厚生労働省が公表している試算の正当性を詳細に検証してくれることになるでしょう。
もっとも、「ミズタマのチチ」さんが「『朝日の介護保険の負担者拡大の記事』もいろいろつっこみたくなってきます。年金未納だけじゃありません。厚生労働省が、介護保険料を20~39歳からも半額払わせると考えてるようです。これも『出費が追いつかんから、収入源を増やしちゃおう』とのことです。高齢者と負担する人の人口比から算出すると、500~1000円で良いらしいが、ブラックボックスの計算データを使ってると見られ、いくら増えるかホントのところは疑わしい」と指摘しているように、厚生労働省の作戦はかなり大規模なものなんです(要するに、「取れるところからは取っちゃおう」ということ、若者も含めて!)。
そのあたりは、「アホが見ーるーブタのケーツー」さんが「後にはNext鼠講=厚生労働省役人の新たなシノギ“介護保険”が控えてんだ。忙しいんだよ。急ぐんだよ。早くやれ!」と見事に喝破してくれています。
こんなインチキばかり続けていると、4月29日のゴーログ「公的年金関係者よ!公開討論会に応じよ!」でご紹介した「どちてblog」さんが指摘したように、「元々僕は電車とかで老人に対して積極的に席を譲るほうでした。ですが、最近は譲らなくなりました。思えば、年金問題が頭に入ってきてからです。どういう思考になっているかというと、『年金生活者は出歩かないでくれ』『あなたたちを支えている現労働者が電車の中で余計な気を遣わなくていいように、年金生活者は混んでる時間に電車を使わないでくれ。』みたいな感じです。譲りたい気持ちもないことはないのですが、心からの『敬老』を実践するモチベーションが落ちてきています。僕の中に世代間憎悪が芽生え始めています。木村剛曰く、『このままでは、日本人同士が世代間で罵りあう骨肉の争いと化してしまうでしょう。』このままではその方向へ進んでしまいそうです。」という予測が本当のものになってしまうのではないでしょうか。「とりとめもなく日記的雑記」さんからも、下記のようなトラックバックをいただいています。
年金についてよく思うんですけど、これから10年ぐらい足って、年金制度の破綻がどんどん明らかになるにつれて、高齢者に対する「苦々しいキモチ」が現役世代の間に漂い始めそうな予感がします。「俺らはもらえないの承知で払ってるのに、お前らは平気な顔で受け取っちゃって、おめでてーな」と。「一生懸命働いて年金払ってやってるのに、その上電車で席までゆずれってか」と。もちろん悪いのは高齢者じゃなくて制度なんだけど、やっぱり構造的な不公平ってのは、対立感情を沸き起こしますよね。嫌な世の中になりそうだなぁ。
こういう思いを抱かせる制度は、根本的にどこかが間違っています。国民のために作られたはずの制度が、国民の間で憎悪を惹き起こす制度に変わりつつある。これは本当に忌々しき事態であると思います。「Clala-Flala」さんは、「茶番と泥仕合を見せられた国民は、怒ることも諦めることもできずに、希望も期待も政治に見出せない状況なのに、それに拘泥することで、その先に何か建設的な議論が始まるのでしょうか」と嘆いています。マスコミには、「建設的な議論」を沸き起こすための努力をしていただきたいものです。
(追伸)5月19日に送付した公開質問状に対して公明党の高木陽介衆議院議員からも回答を頂きました。第1問、第2問については「イエス」。第3問の公開討論会に関しては、「ウエブ上の討論会はそれはそれで有意義であると思いますが、討論に参加できる物理的な時間(これから北朝鮮問題で国土交通委員会の理事として『特定船舶入港禁止法案』の提出者として、与野党協議等があり)が厳しい状況です。ただ、情報公開は速やかにするべきです。」というお応えを頂きました。高木陽介衆議院議員ありがとうございました。国会での建設的な論戦を期待しております。
2004 05 25 [05. 年金問題を斬る] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。「元気があれば銀行もできる!」(by「29man」さん)というノリで、何と8ヶ月という短期間で出来てしまった日本振興銀行が営業を開始してから早くも1ヶ月が経過しました。東京大手町に所在している本店は、「Ideal Break」さんが表現しているように、「いわゆる銀行の雰囲気はない」佇まいになっています。
基本的に「リテール業務を極小化してコストダウンを図る」(by「McDMaster's」さん)という戦略を採っている小さな小さな銀行なのですが、5月20日に対外発表させていただきましたとおり、おかげさまで、序盤戦の大きなハードルを2つクリアできそうな雰囲気です。
一つは、預金です。100万円以上1000万円以下で個人の定期預金のみという商品設計については、業界通の方々から「そんなやり方で、本当に預金が集まるのか」と揶揄する向きも少なくありませんでしたが、5月19日の時点において136億円の預金をお寄せいただきました。私自身は「預金は集まる」という自信を持っていましたが、ここまでのスピードと規模で集まるとは期待していませんでした。そういう意味では、グッド・サプライズだったと言えます。「預金しに来ちゃったんです」と体験記を書いてくださった「winwin」さん、ありがとうございました。
もう一つは、貸出です。日本振興銀行はローコストオペレーションに徹するという方針のため、融資担当の数もかなり限られています。そのため、「少数精鋭とは言え、十分な融資先開拓ができるのか?」という懸念が多少あったのは事実です。ところが、5月19日の時点においては、何ら特別な営業活動を展開していないにもかかわらず、累計で80億円を超える金額のお申し込みをいただいています。
もちろん、債務超過などで他の銀行から借りられないお客さまからは、かなりの数、お申し込みをいただけるのではないか、という予測はしておりましたし、残念ながら、そういうお客さまには早急にお断りしなければならないケースがほとんどだろうという懸念も同時に抱いておりました。
それが、嬉しい誤算と申しましょうか、そういうお客さまも当然いらっしゃいますが、思った以上に審査対象として採り上げさせていただく案件がたくさん舞い込んできたという印象です。そういう意味では、これもグッド・サプライズでした。「百鬼夜行」さんからは「振興銀行がターゲットとしている銀行と商工ローンの間のお客さんというのは一杯いるし、もの凄く必要とされているビジネスだと思います」と指摘していただきましたが、まさにそのとおりだったのです。個人的にも「日本振興銀行がターゲットとしているミドル・リスク・マーケットは、まだまだ深耕されていないんだなあ」という感触を新たにしたところです。
ただ、逆に予想以上のレスポンスがあったものですから、審査のキャパシティが追いつきません。そういう意味では、審査手続きに手間取って、お客さまへの回答が遅れてしまうのではないかという別の心配事がでてきています。とはいえ、「まーねこのひとりごと」さんが、「すべては融資担当者の眼力にかかっている。眼力が及ばなければ、銀行は大幅な貸し倒れ引当金を積むことを余儀なくされ、小穴社長の公約も達成困難になるのではないか」と指摘しているように、厳然とした審査を無視した貸出をすれば、すべてが水泡に帰してしまうでしょう。
もっとも、これは「喜びの悲鳴」というべきものでしょうから、非常勤のガバナンス担当としましては、なんとか執行部に踏ん張っていただいて、お客さまからの良い信用を勝ち取っていただきたいと願っています。
「かげながら応援」(by「fareaster」さん)してくれている方も多いようですし、「スターバックスと新しいもの大好き」さんからは「会社の9割以上を占める中小企業が、底辺で日本を支えているわけですから、日本振興銀行のような銀行にはがんばって欲しいです」と激励をいただき、「Hiroette」さんからも「とにかく日本の中小企業を元気にするというコンセプトで、本当に中小企業が元気になってくれたらいいな―と思います」とエールをかけてもらいました。
私も「融資を通じて『日本振興』が実現すること」(by「たけくらべ」さん)と願っております。「日常/非日常Blog」さんからは、「ま、もちろん道は平坦ではございませんが、日本振興銀行は必ず成功します。間違いない」と太鼓判を押していただいたので、その太鼓判を裏切らないように、日本振興銀行が育っていくことを祈念しています。
(追伸)5月19日に送付した公開質問状に対して民主党岡田克也党首から早速回答を頂きました。第1問、第2問については「イエス」。第3問の公開討論会に関しては、「ケースバイケースで検討させて頂きます」というお応えを頂きました。岡田党首ありがとうございました。国会での建設的な論戦を期待しております。
2004 05 24 [07. 銀行はどこへ行く?] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。5月8日の土曜日から、新企画「BLOG of the Week」がスタートしておりますが、これは、トラックバックしていただいた方々を中心に、私が独断と偏見でお気に入りのブログを毎週一つ選んでご紹介するというコーナーです。したがって、月~木曜日は「ゴーログ」、金曜日は「コラム」、土曜日は「BLOG of the Week」という構成になっておりますので、週末も是非お楽しみください。
さて、第3回「BLOG of the Week」において私が選んだのは、「JUKE BLOG」さんによる「週刊!木村剛 大阪は名古屋に負けるのか?の記事を読んで」というトラックバックです。これは、「JUKE BLOG」さんの地元である日光のことを書いたルポなんですね。「地方は中央の犠牲になっている」という紋切り型の評論をする人が少なくない中で、本当に地方を寂れさせているのは誰なのか、という点を考えさせてくれました。日光を復活させるための具体的な提案も書き込まれています。是非、お読みください。
「週刊!木村剛 大阪は名古屋に負けるのか?の記事を読んで。」 管理人の地元日光では観光産業はほとんど壊滅的な打撃を受けている。ゴールデンウイークとは全く思えない閑散とした駅周辺には連休の空気は流れていない。長く続いたデフレ環境の中で、旅館の多くは従来の殿様商売から脱して可能な限り値下げ競争を繰り広げているが、観光客の財布の紐は堅く経営的な危機状況にある旅館も多い。全国的にはすでに過去物語の感がある足利銀行破たんも、じわじわと地元経済にボディーブローとなって効いて来ているようだ。 多くの観光資源を抱えている日光は長年東照宮を中心とする二社一寺に頼り切って来た。現在は東照宮などが小出しに繰り広げる遺産のご開張が唯一の集客力を持つだけである。数多くの新たな観光産業の日光誘致にもことごとく反対してきたつけでもある。代表例は日光サル軍団で当初は日光駅近辺に開業を希望していたのだがご存じのように地元日光の反対で鬼怒川で大繁盛。日光江戸村しかりである。鬼怒川にありながら看板は<日光>という皮肉な結末。 「官製」ではなく「感性」を!という木村氏のナイスなコピーはそのまま日光にもあてはまる。1例を示せば日光駅から東照宮へと続く歩いて15分ほどの参道(国道119号)には拡幅の計画が持ち上がっている。現在の二車線と両サイドの歩道をさらに1.5メートルほど広げて景観上じゃまな電柱を地中に埋める工事が予定されている。これには地元代議士がすでに予算を中央からかっさらって来ているらしくやる気まんまんらしい。潤うのはまたしても土建屋だけ、、、まったくばか丸出しです。 管理人なら広げるどころか道は狭めるべきというのが意見です。1.5メートルずつ両側の商店が前進しても良い、その分の土地はそれぞれに無料でやるから指定の工法と指定の材料で増築せよというのはどうだろう? 削られるのは反対でも増えるのなら商店主を納得させる事も可能だろう。もちろんその工事には公的なバックアップは付ける。古くからの庇が長い瓦屋根の日光住宅を軒先だけでも再現するんです。映画のセットのように店先を古都日光のイメージで統一するんです。電柱は埋めるんじゃなくて明治時代のようなレトロな木製電柱に交換するという逆転の発想こそ再生の鍵です。 「両側の商店の軒先を歩けば雨でも濡れないような、古い町並みを作り上げればそぞろ歩きをしたい気分にもなるだろう。夕暮れにはそれぞれの店先にちょうちんでも灯せば雰囲気は抜群です。近隣の旅館から浴衣姿で下駄をならして歩く事が出来る雰囲気作りが絶対に必要です。不便な街作りへと逆戻りさせるべきです。交通手段としては乗り降り自由なコミューターでも作って無料開放すればいいだろう。レトロなチンチン電車なんか気分です。 すでに日光宇都宮道路と言うすばらしい有料道路も完成しているので大型車なぞはすべてそちらへ回してしまえば事は簡単。排気ガスと騒音をまき散らして通り抜けする大型車などは、全く日光経済にはお金は落とさない事に何故気が付かないのでしょうか?
(追伸)「JUKE BLOG」さん、読者の利便に資するために貴ブログにリンクした上で、かなりの分量の文章を掲載しておりますが、問題があればご一報ください。
2004 05 22 [22. BLOG of the Week] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。本日金曜日はコラムの日。久し振りに景気の話を書いてみようと思います。
< 2004年度の成長率2.7%に・NEEDS予測(NIKKEI NET)>http://www.nikkei.co.jp/keiki/gdp/
内閣府が18日に発表した平成16年1〜3月期の国内総生産(GDP)速報は、実質で1.4%増(年率換算5.6%増)と予想以上の高成長を示した。回復の動きは製造業から非製造業・中小企業にも広がってきている。GDP統計上も、輸出と設備投資という二つのエンジンを起点とする回復が家計へと波及しつつあることをうかがわせた。平成15年度で言えば、実質ベースで3.2%の高成長。名目ベースでも0.7%のプラス成長となっている。
ここまで証拠がそろうと、さすがに、景気が改善していることについて、誰も異論を挟めなくなる。「こんな時期に不良債権処理を進めたら、デットデフレーションが悪化して日本経済は滅茶苦茶になる」と言い張っていたデフレ論者たちはどこへ雲隠れしたのやら。遅々とした歩みではあったが、竹中平蔵金融相は不良債権処理を進めてきた。それでデットデフレーションは生じただろうか——答えは「ノー」である。
それどころか、整理再編の進んだ業界では、値上げのタイミングを虎視眈々と狙っている。鉄鋼・非鉄しかり、化学しかり、値段の叩き合いで知られた製紙業界ですら値上げの構えだ。「デフレは一世紀続く」などと構造デフレを唱えた向きもいたが、世界中に蔓延した過剰流動性の下での「デフレらしき現象」は、需要増による価格上昇圧力に極めて脆弱であることを衆目の面前で明らかにしつつある。
実際、国際的な素材価格や商品市況をみると、世界的な景気回復傾向や中国等の旺盛な需要を背景に高騰している。値上がり記事を検索するだけでも、石炭、鉄鉱石、マグネシウム地金、棒鋼、鋼板、構造用鋼、H型鋼、熱延鋼板、クロム系ステンレス鋼板、ロックウール、ヒューム管、コンクリートパイル、丸くぎ、針金、アルミ圧延品加工賃、鉄骨加工賃、ベンゼン、スチレンモノマー、工業用アンモニア、酢酸、アクリル短繊維、ポリエチレン、ポリエステル不織布、ポリエステルフィルム、クラフトパルプ、ヒマシ油、食用油、DRAM、NAND型フラッシュメモリー、ニッケル系リードフレーム、液晶パネル、リチウムイオン電池、自動車用電池などゾロゾロ出てくるご時世だ。
私は、2月13日の「デフレの終わりは始まったか?」と題した「週刊!木村剛」のコラムにおいて、「『デフレの終わりの始まり』の兆しが見えつつあるのではないだろうか」と指摘し、「今年後半にかけて、デフレのトレンドが終焉した時のリスクについて真剣に考えなければならないのかもしれない」と記しておいたが、FRB(米連邦準備銀行)のグリーンスパン議長ですら、4月20日に「デフレの脅威はもはや問題ではない」と断言して、「物価安→金利安」から「物価高→金利高」へと時代が転換しつつあることを示唆するようになった。
実際、「デフレ」という言葉はとんと聞かれなくなった。それどころか、「インフレ」という忘れかけた単語さえ目に付くようになった。一時期一世を風靡したデフレ論者たちは、公的年金の未納問題で世の中がテンヤワンヤの状態であることを良いことにダンマリを決め込んでいる。
「デフレスパイラルになって、日本経済は底割れする」とか、「デフレが治癒されない間は、不良債権問題が解決することはない」とか、「インフレターゲットなどの非伝統的な政策を実施しない限り、景気は上向かない」とか、「こんなことすら分からないヤツは、経済学を一から学び直したほうがいい」などという勇ましい主張をしていたエコノミストたちは一体全体何処に行ってしまったのだろうか?
2004 05 21 [04. 経済政策を語ろう!] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。来たる5月29日(土)、品川インターシティホール(東京都港区)において「@nifty BB Festa 2004~なっとく体験!!ブロードバンド~」にゲスト参加してきます。11時~11時30分と14時~14時30分に開催されるトークショーに出演する予定です。
お暇な方、是非いらっしゃってください。生のトークは、「ゴーログ」とはまた違った味わいがあるかもしれませんから ^^;) 互いの掛け合いが思わぬ方向に話を面白く展開したりしますからね。それがブログの醍醐味でもあります。
そして「ブログの醍醐味」といえば、5月11日の「ゴーログ」において、厚生労働省関係の方々に対して、以下のように投稿を呼び掛けておりましたことを皆さん覚えていらっしゃるでしょうか。
「アホが見ーるーブタのケーツー」さんが主張している「敵は役人である」論が誤りであると信じる厚生労働省のお役人であれば、どなたでも結構ですから手を挙げてください。きっと「俺たちが悪いんじゃない。保険料の引き上げを決めながら、約束を履行してこなかった政治家たちが悪いんだ」と思っていらっしゃる方も多数いらっしゃるはずです。実名はマズイというのであれば、obanan@kfikk.co.jpにEメールでご意見をください。匿名で結構です。皆さんも知り合いに厚生労働省のお役人が居たら、「週刊!木村剛」でこんな騒ぎが起こっていることを知らせてあげてください。その対応をみれば、そのお知り合いの方の誠実さがわかるかも……。
そう、じつは反応があったんです。元厚生省職員のXさん(本名を明かしていらっしゃいますが、あらぬトラブルを避けるため、伏せておきます)から、私の元にFAXが届きました。残念ながら、「敵は役人である」論に対する反論ではなく、「敵は役人である」ことを主張している投稿でした。以下、全文を掲載させていただきます。
拝啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。「年金改革」について申し上げたいことがあって一筆さしあげました。ここまで日本の年金制度を悪化させた要因はたくさんありますが、中でも重大なことは、(旧)厚生省が日本の少子化の事実を隠蔽し続け、年金制度の改革を先送りしてきたことでしょう。これまで、(旧)厚生省は「日本の将来推計人口」をいくつも発表してきましたが、これがことごとくいいかげんで、実際の少子化の進行とかけはなれた予想をしてきました。 では、なぜ、この不正確で詐欺瞞着な「将来推計人口」が発表され続けてきたのでしょうか?それは、(旧)厚生省が国民の少子化の事実を隠蔽し、年金改革から国民の目をそらせるためです。そして、この改竄を実際におこなってきたのが厚生労働省所轄の国立社会保障人口問題研究所です。 「日本の将来推計人口」は国立社会保障人口問題研究所から発表されますが、これまでこの将来推計人口を担当してきたのは「Y氏」という人間です。このY氏の父親(死去)は(旧)厚生省と関係が深い全国福祉協議会の理事をやっており、さらに、Y氏の実兄も厚生官僚であり、いわば、厚生省利権にどっぷりつかった人間です。東洋大学大学院の卒業間近になっても就職先が見つからず困っていたY氏は父親の厚生省人脈(と地元の有力国会議員)のコネを使って、(旧)厚生省所轄の人口問題研究所に情実採用された経歴をもっています。 この不正採用の後、Y氏と厚生省は陰に陽に癒着し、刎頸の友になっていき、最後には厚生労働省の都合のよいように改竄された「将来推計人口」を作るようになりました。ですから、毎回の「将来推計人口」の発表間近になると、Y氏は「どのような推計結果にすればよいか」を相談するために毎日、厚生労働省の担当部署にやってきていました。日本の年金制度がこれほどまで悪化したのは、この癒着した関係によって真実が隠蔽されてきたからに他ならません。敬具。
「Y氏」につきましても、実名が掲載されていましたが、私の方ではこの告発文書の真偽を確かめる手段がなかったので、伏せさせていただきました。上記のY氏を巡る叙述が正しいか否かはさておくとしても、旧厚生省の「将来推計人口」が「不正確で詐欺瞞着な」ものであったことだけは疑いのない事実です。わが国の年金制度がY氏ひとりによって、悪化されたというのは俄かには信じがたいことですが、Xさんにはさらに具体的な証拠となるようなものを送っていただければ幸いです。
いずれにしても、厚生労働省年金局の高橋直人総務課長には公開討論会に参加していただき、このあたりの真偽を含めて申し開きを是非していただきたいものだと思います。昨日送付した公開質問状に対するご返事をお待ち申し上げております。
厚生労働省から全くご返事がないようだと、Xさんが指摘しているような事実があるから、公開質問状にある「第1問 厚生労働省は、公的年金に関して、公表している試算の根拠となっている仮定条件のみならず、その計算の元となっている生データや計算プログラム等をすべからく国民に開示すべきである」という設問にお答えいただけないのだろう、という推測を確信に変えてしまうのではないでしょうか。厚生労働省の信用を確保する上でも公開質問状にお答えいただきたいと思います。
なお、読者の方々にお願い申し上げます。公的年金を巡る色々なエピソードや知られざる実態を、私宛にEメール(obanan@kfikk.co.jp)もしくはFAX(03-3519-1237)してください(匿名でも結構です)。共有すべき情報については、匿名性を確保した上で「週刊!木村剛」にアップしたいと思います。ドンドンとお寄せください。
そして、「珠丸の覚書」さんが提案している「援護射撃」に参加し、公開質問状に答えなかった方々(坂口力厚生労働大臣、厚生労働省年金局総務課、民主党菅直人氏)に対して、「何故回答しないのか」について丁寧に問い質すメールを出していただけると幸いです。但し、ここで一つ御注意を。そのメールは、リアルな世界への働き掛けであって、ネット上における誹謗中傷とは異なりますので、相手方に敬意を示した上で、丁寧語でお問い掛けいただけますよう、伏してお願い申し上げます(口汚い罵りは相手方が対応しない格好の口実となりますので、逆効果なんです。それは、敵を喜ばせるだけなんですね)。
(追伸)ゴーログ「モノ書きの老婆心:『匿名性』を護るために」において、一部に「2ちゃんねる」を「2チャンネル」と誤記するというミスがありましたので、「2ちゃんねる」に直させていただきました。ひろゆき氏および「日常/非日常」さん、ご指摘ありがとうございました。
2004 05 20 [05. 年金問題を斬る] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。これまでも繰り返し申し上げてきたとおり、年金問題を解決するための第一歩は誰が何と言おうと、生データの公開です。これが現実のものとならない限り、すべての年金改革論は砂上の楼閣であると断言して差し支えありません。現実の数字の裏打ちがない新しい年金制度に関する議論は、いかに長い時間を費やしたところで意味はないのです。
ですから、公開質問状において示した、「第1問 厚生労働省は、公的年金に関して、公表している試算の根拠となっている仮定条件のみならず、その計算の元となっている生データや計算プログラム等をすべからく国民に開示すべきである」という点は、国民としての必要最低限の要求なのです。そして、この程度の要求が叶えられないのに、厚生労働省が、年金支給額を引下げて保険料を引き上げようとするのであれば、彼らは時代劇の悪代官も真っ青の極悪人だと断定してもよいでしょう。
そこで私は、5月17日、情報公開法(正確には「行政の保有する情報の公開に関する法律」第4条第1項の規定)に基づき、「公的年金に関して、公表している試算において使用されている生データ及び計算プログラムのすべて」を開示するように、坂口力厚生労働大臣に対して「行政文書開示請求書」を提出してきました。300円の収入印紙を貼るだけでできますので、皆さんも一度お試しを。
情報公開法によれば、厚生労働省は1ヵ月後までに公表する(開示)か、公表できない理由を明らかにしなければなりません(不開示)。残念ながら、1ヵ月後までに厚生労働省が情報公開する可能性は少ないと言わざるを得ませんが、情報公開しないのであれば、「情報を公開しないにもかかわらず、年金給付を減額して、保険料を引き上げようとしている」ということだけは、国民の眼前に明らかになるでしょう。果てさて、どういう言い訳をしてくるやら・・・。
もしも、厚生労働省が「不開示」の決定をした場合には、行政不服審査法第6条の規定に基づき、異議申立て(=不服申立て)を行なう予定です。不服申立てというのは、開示請求をしたのに不開示決定を受けた場合に、行政機関の長などに対して不開示決定の取り消しを要求することを言います。要するに、不服申立てとは、「インチキしないで出せ!」という国民の権利を保障した法律なのです。
不服申立てを受けた行政機関の長は、原則として情報公開審査会に諮問し、その答申を受けて不服申立てに対する結論を出すことになります。不服申立人(本件の場合、私)は、情報公開審査会に対して意見書を提出したり、口頭で意見を述べることができます。
その間、厚生労働省の対応については、克明に「週刊!木村剛」にアップしていくつもりです。地道ですが、そういう手続きを着実にこなしていくことによって、厚生労働省を信用してよいか否かが、多くの国民にとって明らかになってくるはずです。
そして不服申立てを行なっても、厚生労働省が「ウルセぇ、愚かな国民は俺の言うとおりにしていればいいんだよ!」と言わんばかりの対応に終始するようであれば、やはり、私が当初より主張していたように、国民にとっての選択肢は「年金脱退論」しかないように思います。
「チップを弾むから勇気を分けてくれないか」さんが指摘しているように、全ての国民が関わる年金制度は「KISSの法則(Keep It Simple, Stupid!)」にしたがって、極めてシンプルでわかりやすい制度にする必要があります。坂口力厚生労働大臣を抱えている公明党の議員の皆さん、厚生労働省とグルだと思われたままで良いのですか?
そこで本日は、フジTV「報道2001」の番組で年金問題に関してご一緒した公明党の高木陽介氏(東京比例区)に前回と同様の公開質問状を送付いたします。簡単な設問ですので、誠に勝手ながら、締め切りは5月28日にセットさせていただきます。東京都の有権者の皆さん、公明党支持者の皆さん、なるべく早く回答を返信するように、高木議員にご連絡してあげてください。なお、厚生労働省年金局の高橋直人総務課長に対しても、念のため、公開質問状を送らせていただきます。(締め切りは5月28日)
これで両者から何らご回答がないようであれば、公明党と厚生労働省はグルになって、生データを国民に開示しないように画策していると思われても致し方ないと思いますが、そうではないことを祈っております。なお、菅直人氏が辞任し、岡田克也氏が民主党の新しい党首に就任されるようですので、同じ内容の公開質問状を岡田氏にもお送りしておきたいと思います。。(締め切りは5月28日)
さあ、どうなるでしょうか?
2004 05 19 [05. 年金問題を斬る] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。このまま放置しておくと、年金問題は病膏肓に入ってしまいそうです。「匍匐前進の日々」さんが「TVを見てると年金未納の政治家に突っ込むマスコミばかりが目についてウンザリだ」と怒りを爆発させていたり、「英国留学日記」さんが「私は最近の報道にはややうんざりしています。もちろん、国民を代表する国会議員が年金を支払っていなかったのは問題です。しかし、今、私たちがしなければいけないことは、このままでは将来的に本当に破綻しかねない私たちの年金制度をどうすべきなのか早急に結論を出すべきだということです」と書いていますが、私も「もうマスコミは未納議員が何人だとかいう報道に時間を割かないで欲しいです」(by「レビューのとらお」さん)と心の底から思います。
「MENTHOL BLOG」さんが力説していますが、「年金未納・未加入の問題は拍車がかかるばかり・・・政治家だけでなく、ジャーナリストにまで問題が及んできていて、段々と本筋に戻れなくなっている。政治不信に続いて、続くは報道不信になりかねないです。今後は、北朝鮮の問題にマスメディアの関心が移っていき、年金問題はどっかにふっとんでしまう可能性大です」という点に、私たちは十分留意しなければなりません。
しかも、5月14日の日経新聞の朝刊に「年金未納者の罰金上げ」というトップ記事が掲載されています。保険料未納者への強制徴収で財産調査を拒否すれば、最高30万円の罰金を科す仕組みを導入するというんですね。
これは危険信号です。
どうも厚生労働省は、当初からの計画通りに「年金問題の根幹は無責任な未納者である」という世論作りを展開し、そもそもの年金制度の欠陥や自らの無駄遣いの問題などを封印してしまうつもりのようです。そういう霞ヶ関の行動を監視し、警告を発するのがマスコミの役割であるはずなのに、彼らの計画にのせられて「未納問題」で盛り上がるマスコミは本当にアホなピエロです。官僚たちがほくそえんでいる様がみえるようです。
「大牟田からのつぶやき」さんは、「未納問題は年金問題の本筋じゃないというのは全くそのとおりで、わたしらのようなアホではなくそれなりの識見を持っているはずの国会議員諸氏でさえ理解できなかったり、関心がなかったりすることに驚きを覚える」と指摘していらっしゃいますが、おそらく「週刊!木村剛」を読んでいる多くの人々は、「未納」が年金問題の根幹ではないことに気付いていると思います。
未納は確かに問題ですが、仮に未納が完全になくなったとしても、年金問題は解決しないからです。「Kaleidoscape」さんが喝破しているように、「国会議員と言えど腐るほどいる未納国民の一人に過ぎないのだから、誰が未納だとか未加入だとかほじくり返したところで年金制度の未来がどうなるものではないし、本質的な問題が見過ごされていることに比べれば大騒ぎするほどのものではない」んですね。
こんな自明のことすら分からないで報道しているマスコミはあまりにも無知蒙昧です。マスコミ人は、「年金について、国会議員等の未納問題が新聞紙上をにぎわしておりますが、記事を読む限り、本人というよりも、システム(および運用する官庁)に問題があるとしか思えません。払う意思/能力がある人たちに対して、一言切り替えを通知すればすむだけの話が多いようなのです。それに対して、社会保険庁側から『過去はこうだったから、今後はこういうシステムにしよう』という話は聞こえてきません」と的確に指摘している「fareaster」さんに教えを乞うべきでしょう。
残念ながら(というか予想通りではありますが)、先週14日の締め切りまでに応えてくれたのは、河野太郎自民党議員(真の年金改革を進める議員の会)と古川元久民主党議員(年金問題を担当する『次の内閣』厚生労働大臣)の2人でした。しかし、ここで年金問題を追及する手を緩めては、厚生労働省の思惑通りになってしまいます。そこで私は、河野太郎氏と古川元久氏を招いて、公開討論会を開催する方向で調整しています。TVともうまくコラボレートできればいいんですが……(ご興味のあるTVディレクターの方、ご連絡ください)。
「あっという間のTV出演」(by「出逢い系ヲタ」さん)については、「チップを弾むから勇気を分けてくれないか」さんから、「もしかして、公開討論会の宣伝?」という読みを披露していただいていましたが、まさにそのとおりです ^^;)
なお、公開討論会だけでは迫力不足なので、厚生労働省に対して第二の矢を放とうと考えています。「自給自足生活」さんが指摘しているように、「役人の年金算出根拠の公開要求など、外側からじわじわ攻め込む作戦は、大変効果的」だからです。「Tinkle-Tinkle」さんが「公開されればあらゆるエキスパートが計算をおこなうでしょうから…楽しみですね」と言っていますが、そういう政策環境に変える努力をしてみたいと思います。
でもそのためには、多くの皆さんからの継続的な応援が必要です。「気まぐれ大統領の独裁Log」さんも「年金について駄文を書き捨ててみようと思ったけれども、面倒くさいのでやめる」なんて言っていないで、ドンドントラックバックしてください。皆さん、これからもトラックバックよろしくお願いします。
2004 05 18 [05. 年金問題を斬る] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。モノ書きの世界では、「脇が甘いようにみえる論理をそれとなく紛れ込ませておく」というテクニックを使う場合があります(ネットの世界では、「釣り」と言うんでしょうか)。書き手サイドは、そこにツッコマレルことを予想して、次の論理展開を仕込んでおくわけですが、それで論争が盛り上がり、予想していなかった面白いネタが次々とでてくることがあります。また、予想外の方向にいきなり展開するというハプニング的な議論のプロセスを楽しむことができたりします。
ただ、このテクニックの悩ましいところは、ツッコマレなければ面白くもなんともないので、議論の相手方がすぐにツッコムだけの知性と教養と瞬発力がないと成り立たないというところにあります。漫才でもそうですが、せっかくボケをかましているのに、相方がテンポ良くツッコミをしてくれないと、笑いは取れませんからねぇ。
その点、「週刊!木村剛」の読者からのツッコミは、強力かつド迫力で知的センスにあふれているものが少なくないので、こちらもボケ甲斐があるというものです ^^;) そういう意味で、「匿名の人はコミュニティを壊す権利を持っているのか?」を巡る議論や、「『月刊!木村剛』が進みはじめました」における方程式「転載≒リンク≒引用」についての皆さまからのツッコミを極めて貴重なご意見として承り、「ネット1年生」として一から勉強させていただいております。大変ありがとうございました。
ただ、トラックバックの中には、こちらの意図を感じ取っているプロの方も結構いらっしゃってドキッとしました。まあ、そこはお互い様。よくよく分かった上で、ボケとツッコミを演じながら、建設的な会話を盛り上げていくというのが、ブログにおけるコミュニケーションの醍醐味だと思うので、今後とも丁々発止でお付き合いください。
その中でも、良い意味で「ヤラレタ!」と一本取られたのが、「Philosophical」さんの「例によってこういった反応を引き出すためのツッコマビリティ(≒釣り)なんでしょうねぇ^^;」というくだり。この「ツッコマビリティ」には参りました。この「ツッコマビリティ」は、「かめはめ波」「ゴーログ効果」「glp」に次ぐ、「ゴーログ」における第4の専門用語として正式に認定したいと思います。
そこで、本日の「ゴーログ」では、皆さまからのトラックバックを踏まえたうえで、「引用」「リンク」「転載」についての暫定的な考え方を以下のように提示してみました。ご意見などあれば、またトラックバックしてください。
1. ブログ上の「週刊!木村剛」について ・ トラックバックの「引用」:原則として、原典を明示すれば自由とする。 ・ トラックバックへの「リンク」:原則として、自由とする。 ・ トラックバックの「転載」:原則として、原典を明示し、リンクした上であれば可とするが、「週刊!木村剛」からトラックバック(=「かめはめ波」)を発することにより、その事実をトラックバック元の著者に通知する。トラックバック元の著者が「転載」を拒否する場合には、可及的速やかに削除し、リンクのみの扱いとする(ただし、リンクのみでは読者に対する訴求感が弱い場合は、全面削除とする場合もある)。例示的に言うと、「かめはめ波」に関する「ひとこと」さんのようなケースは、「全文に近い引用」(≠「転載」)と考えるが、「転載」に近い扱いとしトラックバックを打つ。トラックバック元の著者が「全文に近い引用」を嫌う場合は全面削除する。 2. 書籍の「月刊!木村剛」について ・ トラックバックの「引用」:原則として、原典を明示すれば自由とする。「てにをは」などの微調整は編集者に委ねる。残念ながら、対価は支払われない。 ・ トラックバックの「転載」:原則として、原典を明示し、著者の了承を得た上で掲載する。「てにをは」などの微調整は編集者に委ねる。対価については、出版社と相談する(ただし、あまり多くを期待しないでください ^^; 転載した「月刊!木村剛」を贈呈するとか、になるのかもしれません)。 ・ トラックバックの「全文に近い引用」:原則として、「転載」と同様の扱いとするが、ケースバイケースで判断する。例示的に言うと、「かめはめ波」に関する「ひとこと」さんのケースは「転載」と同様の扱いとし、著者の了承を得る。対価については、出版社と相談する。 3. ローカルルールの適用等について ・ 上記1.2.については、「週刊!木村剛」にトラックバックする場合のローカルルールとし、「週刊!木村剛」のページ上に「トラックバックの際の留意点」として明記する。「月刊!木村剛」に引用もしくは掲載される可能性について言及する ・ 「週刊!木村剛」がトラックバックに言及する場合は、原則として、原典を明示し、リンクした上で、トラックバック(=「かめはめ波」)を打つ(「ひとこと」さん、申し訳ありませんでした。トラックバックしていたつもりが、先週まで単なるリンクのみになっておりました=いわゆる「間接かめはめ波」。今後気をつけます)。 ・ 「月刊!木村剛」が一定の目標部数を超えたら、イベントを開催して、それまでに掲載された方を御招待する(「PurpleMoon」さんのアイデアを採用させていただきました)。
少しずつ、「月刊!木村剛」の実現に近づいております。これからも、「ツッコマビリティ」をさりげなく挿入していく所存ですので、ためらわずにドンドンとツッコンでください。よろしくお願い申し上げます。
2004 05 17 [01. ブログ万歳ココログ三昧, 03. イベント大特集] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。先週土曜日から、新企画「BLOG of the Week」がスタートしておりますが、これは、トラックバックしていただいた方々を中心に、私が独断と偏見でお気に入りのブログを毎週一つ選んでご紹介するというコーナーです。したがって、月~木曜日は「ゴーログ」、金曜日は「コラム」、土曜日は「BLOG of the Week」という構成になっておりますので、週末も是非お楽しみください。
さて、第2回「BLOG of the Week」において私が選んだのは、「結茶場Me家」さんによる「[ゴーログ]と同じくらいビックリしてしまいました」というタイトルのエッセイです。これは、田中康夫長野県知事が「長野県」を「信州」という名称に変更するという話が盛り上がっていたときに、なんと「信・州」と「長野・県」という名前で姓名判断をしてみたことを綴った洒落っ気に満ちた文章です。
ちなみに、私の姓名判断もしていただいておりまして、まさしくビックリの結論をいただきました。特に、「外見からは想像もつかないが、内心は気苦労多いので、“腹部の病は必ず発する(これって腰痛も!?)”」というところには、痛みをこらえつつ感銘いたしました(GWに発病した腰痛はまだ完治しておりません)。皆さんもお楽しみください。
[ゴーログ]と同じくらいビックリしてしまいました (⌒▽⌒;)!! 先日、当店(結茶場 Me家)で『信州vs長野県!どっちが賢明だ!!』という、思い付きの小規模討論会を開催し激論を戦わせた(?)のですが、「姓名判断で決めればイイんじゃない?」という一人の意見にみんながこぞって賛成してしまったために、いつの間にか、討論会が姓名判断大会に様変わりしてしまいました・・・(;^_^A 。・・・・・・(中略)・・・・・・ その時にふと思い付いたんです!! 「木村さんみたいなキレ者有名人の方は、どんな星の下に生まれたんだろう?」って・・・w( ̄o ̄)w オオー!! 善は急げということで(?)、早速、「比較的いちばん当たるのでは」と思われる姓名判断を使って調べさせていただきました。そうしたら、なんと!恐るべき結果が出てしまいましたw( ̄△ ̄;)wおおっ!! 人に従うより自分から行動を起こすことが好きな性格で、旺盛な独立心を持つ人です。独特の風格を備え、様々な場面でリーダー的な存在を担うことが多いでしょう。強固な精神力を持ち、どのような困難を前にしてもそれを乗り越えていくことができます。自らの信念のもとに、着実に目標を達成していくでしょう。また、人一倍正義感が強く、曲がったことを嫌うようです。その真面目で実直な人柄に信頼を寄せる人も多いでしょう。 ・・・・・だそうです。こっ、これって、まさに“木村剛”さんのことじゃないですかΣ(゜◇゜;) ゲッ!?しかも、大吉数と中吉数だけで占められていますよっ!! 人生の成功を絵に描いたような名前じゃないっスかっ!! それに・・・、独特の風格も含め、『名は体を現(表)す』を完全に“体現”しちゃってるじゃないですか!! ・・・・・・(中略)・・・・・・ また、別の姓名判断によると、「外見からは想像もつかないが、内心は気苦労多いので、“腹部の病は必ず発する(これって腰痛も!?)”」だそうです。くれぐれも健康には気を付けて下さい。・・・・・・(中略)・・・・・・ ちなみに、“信州”と改名した場合の結果ですが、姓を“信”、名を“州”。性別を“男”で鑑定した場合、 あなたは大きな波乱もなく、落ち着いた平穏な人生を送ることができるようです。仕事や家庭など、何事もわりと順調に進展しトラブルなどとも無縁なようです。一歩一歩踏みしめるようにしながら、成功へと向かっていくことになるでしょう。経済的にも社会的な地位にも恵まれる運のようですから、幅広い才能を徐々に駆使していくことで、大きな名声を勝ち取るような発展を遂げていけるかもしれません。天狗にはならないよう注意しましょう。 ・・・・・だそうです。“長野県”のどこまでが姓で、どこまでが名で、しかも、性別、婚姻の別によっても変わってきてしまいますが・・・(^。^;)、今のところ・・・“信州”に改名した方が良さそうです・・・(^^;;。
(追伸)「結茶場Me家」さん、読者の利便に資するために貴ブログにリンクした上で、かなりの分量の文章を掲載しておりますが、問題があればご一報ください。
2004 05 15 [22. BLOG of the Week] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。毎週金曜日恒例のコラムの日です。商売柄、マスコミとのおつきあいは色々とありますが、最後の牛丼大追跡や鳥インフルエンザ狂騒記など必要以上に過度な演出がみられるケースが多くなっているような気がします。最近では、公的年金に関する「未納」問題への執着が異常です。その結果として、問題の本質からドンドン離れているように思われてなりません。
また最近では、プライバシー情報の漏洩について、企業の管理体制の不備を叩く記事が少なからず見られますが、現在問題となっている「未納」の有無などは明らかなプライバシー情報であるような感じもしますし(そういえば、辞任した福田前官房長官もそうおっじゃっていましたなあ)、この間も、田中真紀子元外相の長女の離婚記事を巡る出版差し止め事件で「報道の自由」と「プライバシー保護」という問題も提起されていました。
そこで、今日は、情報を公開することを生業とするマスコミのプライバシーの取扱いについて、日頃感じるところを書いてみたいと思います。
絵空事ではない「マトリックス」の世界
映画「マトリックス」に詳しい方も多いと思うが、拙い私の理解では、「マトリックス」とは、人工知能という「機械」が作り出す仮想現実に「人間」が支配される世界で、人間が機械に監視されていることに気づき、覚醒し、人間としてもう一度やり直すために監視者である人工知能と戦う生き様を描いた作品といえると思う。映画では、果たして人間がみている現実が本当の真実なのか、また、人間は現実の世界を知るということの苦痛に耐えられるのかとか、あるいは、監視されたままの方が幸せなのではないかという問いかけを発しているようにも感じられる。
このような問いかけは、「マトリックス」だけに限らず、多くの映画や小説でテーマとして採り上げられて続けてきた。イギリスでは昨年来、作家ジョージ・オーウェルの生誕100年を機に、小説「1984」が舞台で復活上演されるようになったという。1914年に書かれた小説「1984」では、ビッグ・ブラザーという政治的権力がいかに全体主義社会を維持するかが描かれている。
至るところに監視スクリーンが設置され、全ての言動や表情が管理・統制される世界。権力に歯向かえば人々は逮捕され、再教育あるいは拷問を受け、改善の見込みがなければ抹殺されもする。要するに、「プライバシー」のない世界だ。
オーウェル劇の復活は、オーウェル生誕100年ということのみならず、イギリス国内でテロリズムと犯罪への対策強化の一環として監視体制を強化する政府の動きに対応して、人々が本当の「プライバシー」の意味を再考し始めている証左として興味深い。
じつは、知らない間に監視されているという状況は、すでにわれわれの生活の中では防犯カメラなどで日常的なものとなっている。企業が従業員の電子メールやウェブ閲覧状況を監視するということも、いまや常識となりつつある。インターネットでのオンライン購入履歴は消費者の「プライバシー」に関する情報で溢れ、例えば、こっそりある商品を買ったつもりでも、いつの間にか情報がどこかに漏れて、アクセスしたこともない別の会社から同様の商品のダイレクトメールが届くこともある。
オンライン購入を通じて、あるウェブサイトへアクセスしたという個人のアクセス情報はそのサイトの広告収入として換金されているようなもので、今や「プライバシー」は売買対象となっている観がある。
本来「プライバシー」という言葉は、一般に、個人の決断に政府を干渉させない権利、私生活をみだりに公開されない法的保障ないし権利のことを指す。要は、他人に知られたくない、一人で放っておいてもらいたいと感じる情報領域のことである。
もっともわが国では、「プライバシー」という語感にフィットするうまい日本語がない。実際、家には本名で表札を掲げ、家族全員の名前を掲げる場合も多い。名前、住所、電話番号などの個人情報は電話帳や学校のクラス名簿・OB会名簿などに堂々と掲載されている。会員制組織に入会する際に、何の抵抗もなく名前、住所、電話番号からクレジットカード番号まで記入したりする。要するに、「プライバシー」には鈍感なお国柄なのだ。
このような現実の中においては、わが国における「プライバシー」とは一体何なのか、という根本的な定義をクリアしておかなければ、生産的な議論ができないのではないかという危惧を感じる。
「知る権利」とプライバシーとのバランス
いまマスコミは、企業の顧客情報漏洩を問題視して、連日その不始末を書きたてている。その記事を読んでいると、「そのとおりだ」と思う一方で、「でも、プライバシー保護の必要性を感じているマスコミ人は本当にいるのだろうか」と疑念を持ったりもする。
というのも、「プライバシー」の重要性を唱えているマスコミ自身が「プライバシー」の保護に一番鈍感だったりするからだ。私自身、竹中プランの騒動のときに、ある週刊誌に自宅の写真を撮られたため、不審な男たちが近所を徘徊するようになり、万が一のことを考えて、家族の引越しを余儀なくさせられたという苦い経験を持っている。私の自宅を公にさらすことに何の意味があるのか、全く理解不可能だ。個人的には、あのときの引越関連費用を支払ってもらいたいと今でも恨みに思っている。
「プライバシー」とは何か?
護られるべき「プライバシー」とはどういうものか?
報道されても致し方ない「プライバシー」はどこまでなのか?
国民の「知る権利」と「プライバシー」のバランスはどのように考えるべきなのか?
そういうことをもっと真剣に論じるべきなのではないだろうか。そうすれば、わが国におけるマスコミ報道というものも、本物のジャーナリズムなのか、それとも単なるノゾキ趣味なのかが判然としてくるに違いない。そうなると、3月に起きた田中真紀子元外相の長女に関する週刊文春の差し止め事件についても整然と理解することができるようになるだろう。現在のように、「顧客情報の流出=プライバシーの侵害」という短絡的な報道ばかりが蔓延してしまうと、物事の本質をわきまえないままで、将来の役に立たない低レベルの評論が蔓延するだけなのではないか。
週刊文春の差し止め事件について、少なからぬマスコミは、田中真紀子氏の長女の離婚問題を「プライバシー権侵害」ではなく、「知る権利」あるいは「表現の自由」だと主張している。田中真紀子氏長女の訴訟における東京高裁決定は、「出版の事前差し止めは認められない」としたものの、「記事は私人にすぎない田中元外相の長女らの私事を、公共の利害に関する事項にかかるものと解することはできず、また専ら公益を図る目的もないでないことが明白」として、文春側の「プライバシー」侵害を明白に認めた。
いくら元外相の政治家だとはいえ、その長女の「プライバシー」を暴くことが「表現の自由」だと本当に主張できるものなのかどうなのか。この問題については、一家言持っている専門家がそれこそ山ほどいるので深入りするつもりはないが、普通の感覚で言えば、マスコミが「知る権利」を主張して明らかにすべき事実は、重箱の隅をつつくような個人の離婚問題などではなく、公的年金の根本問題などのより重要な問題なのではあるまいか。私は、それが、一般市民の偽らざる気持ちだと思う。
本来なら「知る権利」の本質とは何かということを真っ先に問うべき立場にあるわが国のマスコミは、政治家の子女の離婚問題をほじくりかえすとか、年金の未納問題ばかりを追い掛け回すという、本質から外れた「プライバシー」の覗き見趣味を発揮しているだけなのではあるまいか。
「本物のプライバシー」とは何か?
先日、有名な新興大企業を率いている、ある創業社長にお会いした。古ぼけたペンシルビル3階のみすぼらしい社長室に通された私は、この堂々たるみすぼらしさに、逆に、この創業社長の隆々たる自信を感じさせられた。1時間に亘り色々と経営についてお話をうかがったのだが、中でも圧倒されたのは「プライバシー」の秘匿に関する部分だった。
まずこの社長は、自分の写真を撮らせない。マスコミのインタビューにも絶対に応じない。「とにかく目立たないようにしている」と言う(私の場合、完全に失格だ!)。都内に5つほど自宅を構えているが、それぞれ別人の名前をポストに掲示している。他人になりすますわけだ。ガスや水道そして電話代も自分の名義では支払っていない。「他人になりすますことによる弊害は何もない」と断言していたのが印象的だった。
さらに驚いたのは、自分の子供たちに対しても、自分が社長であることは教えないという。「山の別荘によく行っているから、子供たちはキコリだとでも思っているんじゃないか」と笑っていた。「情報というものは、意外に子供たちから洩れるから気をつけたほうがいい」ということのようだ。子供たちが中学生になって分別がつくようになってから、自分が社長であることや仕事の内容を教えるのだという。これらは、誘拐を未然に防ぐために編み出した、この創業社長なりの実践的な知恵なのだ。
一言で顧客情報といっても、財産の金額や罹っている病気などという本当に重大なプライバシーに関わるものから、「名前と住所と電話番号という基本セット」にとどまるものまで様々である。そして、現在マスコミに報道されている顧客情報の漏洩においては、「名前と住所と電話番号という基本セット」に過ぎない場合も多い。無論、それが問題ではないというつもりはない。先ほどご紹介した創業社長であれば、それらの「基本セット」は間違いなく「プライバシー」であろう。何しろ本人は、その情報を知られないために、涙ぐましい努力を傾けているからだ。
しかし普通の人々には、この創業社長ほどの切迫感はあるまい。何かに入会するときに、「住所や電話番号は書かない」と駄々を捏ねる人の方が珍しいと思うし、名簿作りに協力しないと村八分になるかもしれない。友達同士でも、「あいつの電話番号知ってる?」「ああ、090-XXXX-XXXXだよ」「サンキュー」と会話しているのではないか。「あいつの電話番号は、あいつのプライバシーだから、俺からお前には教えられない」などという律儀な人は何人いるだろう。そういう風に考えていくと、ますます「プライバシーとは何か」という問題に囚われて悩んでしまいそうだ。
マスコミは「情報」を公開することが生業である。そうであれば、自らの職業において極めて重要な要素となっている「情報」というものについて、もっとセンシティブでプロフェッショナルな扱いをすべきなのではないか。少なくとも、護られるべきプライバシー情報と、公開されてもよいプライバシー情報と、公開が前提となるパブリック情報という、それぞれの情報の範囲を明確に意識した報道を求めたい。
そして、「私人にすぎない田中元外相の長女らの私事」や「未納何十兄弟がどうした」などではなく、本当に「公共の利害に関する事項にかかるもの」や「専ら公益を図る目的」の記事を読ませていただきたいと思う。
2004 05 14 [08. メディア/広告の将来を占う] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。件の実名・匿名論争に際して、「要するに、木村は匿名が嫌いなんだろ」という風に思われた方も少なくないかもしれませんが、じつはそういうわけではありません。意外にも「匿名性は重要だ」と考えているのです。
「匿名性」に関する私のポジションは、ちょっぴり複雑なので、「正確にお伝えするには、かなり長い解説が必要かなあ」などと考え込んでいたときに、「スズメの巣」さんから、「人生の大半を実名の人として過ごしてきたきむたけさんと、特別な努力を払わない限り匿名として扱われるネットワーカー(もっと恥ずかしい言い方はないかしら)たちとの意識のズレが明らかになった記事+トラックパック集ですね」というご指摘をいただいて、頭の中が整理されましたので、「匿名性」に関連する私の一考を書き連ねてみたいと思います。
実名・匿名論争に飽きて「面白くない」と怒り心頭の「チップを弾むから勇気を分けてくれないか」さん、ごめんなさい。これで、しばらくこのネタは封印しますので、今回だけはお付き合いを ^^;) 「週刊!木村剛」では、これまで何度か「匿名性」に絡んで、ネタをアップしていますが、本日書き記す私の一考を読んでいただいた上で、もう一度読み返していただけると、私なりにそれなりに考えた上で発言していることを少しはご理解いただけることと思います。
私はモノ書きとしては、ペンネームの時代を含めますと、すでに15年以上のキャリアを持っています。ネットワーカーとしては、ニフティの初期にちょっぴりやっていただけで、本格的に再開したのは本年2月のブログからということになりますので、せいぜい足し上げましても1年の経験ということになるでしょうか。
モノ書きが15年でネットワーカーとしては1年ですから、ちょうど皆さんとは逆の経験を積んでいると言えるのかもしれません。私は「モノ書き→ネットワーカー」で、皆さんは「ネットワーカー→モノ書き」ということになりましょうか。
公の世界で、実名のモノ書きとして他者を厳しく批判するというのは、かなりの覚悟を必要とします。その対象がエスタブリッシュメントであればあるほど、相当のエネルギーとコストをかけておかなければ、自分が撃たれるからです。これは、批判されるとか・されないとか、誹謗中傷されるとか・されないという次元の話ではなく、経済的もしくは社会的に葬り去られるというリスクがあるということです。
まず、モノ書きは逃げることができません。それは、常に訴訟のリスクがあるということを意味しています。そして、皆さんが考えられている以上に、批判する文章に対する訴訟というものは頻繁に提起されています。したがって、批判する場合には、訴訟されても勝てる、あるいは裁判で負けない、もしくは負けたとしても書かなければならない、といういずれかの判断が必要になります。
その際、認識しておかなければならないのは、いかなる文章に対しても、慰謝料や損害賠償を求めて名誉毀損を訴えることはできるという事実です。すなわち、批判された側は、常に名誉毀損だとして訴える権利を留保しており、訴える際において「名誉毀損か否か」を判断するのは批判された側であるということです。書いた側が「この程度は名誉毀損に当たらない」と判断したところで何の抗弁にもなりませんし、「第三者からみても名誉毀損ではない」と主張しても「それは裁判所で判断してもらいましょう」ということになるだけです。また、「私は無名で影響力がないので問題ない」というのも言い訳になりません。
さらに、認識しておかねばならないのは、訴える側は裁判で勝つことを目的にしなくてもよいということです。裁判費用というのは意外にかかるものですし、準備もかなり面倒くさいので、長期戦になればなるほど、小資本のモノ書きは不利になり、大資本のエスタブリッシュメントが優位に立つという図式になっているからです。
また、書いた側がサラリーマンモノ書きなどの場合には、裁判になっているという事実だけで会社との関係が不味くなるでしょうし、仕事を抜け出して平日に開催される裁判所に行くことすら大きな負担になるでしょう。名誉毀損の慰謝料もしくは損害賠償額については、長い間、せいぜい100万円という時代が続いていましたが、最近は多少高くなってきており、1000万円を超えるケースも出てきました。
つまり、モノ書きの場合は、上述の現実を踏まえた上でも、なお、裁判になった場合には世論を味方につけることができると読む、または、裁判になっても揚げ足を取られないようなテクニックで書く、もしくはすべて腹を括った上で書く、ということになります。
また、モノ書きになれば、他のモノ書きから批判されたり、誹謗中傷・罵詈雑言されることは当たり前という世界に身を投じることにもなります(それが嫌なら、モノ書きになるべきではありません)。その際、モノ書きの世界では、原則として公の言論で決するという不文律はあるような(ないような)という感じです。
例えば、道路公団の民営化に関して、「偽りの民営化」(WAC出版)という本を書いた田中一昭氏(元民営化委員会委員長代理)に対して、猪瀬直樹氏が内容証明郵便を出して名誉毀損の訴えを仄めかしたという報道もありますから、決して御法度ということでもないのでしょう。
私自身に関して申し上げると、根拠のない誹謗中傷を繰り返す特定の方が何人かいらっしゃいますので、そうした方々への反論は、一般論に噛み砕いたうえで、公の場で議論を戦わせるということを基本としております。また同時並行的に、そうした方々に対しては、訴えて勝訴した場合に相手方に致命傷を負わすことができるだけの損害賠償請求の材料を集めるという作業も一応はしております(でも、そういう人々は、裁判になっても揚げ足を取られないような叙述テクニックがウマイんですね。これは、わが身を護る上で大変勉強になっています)。
さて、モノ書きの世界というのは、一面でこのように互いに身を削り合うシビアな世界でもありますから、皆さんご存知のように、裁判沙汰で有名な「噂の真相」が裁判の負担に耐えかねて廃刊に追い込まれたりしているという現実があるわけです。この「噂の真相」の廃刊についても賛否両論があるわけで、誹謗中傷された人たちは廃刊は当たり前だと思っておりますが、言論の自由を重んじる文化人の中には廃刊を問題視する方々も少なからずいるわけです。
私個人としては、「噂の真相」という雑誌はあまり好きではありませんでした。しかし、「自由な言論の場を護る」という意味で、「噂の真相」が存在していることの社会的な意義については評価していましたので、廃刊は残念です。先述しましたように、大資本のエスタブリッシュメントの力はものすごく強力ですから、裁判沙汰にさえすれば言論を封殺することができるということになると、極めて危険だからです。
そこで重要になってくるのが、「噂の真相」の代替を果たすメディアはあるのかということです。じつは、「噂の真相」が廃刊になったいま、日本における「自由な言論の場を護る」という意味で極めて重要なのが「2ちゃんねる」になっているのです。そして、その「自由な言論の場を護る」という役割を果たしているのが、ひろゆき氏であるわけです。
「PurpleMoon」さんが「だからホントに、誰とも知れないユーザーの発言の責任を取ってわざわざ自ら裁判所に出向くひろゆき氏は、良くやるなぁ…と思っちゃいます」と書いているように、私も、訴えられることにひるまない、ひろゆき氏の行動は素直にスゴイと思います。正直、ああいう闘い方は卓越した才能だと思います。もしも、ひろゆき氏が普通のサラリーマンだったならば、まず、同様の行動をとることはできなかったでしょう。
いずれにしても、現時点におけるネット上の「言論の自由」というものは、ここまで述べてきた「訴えられるリスク」というものを、ある意味で、ひろゆき氏が象徴的に「2ちゃんねる」の管理人として一手に引き受けているからかろうじて護られているのだという現状をきちんと認識することが必要であろうと思います。
その、ひろゆき氏が必死で護っている「2ちゃんねる」という枠組みの中で、匿名性というセーフティネットに包まれているから、「2ちゃんねる」のユーザーは言論の自由(誹謗中傷や罵詈雑言を含む)を謳歌できるわけです。私自身は「2ちゃんねる」をあまり好きではありませんが、そういう意味での「2ちゃんねる」の重要性については強く認識しています。
その意味で、ひろゆき氏は極めて賢い仕組みを作りました。「私はその書き手ではない。掲示板の管理者にすぎないから、書かれた内容には責任をとりかねる」という大原則を盾にして「2ちゃんねる」というインフラを護りながら、書き手については匿名性というセーフティネットを与えるという二重のディフェンスをしてくれているわけです。さらに申し上げると、インフラを支えているIT企業に対しても、「2ちゃんねるは、ひろゆき氏がやっているサービスであって、われわれには関係のないことだ」という言い訳までできるようになっているところがディフェンスとして極めて優れています。
しかし、ネット界だけではなく、世の中的に「2ちゃんねる」の認知度が上がり、ひろゆき氏の社会的なステータスが上がってきたときに、どのように「自由な言論の場を護る」のかということを真剣に考えておかないと、「噂の真相」の次に狙われる格好の標的になるということは覚悟しておいた方がよいようにも思われます。というのは、メディアとしての「2ちゃんねる」の構造自体は、新聞や雑誌と何ら変わるところがないからです。
新聞や雑誌においても匿名記事は数多くあるわけですが、その内容については、新聞社や雑誌社の責任が問われることは論をまちません。また、匿名記事だからといって、訴訟から逃れられるわけでもありません。その新聞社や雑誌社との関係にもよりますが、訴えられたときに匿名記事の書き手が新聞社や雑誌社から訴えられる可能性すらあり得ます。「2ちゃんねる」のユーザーは、ひろゆき氏が自らが訴えられたときに、ユーザーを訴えようと考えない寛容な心の持ち主であることにもっと感謝すべきです。
つまり、「特別な努力を払わない限り匿名として扱われるネットワーカー」の「匿名性」とは、自然発生的に護られているものなのでは決してないということです。それは、ひろゆき氏の勇気と善意にかなりの部分が支えられているということなのです。つまり、ユーザー自身が勝ち取った自由ではないということです。
もしも、ひろゆき氏がエスタブリッシュメントの圧力にすぐに屈してしまっていたとしたら、「2ちゃんねる」の匿名性は護られたでしょうか。あるいは、仮にひろゆき氏が求められるままにアドレスを開示したとして、ユーザーはひろゆき氏を責める権利を持っているでしょうか。個人情報の保護を声高に叫ぶだけの対価をひろゆき氏に支払っているでしょうか。
あるいは、「2ちゃんねる」という防波堤がなかったとしたときに、IT企業に対して直接名誉毀損の訴えを起こされたとしたら、IT企業は立っていられたでしょうか。ひろゆき氏と同じように、「われわれはITを提供しているにすぎないから、書かれた内容には責任をとりかねる」という説明をするだけで社会的に許されたでしょうか。
ネット関係のIT企業はリテール向けのサービスも提供しています。訴える側は、「この家電製品を売っているメーカーは、匿名のこんな誹謗中傷を放置しているような企業なんだ。そんなところを信用できますか」という搦め手も同時に使って攻めてくるでしょう。IT企業には絶対に護らなければならない社会的なステータスというものがあります。そういう搦め手には脆弱な面があるのです。
つまり、「ひろゆき氏+2ちゃんねる+匿名性」という偶然(?)の組み合わせが、ネットワーカーを「訴訟されるリスク」から護ってくれているわけで、これは権利でもなんでもなく、単なる事実上のラッキーなんですね。そういう現状を踏まえた上で、敢えて私の立場を申し上げると、「匿名はケシカラン」ということではないのです。私は、ネットを活用していらっしゃる方々に、「匿名性の下での言論の自由」というものをもっともっと大切に扱っていただきたいと申し上げたいのです。
さて、そこで問題となってくるのが「ブログ」です。ブログには、護ってくれる頼もしき管理人=ひろゆき氏はおりません。というのは、管理人は皆さん自身だからです。また、実名でなくともよいとはいえ、「2ちゃんねる」と比べればかなり特定されることになるでしょうし、批判された側が訴えることを決定し、関係するIT企業に対して「訴状を送りたいので、ブロガーの連絡先を教えてもらいたい」と正式に申し込んできた場合に完全拒否することは現実問題として難しそうです。しかも、「発言者=管理者」という構図なのですから、ひろゆき氏流の巧みなディフェンスも通用しません。
つまり、「ブログ」は、皆さんが個人で公に向かって発行している新聞であり雑誌なのであって、その言論の責任は皆さんが個人で背負っているということなのです。これは、ひろゆき氏によって、巧みにしかも無料で護ってもらっている「2ちゃんねる」とは全く違う世界だということを認識すべきです。「PurpleMoon」さんも「先日、わたしのところへ、とある企業さんから『この記事を修正しないと裁判も辞さない』という、脅しとも取れる内容の警告メールが届きました。もちろん、すっごい嫌な気分ですが(笑)、こういうものがまさに、わたしに与えられた『表現の自由』に伴う『責任』なのでしょう」という経験をしていらっしゃるそうですが、それはすべてのブロガーにとっての現実なのです。
したがって、他者を批判する場合には、「訴えられるかもしれない」という覚悟が必要なのです。私が3月16日の「Blogの未来はブロガーが創る」において、「個人的には、匿名性というセーフティネットに護られたネットにおける言論活動であったとしても、『殴られるかもしれない至近距離においても、面と向かって言うことができる内容、もしくは言わなければならないという覚悟を持った内容であることを望みたい』と思っています」と書いた背景にはそういう認識があります。
そのときのトラックバックや今回の一連のトラックバックを読んでいて感じましたが、いわゆるネット経験が長い方ほど、「実名でも匿名でも荒れるものは荒れる」「匿名を問題視するのなら、ネットデビューすべきではない」という書き方をしていらっしゃいます。モノ書き出身の私には、そこの点に少し違和感を覚えます。
というのは、いわゆるBBSの世界から「ブログ」の世界への移行は、単なるツールの変更にとどまらない可能性を含んでいるからです。他者を批判しているブロガーの方々は、ひろゆき氏並みの覚悟をお持ちでしょうか。ほとんどの方はブログではない本業によって生計を立てていらっしゃると思いますが、批判された側から訴えられたときの本業のダメージまで覚悟しているでしょうか。
訴えられたら、関連文書を削除したり、ハンドルネームを変えさせすれば許されると考えてはいないでしょうか。関連文書を削除したり、ハンドルネームを変えたところで、訴訟は取り下げられるとは限りません。訴える側が本気で一罰百戒を狙うならば、ブロガーは社会的に葬り去られる危険に間違いなくさらされます。簡単な話です。ブロガーを訴えて、訴えた事実を記した書面を、ブロガーが勤めている会社の社長に送りつければ、通常の場合それでゲームオーバーだからです。
その意味では、「PurpleMoon」さん自身に対して、警告メールを送るような企業はまだ紳士的なんです。先方が真剣に叩くことを考えているケースだったら、「PurpleMoon」さんの所属を突き止めた上で、会社の上司に対して、いきなり、「お宅では従業員の管理責任はどうなっているんだ」などとやりかねないんですから。
また、「誹謗中傷や罵詈雑言はリアルな世界でも日常茶飯事だから、ネットでも同じじゃないか」という見解も少なからずみられましたが、それは明らかに違うと思います。リアルな世界での誹謗中傷は、それこそ本人のいない前でコソコソやっている行為だから、法的には名誉毀損であっても気付かれないので訴えられないし、裁判になっても証拠がないということにすぎません。ところが、ネットでの誹謗中傷はいずれ本人に気付かれますから訴えられる可能性は高まりますし、裁判の際の証拠もネット上に残っています。したがって、ネット上の方が法的には弱いとも言えるわけです。ただ、その弱さを「匿名性」が護ってくれているわけです。
その意味で、トラブルや裁判沙汰を常に覚悟しながら、エスタブリッシュメントの方々に対してかなり辛口の批判を繰り返しつつも、かろうじて15年以上サバイバルしてきた年長(?)のモノ書きの一人として申し上げると、「特別な努力を払わない限り匿名として扱われるネットワーカー」の方々のスルドイ毒舌は、羨ましくも、微笑ましくもありますが、その一方で、脆さや危うさを感じます。要するに、「訴えられるリスク」に対する感覚――自分に危害が与えられるかもしれないという意識――が希薄なのです。
そういう意味で、私は悲しい予言をしておかなければなりません。
もしも、「特別な努力を払わない限り匿名として扱われるネットワーカー」の方々の意識が何ら変わらないまま、「ブログ」の世界に移行していくとすれば、「訴えられるリスク」が最悪の形で実現するであろうということです。特に、「2ちゃんねる」のノリを「ブログ」にそのまま展開している方は本当に気をつけておかれた方がよいと思います。ひろゆき氏という頼もしいガードマンはいませんし、匿名性を「2ちゃんねる」のときと同じ様に確保し続けることは難しいからです。
そして、もしそういうことが露見すれば、日本という社会は必ず過剰反応に走ります(これはいくつも実例があります)。きっと、必要以上の過剰規制(もしくは自主規制)をする方向に行ってしまうでしょう。ネット上の世論がどうであろうとマスコミは関知しません。現実問題として、ネット上の言論はマスコミの敵でもありますし、彼らがネット上で展開している言論は彼ら自身の自主規制の下にありますから。
私が危惧するのは、そのときに「2ちゃんねる」も一緒くたにされて、新聞や雑誌と同じような管理人責任を求められる危険性があるということです。「2ちゃんねる」だけでなく、ブログを含んだネットコミュニケーションの問題として攻め立てられたら、ひろゆき氏の頑張りだけではどうしようもありません。規制強化がなされれば、「2ちゃんねる」はその良さを失ってしまうでしょう(「2ちゃんねる」は「ひろゆき氏の新聞である」と認定されてしまったら、それでもう御仕舞いです)。本当に「噂の真相」的なメディアは日本からなくなってしまうかもしれません。
突き詰めますと、「匿名性」についての私の関心は、「匿名性の下での言論の自由」が護られるか否かという点に集中しています。もう少し分かりやすく言えば、エスタブリッシュメントが本格的に「2ちゃんねる」の「匿名性」を問題視し始めたときに、世の中は「2ちゃんねる」を擁護してくれるでしょうか、という問い掛けなのです。
私自身は「匿名性の下での言論の自由」を尊重する立場(=「2ちゃんねる」擁護派)ですが、そういう状況になったときに、最前線に立って「2ちゃんねる」を護るか、と問われれば、かなり躊躇するでしょうね(あそこまでボロクソ書かれていりゃ~ねえ)。おそらく、「2ちゃんねる」を護る責任があるのは、それまで「2ちゃんねる」の下で「言論の自由(誹謗中傷や罵詈雑言を含む)」を楽しんでこられた方々になると思うのです。
そういう風に考えていくと、「匿名性の下での言論の自由」を将来的にも護っていきたいのであれば、「匿名性」に関して、世の中に受け入れられる自主ルールというものが必要になってくるということに気付かざるを得ません。くだらない誹謗中傷や罵詈雑言の自由を放任しているために、「匿名性」に対する嫌悪感を世の中で助長していくということが、真に護らなければならない「匿名性の下での言論の自由」を護っていく上で、如何に大きな障害となり得るのか、について思いを馳せなければならないように思います。
もし、「匿名性」のメリットを享受している方々が、「そうなったら、発言するのやめればいいだけじゃん」と軽くしか考えていないのであれば、「匿名性の下での言論の自由」など誰も身体を張って護ってはくれないでしょう。「匿名性の下での言論の自由」を護るのはネットワーカー自身であり、ネットワーカー以外にその価値の重要性を共有してくれる世の中の人はいないと思っておいたほうがよいと思います。残念ながら、これまでいただいたコメントを見る限り、「匿名性の下での言論の自由を楽しむ」という発想はあっても、「匿名性の下での言論の自由を護っていく」という視点はあまりみられなかったように感じます。
そういう意味で私は、「特別な努力を払わない限り匿名として扱われるネットワーカー」の方々に「匿名性」のありがたみをもっと大切にしてもらいたいのです。匿名であることに甘えた誹謗中傷や罵詈雑言を繰り返していると、「匿名性」を確保した上での「自由な言論の場」(「2ちゃんねる」などのBBS)は遅かれ早かれ実質的に閉ざされてしまう運命を避けられないのではないかと危惧します。
自らの意見を公にする方は、立派な社会人として扱われます。社会人として許されないことは、ネットの世界でも許されません。それは多くの方が指摘しているように、実名であろうが、匿名であろうが、同じことです。匿名であることに甘えて、必要以上の自由を謳歌すれば、いずれそのしっぺ返しは「匿名性の排除」という方向で跳ね返ってきます。
私はモノ書きとして、そして経営者として、「言論の自由」というものを確保していくために現実社会において闘い続けていくことの厳しさを体感しながら15年以上を過ごしてきました。皆さんのうちの少なからぬ方々のように、「言論の自由」は当たり前というカルチャーで育ってこられた場合とは感覚が違うかもしれませんが、私たちが住んでいる社会のリアルな現実を直視しておくことは少し必要なのではないかと感じます。
以上、多少皆さんよりは歳をとっている(しかし、皆さんよりもネット経験の少ない)モノ書きの老婆心でした。あ~あ、すいません、やっぱり長くなってしまいました。最後まで読んでいただいた方に深謝。
2004 05 13 [01. ブログ万歳ココログ三昧] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。「月刊!木村剛」計画は着々と進み始めました。複数の出版社さんから具体的な提案を持ってきていただく段取りになっております。「blogのトラックバックで本を作ろうとされる木村さんや編集者さんもすごいです」と「をとこもすなるblogといふものを」さんがおっしゃっていますが、私は、他の媒体が持っていないブログの生命線は「トラックバックを通じた読者とのコミュニケーションの面白さ」にあるのではないかと思っています。
ですから、「Tinkle-Tinkle」さんが「“月刊!木村剛”は、きっとブログと連動して、双方向参加があってこそ楽しいコミュニケーションをつくっていけるのではと、期待しています」と指摘してくれているように、そして「レビューのとらお」さんが「初心者向けに経営学とか、経済学とかを、トラックバックによるキャッチボールで進めていくような展開だったら、かなり面白い物が出来そうです」と書いてくれているように、さらに「くりおね あくえりあむ」さんが「トラックバックを集めたblog発bookなんてこれはまた面白そうな試みだなー。どんどん新しいものが生まれてきそうで、楽しそう」と期待してくれているように、「月刊!木村剛」では、皆さんからのトラックバックを大々的に取り上げていきたいと私は思っています。
そしてトラックバックをうまく取り上げていくことができれば、「『月刊!木村剛』こりゃ楽しみだっ。ブログとうまく融合しそう」と予感している「高嶺の花にくびったけ!!」さんの希望にも応えられると思いますし、「McDMaster」さんが言っているように、「『月刊!木村剛』にはブロガーという市民の感覚が息づいている」ということを実現できるんだろうと思うんです。
ただし、そのときに考え方を整理しておかなければならないのが、「引用」と「転載」の問題です。「ゴーログ」の売りは「読者からのトラックバックの引用」ですし、先の土曜日にスタートしました「BLOG of the Week」について私は、原則として「(ネット上の)転載」を基本にしたいと思っています。
まず、「引用」と「転載」に関する私の基本的な考え方を以下にお示ししたいと思います。
1. 文章を公にする著者は「引用」されることを拒んではならないというのが、私の基本スタンスです。「引用」を拒めば、コミュニケーションは成立しなくなり、さらに言えば、批判する表現手法も限定されますので、「言論の自由(批判の自由を含む)」を侵害しかねないからです(ただし、「引用」にあたっては、その原典を明示することは当然の義務であり、それを怠った場合は、著作権の侵害にあたります)。したがって、「引用」を拒みたい場合は、文章を公にすべきではないというのが、私のベースとなる考え方です。
2. さらに進んで私は、文章を公にする者は、「引用」されることを望んでいると考えています。なぜなら、不特定多数の人々に対して、自らの文章を開示するのは、自らの意見を見ず知らずの多くの人に読んでもらいたいという衝動の現れであり、賛同していただいて自分の主張を他の人々と共有したいという欲求に基づく著者の行動だと考えるからです。
3. そしてこういう考え方は、感情的にも是認され得るものだと私は考えています。著者にとって、読者からのレスポンスというものは何にも換えられないほどうれしいものです。「週刊!木村剛」における読者からのトラックバックは、私にとって珠玉の宝です。また、私からの「かめはめ波」もブログ先の著者にとって、私と同様、うれしいものであるだろう(そうでない場合もあるかもしれませんが……)と感じています。というのは、ポジティブなコミュニケーションは、楽しい共通体験を生み出すからです。したがって、そういうコミュニケーションの中での「引用」は奨励の対象になってもよい、とすら考えています。友人との会話でも「お前さあ、この間、こんなこと言ってたけど、俺はこう思うんだよね」とか言いますし、会議等では「○○さんは△△という意見だが、私はこうだ」など、コミュニケーションには「引用」が付き物ですよね。
4. 無論、他の方が批判を展開するために「引用」されることもあります。それは、感情的には不快であり、嫌なことではあります。しかし、それは「自らの意見を見ず知らずの多くの人にまで読んでもらいたい」という欲求を貫くためには避けることの出来ない代償であり、「賛同してもらって自分の主張を他人と共有したい」と思うのであれば、批判する方々を説得するためのコミュニケーションも必要となるでしょう。戦争中であっても互いの国の外交官は連絡を取り合うものです。したがって、「引用」はいかなる場合であっても認められるべきであろうと思います(残念ながら、話しても分かってくれない人は沢山いますけれど……)。
5. したがって、世の中の常識としても、「引用」は原則自由であり、それに対する承認や対価が必要だということにはなっていません。もしも、批判するための「引用」に著者の承認が必要になるとすれば、著者はすべからく「引用」を認めないことによって、批判を抑えることができるようになります。また、法外な対価を要求することにより、批判を封じ込めることにも成功するかもしれません(ちなみに、私はプロの書き手ですが、「引用」による原稿料をもらったことはありません)。繰り返しになりますが、「引用」においては原典を明示することが不可欠です。そうしないと、「盗用」になります。
6. ただし、「転載」については、原則的に著者による承認と対価が必要です。転載というのは、基本的に著者が何ら付加価値を付与することなく、他の著者の文章全体を「引用」することを指しますが、特に他の著者の文章を「転載」するだけで、濡れ手で粟の利益を得ようとする行為は、明らかな著作権の侵害になります。
7. ここで悩ましいのは、ネット上における「リンク」と「転載」の違いです。おそらく「リンク」というのは、出版物で言えば、「○○参照のこと」という参照文献の明示ということにあたるのでしょうが、ネットの場合ワンクリックでそこに飛んでいくことができてしまいます。つまり、現実的には「転載」していることと同じ行為(「転載」≒「リンク」)なんです。しかも、無料で誰にでも開放されているのですから、ある意味で「ネット上における無料による無断転載」を認めているということでもあるのです。しかし、ネット上において「リンク」を認めないなどというルールを導入すれば、ネットの魅力は半減してしまうでしょうし、「リンク」を拒むのであれば、「閲覧を限定したクローズドのサイトにすべき」ということにもなるでしょう。
8. つまり、「リンク」を否定すれば、ネット上の有効なコミュニケーションが閉ざされるという意味で、「リンク」は「引用」に近い性質を持っているのです(「リンク」≒「引用」)。そこで、「リンク」に関して申し上げれば、「引用」について述べたのと同様、ネット上に文章を公にする著者は「リンク」されることを拒んではならないというのが、私の基本スタンスになります。「リンク」を拒めば、コミュニケーションは成立しなくなり、さらに言えば、批判する表現手法も限定されるので、「言論の自由(批判の自由を含む)」を侵害しかねないからです(もっとも、「リンク」の場合は、必然的にその原典を明示することになります。これは良いことですね)。もしも、「リンク」を拒みたいのであれば、文章をネット上に公開すべきではないということになるでしょう。
9. さて、そこで悩ましくなってくるのが、「リンク」と「転載」の扱い方です。先ほど申し述べたとおり、「転載」≒「リンク」ですから、上記の論理が援用できるならば、ネット上に文章を公にする著者は「転載」されることを拒んではならないという理屈になってきます。無論、その場合は、原典を明示し、しかも原典に「リンク」を張るということが大前提になるとは思いますが、どこまで「転載」の自由を認めるべきかという新しい問題が惹起されてくるのです。つまり、「転載」≒「リンク」≒「引用」なんですが、「転載」≠「引用」だという連立方程式を解かなければならないのです。
10. そして、文章表現上、「リンク」という形態よりも、「転載」に近い「全文引用」の方が、読者にとって読みやすく理解されやすいケースが少なからずありますし、クリックしないで紹介文とともにとおしで一目で読める方が読者にとって親切であるという場合があります。例えば、「週刊!木村剛」の例で申し上げれば、ゴーログ「『かめはめ波』とは何か?」における「ひとこと」さんのケースがそれに当たりますし、今月からスタートする「BLOG of the Week」もそういうコンセプトでとりあえず運営してみたいと思っています。つまり私は、条件付きながら、ネット上においては、「転載」≒「リンク」≒「引用」という考え方でしばらく走ってみたいと考えているのです。
11. そこで、その「条件付き」とは何か、ということになるのですが、この問題に関する、私の現時点における暫定的な考え方は、
① 原典が、無料で不特定多数に制限なく開示されているネット上の文章であり、
② その原典を明示し、「リンク」が明示的に張ってある場合であって、
③ その文章をネット上で無料で不特定多数に対して制限なく開示している場合
には、「(全文引用に近い)転載」を認める、というものです。
上記の考え方は、今後の「週刊!木村剛」の運用において、重要な影響を及ぼしますし、私自身、これで正しいのかどうか考えあぐねている面が全くないわけではありません。また、今後具体的な詰めのプロセスに入る「月刊!木村剛」の作成にも多大な影響を及ぼすと思いますので、是非、皆さんの意見をトラックバックでドシドシお寄せください。
元来、コミュニケーションというのは簡単なようで難しいものです。軽いノリで書いた文章が無意識のうちに著者の感情を傷つけてしまうこともありますし(「カトラー」さん、御免なさい~ ^^;)、「まーねこのひとりごと」さんからは「トラックバックの一部だけをつまみ食い、抜書きして、ミスリーディングなコメントを付けないよう、注意していただきたいと思います」と厳重注意されてしまいました(大汗タラタラ)。
しかし、冒頭で述べたように私は、他の媒体が持っていないブログの生命線は「トラックバックを通じた読者とのコミュニケーションの面白さ」にあると思っていますので、今後も皆さまから厳しいお叱りを受けながらも、「引用」や「転載」をドンドン続けていきたいと思っているのです。そのプロセスの中で、私にミスがあれば、皆さんはすかさずトラックバックで意見を表明できるし、それに対して私も速やかに修正コメントが出せる――それこそがブログの素晴らしいところなんじゃないかと思うのです。
以上のようなことを頭の中で考えながら、私が「月刊!木村剛」に関して、出版社にお願いしているのは、以下のようなことです。
・ 月刊か、隔月刊、もしくは季刊で、定期的な刊行物にしたい。
・ 特集テーマ(例えば、年金問題)を持つ雑誌的な体裁にした本にしたい。
・ ゴーログで「引用」したトラックバックの原典をなるべく多く「転載」したい。
・ 読者とのコミュニケーションが浮かび上がるような同人誌的なフレーバーにしたい。
・ さはさりながら、「週刊!木村剛」を知らない読者でも楽しめる読み物にしたい。
もっとも、「McDMaster」さんがいみじくも指摘しているように、「木村剛とブロガーの単なる鼎談集となってしまってはいけないわけで、読者に対し知的刺激をもたらすものでなければなりません」というのは私もプロとして痛感しています。単純にブログを本にすれば売れるなどという甘いマーケットはどこにもありません。プロは売ってみせて、ビジネスとして成立させて、それでナンボの世界です。
皆さんのニーズを出来る限り反映させた面白いものを創りたいと思っていますので、それに関するご意見もドシドシトラックバックしてください。お待ちしております。ちなみに、「コンサル会社のペーペーの思い付きコラム」さんからは、「オイラは過去未来いついかなる時も『週刊!木村剛』に引用された部分についてブログ著作権を主張しません。印税も」というありがたいお言葉をいただいておりますが、そういう点についてもご意見をいただけると幸いです。
2004 05 12 [01. ブログ万歳ココログ三昧, 08. メディア/広告の将来を占う] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。4月29日にアップした「公的年金関係者よ!公開討論会に応じよ!」にたくさんのトラックバックをいただき感謝しています。トラックバックを読んでいると、いかに現在のマスコミが世論と違う感覚で騒ぎまくっているのかが判然としてきます。
「きっしー」さんは、「未納問題でゆれていますが…。今年金で問題なのは払ったか払っていないかではないはず」と断言しており、「面白い音楽は」さんも「国会議員の年金未払い問題なんて、既に騒ぐには値しない問題です。マスコミの煽りにのるのは止めましょう」と訴えかけています。そこで「29man」さんは、そのあたりを「確かにアフォな政治家達の年金未納問題は当然けしからんのですが、マスコミはその話題で盛り上がりすぎだぜ!確かにワイドショーちっくに仕立てられるから面白おかしく報道できるけどさ」と冷静に分析してくれています。
「McDMaster」さんは、「もはや国民の多くが感じていることですが、誰が払っただの払わなかっただのという『犯人探し』には、実はもういいかげんうんざりしていて、もっと本質的な問題、例えば年金財源が到底国民の納得のいかない使途に遣われていた件などを糺す必要があるわけです」と喝破していますし、「エンタメ的社会考察」さんは、「年金未納問題……ばかり議論していてもしょうがないんですよねえ。議論の本質は年金財政が立ち行かなくなり、老人がまともに暮らせない世の中になってしまうかもしれないということにあるべきなんですよね。もしくは、日本がこれから若者にとってただの搾取工場になってしまうかもしれない、という」と見事に問題の核心をえぐりぬいているんですね。
マスコミの報道よりも世論の方がよっぽど冷静で正確だったりするんですよ。最近のマスコミ報道の偏向振りには閉口させられるケースが少なくありません。
ところで、私の自家製の「強烈なメール」(by「珠丸の覚書」さん)もしくは「うまい『爆弾』」(by「fareaster」さん)に対する反応につきましては、「大牟田からのつぶやき」さんに「とても面白い面子だが、このメンバーで実現することは99%あるまい」と指摘されましたし、「チップを弾むから勇気を分けてくれないか」さんからも「はたして、何名返事が来るのでしょうか」というご懸念をいただいておりました。
もっとも現時点におきましては、河野太郎自民党議員に続き、先週末に古川元久民主党議員からも「3問ともイエス」のご返答をいただいております。そこでじつは、急遽、本日お昼(午前11時25分スタート)のテレビ朝日「ワイド!スクランブル」において、年金問題について両議員とともにTV出演することになりました(本当はワイドショー番組に出ることは私のポリシーに反しているのですが、今回だけは特別です)。公開質問状のことについても自由にしゃべってよいということなので、楽しみにしてください。
菅直人民主党党首(?)さま、早く「イエス」の返答してこないと、公明党の坂口大臣や厚生労働省のお役人と一緒だと思われちゃいますよ。本当に公的年金を改革したいのであれば、早くご返事をいただきたいと思います(まあ、それどころではない状況でしょうが……)。念のため、本日、菅直人事務所に電話を入れて、公開質問状を受け取ったことの確認を入れておきます。
じつは、5月6日に成立した自民・公明・民主の三党合意の中で、衆参両院の厚生労働委員会の下に小委員会を設けて、年金一元化を含んだ社会保障制度の見直しを平成19年3月までに成案を得るということが取り決められましたから、公開質問状における「第2問 国会の中に『年金改革小委員会』を設け、外部専門家の識見も活用しつつ、与野党の代表が中心となって、国民がみている前で最善の処方箋を探るべきである」につきましては、すでに実現する可能性が高まってまいりました。
もっとも、重要なのは、「第1問 厚生労働省は、公的年金に関して、公表している試算の根拠となっている仮定条件のみならず、その計算の元となっている生データや計算プログラム等をすべからく国民に開示すべきである」という点です。すでに、河野議員と古川議員から賛同をいただいておりますので、是非、菅党首からも「イエス」のお答えをいただいた上で、なぜ坂口大臣や厚生労働省年金局は「イエス」と言えないのかという点について、厳しく問い質していきたいものです。
「アホが見ーるーブタのケーツー」さんは「そもそも年金問題は、年金支払い者vs年金受給者、与党vs野党、年金納付者vs年金未納者、などの争いではない。断じて違う。敵は役人である」と喝破されていらっしゃいますが、もしも、坂口大臣や厚生労働省年金局が第1問に対して「ノー」と応えるならば、「国民の敵は役人である」と言わざるを得ないでしょう(5月14日までにご回答がない場合におきましても、「ノー」という意思表示とみなさせていただきますので予めご了解ください)。
すでに、「Tinkle-Tinkle」さんのように、「公的年金の公開討論、注目させていただきます。可能であれば参加もしてみたいと思います」と公開討論会への参加を表明している方もいらっしゃいますので、私も何とか公開討論会を実現させたいと願っています。
「アホが見ーるーブタのケーツー」さんが主張している「敵は役人である」論が誤りであると信じる厚生労働省のお役人であれば、どなたでも結構ですから手を挙げてください。きっと「俺たちが悪いんじゃない。保険料の引き上げを決めながら、約束を履行してこなかった政治家たちが悪いんだ」と思っていらっしゃる方も多数いらっしゃるはずです。実名はマズイというのであれば、obanan@kfikk.co.jpにEメールでご意見をください。匿名で結構です。皆さんも知り合いに厚生労働省のお役人が居たら、「週刊!木村剛」でこんな騒ぎが起こっていることを知らせてあげてください。その対応をみれば、そのお知り合いの方の誠実さがわかるかも……。
要するに、国民は現行の公的年金制度に納得していないのです。「くりおね あくえりあむ」さんは「個人的には今の年金制度はその『わけのわからなさ』『複雑さ』に対して腹立だしさを感じている」と表明していますが、じつは今回の未納騒動の意義は、「Hiroette」さんが指摘しているように「竹中さんのようなお金のプロをして難しいと言わせる年金制度だと言うことも白日の下にさらされたわけですよ。そういう意味で……功績は年金制度の複雑さを露呈することができたと言うことです」という点にあるんですね。
そこで、そうした国民のムードを見事に踏まえた上で文章を練り上げられた「本家ばんちゃん」さんの冴えたコメントをご紹介しておきましょう。私はこれを読んで、厚生族の長瀬甚遠先生(衆院富山1区)の代わりに、次の選挙で立候補していただきたいと思ってしまいました(^^;) きっと当選しちゃうのでは?
未納問題で国会議員の歳費から天引きできるようにするらしいですが、そういう技術論だけゃないでしょ、問題は。国会で国民の血税を使って法律を作っている議員たちが、その根本の制度を全く理解できていない、という前代未聞の事態。……それにしても、もっと自覚的に”根本から年金制度をわかりやすくします!”っていう気骨のある政治家はいないのか!って思いますね。”私も不勉強で未納だった!だから皆さんのうちにもいらっしゃるのが今回身にしみてわかりました!今後私のような未納者を一切出さないためにも、公的年金制度を根本から勉強し、誰にでもわかりやすい仕組みをみなさんと一緒に考えていこうではありませんか!” とかね。どこの党でもいいよ、この際。
この公的年金問題はまだまだ終わりそうにありません。皆さんからのトラックバックをさらにお待ちしております。 「ブログから意見をハッスル、ハッスル!」(by「MASAHIKO」さん)してくださいネ。「Quwaji」さんが指摘してくださっているように、「問題が発生したときに議論ができる場としてWeblogがもっと活発になれば面白い」じゃないですか!「hyoshiok」さんがズバリおっしゃっているように、「年金にかかわらず、政治は、本来は身近なものである。自分の未来は自分で決定するように、この国の未来は我々が決定する」んだと思います(思いたい!?)。
2004 05 11 [05. 年金問題を斬る] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。5月8日にアップした「匿名の人はコミュニティを壊す権利を持っているのか?」に対して、たくさんのトラックバックをいただきありがとうございました。それぞれに示唆されるところがあり、興味深く読ませていただいております。そういう中、思いがけずも、ネット界の超大物「切込隊長Blog」さんからトラックバック(これは「逆かめはめ波」か?!)していただいたので、敬意を表して、軽くお答えしておきたいと思います。
「切込隊長Blog」さんがご指摘している「悪評も評判のうち」というのはそのとおりで、私も十二分に弁えております(いわゆる「有名税」というものでしょう)。また、「美園」さんのコメントについても、「私の不徳の為すところでしょうから、『美園』さんの表現の自由を尊重したいと思います」と明記しているところでもあります(そのあたりは、「2ちゃんねる」で相当鍛えていただきました)。
世の中に対して何らかの主張を展開する者が批判されること(誹謗中傷や罵詈雑言を含めて)は致し方のないことです。また、そういうことに一々怯むようであれば、世の中を変えることなど何もできないでしょう。何かを変えるということは、現状においてメリットを受けている一部の人々に対して何らかのダメージを与えることに他ならず、その人々からは怨念の対象になることを避けられないからです。したがって、本当に何かを変えようと思えば思うほど、その可能性が高まれば高まるほど、誹謗中傷や罵詈雑言は強まることになります。
したがいまして、私は、私個人に対するあらゆる批判(誹謗中傷や罵詈雑言を含む)は甘受する覚悟を持っておりますし、これまでも皆さまが想像している以上に、批判の豪雨(金銭的な実害も含めて)の中を歩んでまいりました。また、批判により糺すべきところが判然とした場合には、然るべき方向に糺していきたいとも思っております。
さて今回は、たまたま「技術系サラリーマンの交差点」さんによるエッセー「ネットでの匿名と実名」のアップと「H」さんの件が同時期に発生したものですから、ああいう形の問題提起になったのですが、「H」さんの件だけに絞って私の主張を申し上げるならば、極めて単純なことです。それは、
1. 私に対する批判(誹謗中傷や罵詈雑言)は、直接、私のブログに対して行なえばよい(その真偽や正当性については、読者の判断に委ねればよい)。 2. 少なくとも、直接の関係者ではない弱者を批判のターゲットにすべきではない(特にブログであるために特定されてしまい、容易には逃げられない人<固定ハンドルを含む>に対して、直接関係のない他者の件に関する攻撃を仕掛けるべきではない)。 3. それぐらいは、(特にブログの黎明期でもあるだけに)最低限のマナーとして確立すべきではないか(私に対して直接批判することに抵抗があるというのであれば、「2ちゃんねる」で大々的にやればいいだけなのでは・・)。
ということに尽きます。私個人は、私に対する誹謗中傷や罵詈雑言はいくらでも甘受しますが、私と何らかの親交があったことが原因となって、私と直接関係のない人々が迷惑を被ることについては甘受できません。それは、私個人に向けられるべき攻撃であって、他の方々に向けられるべき攻撃ではないからです。
上記で私が問題視したような行為が、匿名性というセーフティネットゆえに助長されているとするならば、「匿名性」というもののあり方を今一度議論してみる価値はあるのではないかと考えたものですから、前述の「ネットでの匿名と実名」というエッセーの紹介に絡めて、皆さまに考えるための一材料としてお出ししたわけです。
ということで、私に対して苦言を呈したい方々に対して、伏してお願いいたします。
私に対する批判(誹謗中傷や罵詈雑言を含む)は、今後、私個人に対して直接行なっていただけると幸甚に思います。
(追伸)「切込隊長」さんにご参考情報をば。私が民主党の大塚耕平氏をよく存じ上げているのは事実ですが、「粉飾告発ホットライン」に関しては全く身に覚えがありません。何もなくとも勝手にその手の話を捏造する方がいらっしゃるので、りそな銀行の事件の前後半年以上は大塚氏とお会いしておりませんし、電話で会話もしておりません。ご確認いただければ幸いです。「30社リスト」もしくはそれに準じたものを竹中氏に流したというのも事実と異なっています。また、日本振興銀行につきましては、「千万が預金上限で納得する貧乏人集めて銀行が回るわけねえだろ」という貴重なご指摘までいただき、ありがとうございました。それが回るところがビジネスの面白いところで、その点につきましては近々何らかのプレスリリースができるようになると思いますが、いずれにしてもビジネスは結果ですので、結果でお示ししたいと思います。おかげさまでKFi自身はこの3月期で6期連続増収を記録する予定です。なお、ミラーマンにWBSで論破されて泣きそうになった記憶はありません(逆はあるかも?)が、そのあたりは見解の相違でしょう。いずれにしても、拙著「戦略経営の発想法」をお褒めいただきありがとうございました。一読するだけでは喝破することが難しい複雑な愛情表現に満ちた叱咤激励をいただき恐縮です。
2004 05 10 [01. ブログ万歳ココログ三昧] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。この5月8日土曜日から、新企画「BLOG of the Week」をスタートさせます。これは、トラックバックしていただいた方々を中心に、私が独断と偏見でお気に入りのブログを毎週一つ選んでご紹介するというコーナーです。したがって、これからは、月~木曜日は「ゴーログ」、金曜日は「コラム」、土曜日は「BLOG of the Week」という構成になりますので、週末も是非お楽しみください。
さて、栄えある第1回「BLOG of the Week」において私が選んだのは、「技術系サラリーマンの交差点」さんによる「ネットでの匿名と実名」というタイトルの考察です。これは3月16日に私が「blogの未来は参加者が創る」という「ゴーログ」を掲示したところ、それに対してトラックバックしていただいたものです。
じつは、「技術系サラリーマンの交差点」さんは、この件に関して、「私がネットで実名を名乗る理由1」「私がネットで実名を名乗る理由2」「私がネットで実名を名乗る理由3」というエッセーを既に書いていらっしゃいまして、その集大成が「BLOG of the Week」にえらばれた「ネットでの匿名と実名」というブログなのです。
「技術系サラリーマンの交差点」さんの意見に賛同するか否かは別として、これらのエッセーを読ませていただいて、私なりに深く考えさせられましたし、きっと多くの方々にとって、ネットにおける匿名性の意味を考える上で参考になると思います。
それでは、第1回「BLOG of the Week」に輝いた「技術系サラリーマンの交差点」さんの「ネットでの匿名と実名」です。じっくりとお読みください。(「技術系サラリーマンの交差点」さん、読者の利便に資するために貴ブログにリンクをした上でほぼ全文を掲載しておりますが、問題があればご一報ください。なお、ネット上における全文に近い引用に関する私の考え方については、近々「ゴーログ」でアップする予定です。)
ネットでの匿名と実名 実名のほうに少々肩入れした自説を書いてみる。私は、匿名で書かれていることは信用できないとか、匿名だと理性をなくしがちなどと一律に考えてはいない。現時点で、インターネットの世界で優勢な見解は「実名を名乗っていない人であっても、まとまった人格を継続的に表現していれば完全な匿名とは異なる。そういう人格は尊重されるべきである」だと思うし、これに私も同意する。実際、大勢の匿名の人たちが作り出したコンテンツを役立てたり交流を楽しんだりしてきた。自分自身が匿名だったこともある。 では、匿名の人は実名の人と完全に対等に話ができるのか。「できる」と言う人もいるかもしれない。でも、私は「できない」と思う。といっても、匿名の人は実名の人を絶対批判してはいけないとか、そこまでではないはずだ。どこらへんまでなら許されて、どこから先は踏み込んではならない領域なのか。こういうことについて整理された議論は少ない。 私が拾ったものをリンク集として下にまとめてみた。どの意見も「ネット上でのマナーとして」実名と匿名の違いをわきまえるべきだ、あるいは、実名でしないようなことは匿名でもするな、という話になっている。私も、それぞれの人たちが示している線におおむね賛成する。 ただ、私が 前回の記事 で書いたように、「匿名で発言すると問題のある行為をしてしまいがちな人は、実名で発言することで自制できる」という観点から実名を勧めた意見は見つからなかった。考えてみれば当たり前のことで、「自分は匿名で発言していたときにキレてしまったことがあるので実名を名乗るようになった」とわざわざ告白する必要性は、たいていの人にはない。匿名の恥はかき捨てだ。黙って実名を名乗ればいい。・・・・中略・・・・ 実名と匿名の違いに着目したリンク集 匿名サイトの気軽さと、はかなさ(岡山大学文学部心理学講座 長谷川芳典さんのじぶん更新日記、98/10/20付け。この文章で、ほぼ集約されていると思う)。 匿名でも情報的価値があればそれでいいじゃないかという人もいるだろう。しかし議論を求めるサイトとなるとまるで違う。匿名で批判を続ける人は、HPの存続に当たって自分を守る必要がない。イヤになったらヤメしまえばよい。いつヤメても私生活では何の不都合も生じない。気が向けば別のサーバーから別のHP立ち上げればよいだけ。いっぽう、実名で批判を受けた人は、枝葉末節な点に至るまで反論や追加の説明を加えなければ、実生活全般にわたって信用を失うおそれがある。極端に言えば自分のクビをかけて、発言の内容の社会的責任を負わなければならない。この点、匿名サイトはまことに気軽なものだ。匿名のサイトの主宰者は、そこに記されているコンテンツの範囲でしか批判されない。これに対して、実名のサイトは、HP以外のあらゆる著作物や発言を引用して批判される。匿名で批判する人は、じぶんの主張内容には何の体系性、何の一貫性がなくても、相手の主張をローカルな(つまり断片的な)理屈だけで反論することができる。違う基準(スタンダード)で反論する時には、別のハンドルを名乗ることだってできる。ざっと言えばこんなことになるだろう。 高木浩光@茨城県つくば市 の日記(……中略……的確なルールだと思う) かれこれ2年半前になるが、Java Houseにおける匿名発言をめぐって議論になったことがあった。私の立場は「匿名発言をするな」というものであったが、一部でこれに対する反発があった。最終的に私の立場は「実名だったら投稿しないような内容の投稿は禁止」という表現で整理されることとなった。つまり、実際に実名を使っているか仮名を使っているかは重要ではなく、内容を書く際のスタンスを問うものであった。 ハンドルネームと匿名。ネットではどちら(……中略……ごく常識的な意見が素直に述べられていて、端的にまとまっている) 「善意での匿名発言なのか、悪意での匿名発言なのか」によって全然議論の本質が違いますよね。楽しいおしゃべりを匿名でするのは全然かまわないですけれど、他人の誹謗中傷や、告発といったトーンの投稿を匿名で行うのは問題だと思います。以前、とあるメーリングリストで、実名で発言している人の本業での仕事ぶりや人間関係などの誹謗中傷を、匿名で発言し続けた人がいました。そんなとき、実名発言している人がどんなに理路整然とやりとりしても、絶対に負ける。匿名の人は、自分が誰かも明かさず一方的に実名の人の実際の人間関係を傷つけるのですから……。当たり前ですが「悪意の匿名だけは絶対に止めて」と強く強く願います。 99/01/07 02:23 RE: 青酸カリを提供したネット・コミュニティ(……中略……船田戦闘機(メディア技術者)さんの発言。「・・・風潮はあっていい」という言い回しが、私の感覚にもぴったり来る) まとめると、ぼく的には、 ・匿名で発言する自由は認められるべき ・でも実名でのコミュニケーションのほうが信頼される風潮はあっていい といったところです。 blogの未来は参加者が創る[ゴーログ] (週刊!木村剛 2004.03.16 付け記事。ココログ内で3月に匿名vs実名が話題になった発端記事。……中略……) 個人的には、匿名性というセーフティネットに護られたネットにおける言論活動であったとしても、「殴られるかもしれない至近距離においても、面と向かって言うことができる内容、もしくは言わなければならないという覚悟を持った内容であることを望みたい」と思っています。目の前ではとても言えないような誹謗中傷を赤の他人にぶつければ、コミュニケーションが途絶えるのは当然の帰結です。それを「アイツは逃げて行った」などと嘲笑の対象として仲間内だけで盛り上がるというのは、あまり生産的な活動とは言えないように思います。気に食わないのであれば、そのBlogを読まなければよい――それだけの話です。わざわざアラシにくる必要はどこにもないはずです。実生活でも、嫌いな人とは付き合わないでしょう。でも、よほどの変人でない限り、嫌いな人であってもその人が大事にしているプライベートな人間関係を壊しにはいかないはずです。でもネットでは、それが簡単にできてしまうし、やってしまう人たちがいます。
この3月16日にアップした「ゴーログ」については、もう一度読んでいただいて、皆さまのご意見を再びいただけるとありがたいと思っています。というのは、「H」さんがアップした「祝!5月6日はゴーログの日」に対するコメント欄で、「美園」さんという匿名の方が、「単に無知な人を集めて一山当てようって感じがあって、倒産目前三十社リストとかありもしないネタで煽って混乱させたヒトだからねえ。経済言論で相手にされなくなって久しいけど、こういう形で復活するとは」などという罵詈雑言を書き込んでいらっしゃるからです。
誹謗中傷するのであれば、せめて相手方の著書くらい読んで事実を踏まえた上で主張してもらいたい(もしくは、日経bizplusの「”大手30社問題”とは何か?」を始めとする一連のコラムを熟読してほしい)と思いますし、「経済言論で相手にされなくなって久しい」というのも「そう思うのは個人の勝手だけれど、他人に吹聴するのならもう少し根拠のあることを言ってもらいたい」と感じますが、まあ、そのあたりは私の不徳の為すところでしょうから、「美園」さんの表現の自由を尊重したいと思います。
ただ、私が残念なのは、こういう低次元のスパムコメントを受けた「H」さんが、「荒れやすいなら木村氏関連はこれからやめようかなぁ」とこぼしていらっしゃることです。それで、「こうやって、ネット上のコミュニティというものは潰されていくんだなあ」という感慨を新たにしてしまったんですね。
勘違いされないように申し上げておきます。私は「H」さんのコメントを責めているわけでは全くありません。私が「H」さんの立場なら、自分のブログを荒らされるのは嫌ですから「木村氏関連をやめる」という決断をすぐにでもしてしまうでしょう。過去の木村氏関連ネタも削除してしまうかもしれません。だって、ブログなんて軽いノリと趣味でやっているんですから、心理的な負担を感じてまでやりたくないじゃないですか。
そこで、私は皆さんにお聞きしたいんです。
匿名性というセーフティネットの中で許される言論の自由とは如何なるものであるべきなのか、あるいは、匿名の方はコミュニティを壊す権利を持っているのか、などについて、トラックバックをお待ちしています。
2004 05 08 [01. ブログ万歳ココログ三昧, 22. BLOG of the Week] | 固定リンク | トラックバック
皆さん、こんにちは。木村剛です。前日のトラックバックを見ていたら、「週刊!・・・・・」というブログがいきなり増えていてビックリしました。「ゴーログウィーク企画」だそうで、感謝感激です。「週刊!Hiroette」さん、「週刊!江崎彰」さん、ありがとうございます。これからも皆さまとともに、「週刊!木村剛」を盛り上げていきたいと思います!
そこで、本日は皆さまからの大量のトラックバックに敬意を表しまして、定例の「コラム」ではなく、皆さまお待ちかね(?)「週刊!木村剛」恒例の「第2回トラックバックランキング」をお届けいたします。「週刊!木村剛」が始まって以来のトラックバック(対象は2月4日~4月30日)を集計いたしました。果たして、「第1回トラックバックランキング(対象は2月4日~4月9日午前)」をブッチギリのトップで制した「29man」さんは、首位の座を死守することができるでしょうか。
それでは栄えある、第2回「週刊!木村剛」トラックバックランキングを発表いたしましょう。はじめての方のために、このランキングの考え方をご説明いたします。このベストテンは、(1)トラックバックと(2)「かめはめ波」と(3)「かめはめ率」によって獲得されたglpによって決定されます。ちなみにglpというのは、「ゴーログポイント(go-log point)」の略で、(1)トラックバックの場合は回数そのままがglpになります。(2)「かめはめ波」の場合は「回数×2」がglpとして加算されます。(3)「かめはめ率」の場合はランキング10位以内の方にのみ順位に応じてglpが付与されます。この合計が多い順番にトラックバックランキングが決定されるのです。
まずは、みなさまから「週刊!木村剛」へのトラックバックの回数をみてみましょう。前回トップの「結茶場Me家」さんを軽々と抜き去って、堂々の第1位の座を射止めたのは、前回惜しくも第2位に終わった「まーねこのひとりごと」さんであります。続いて第2位は、いつも論理的でまとまった文章を寄せてくださる「McDMaster」さんです。なんと前回第8位からの大躍進。そのほか、常連同士のつばぜり合いの中で、前回よりも順位を上げてきたのは、「Hiroette」さん(第9位→第4位)と「fareaster」さん(第10位→第7位)です。頻繁なトラックバックありがとうございます。
(1) トラックバックベストテン(ブロガー→ゴーログ)[( )内は前回順位] 第1位 まーねこのひとりごと 26回 (26glp)(第2位) 第2位 McDMaster's Weblog20回 (20glp)(第8位) 第3位 バイオティックレイヤード19回(19glp)(第3位) 第4位 結茶場 Me家 17回 (17glp)(第1位) 日常/非日常Blog 17回(17glp)(第4位) Hiroetteのブログ 17回 (17glp) (第9位) 第7位 fareaster 16回 (16glp)(第10位) 第8位 29man the radical dubber 14回 (14glp)(第4位) 第9位 PurpleMoon - Online Diary 13回 (13glp)(第4位) 第10位 アジア海外駐在員便利帳 12回 (12glp)(第4位)
次には何と言っても、「かめはめ波」の回数をみてみなければなりません。やはり、ここでは、「木村剛とブロガーのオフサイド取引」の幹事を務めて、前回ダントツの第1位を獲得した「29man」さんが連続トップの座を死守しました。それに続くのは、前回と同じく「かめはめ波」の生みの親「小鳥」さんです。「まーねこのひとりごと」さんが前回第6位から第3位に大躍進しているのが要注目ですね。「McDMaster」さんと「カトラー」さんは、今回始めてのランクインです。
(2)「かめはめ波」ベストテン(ゴーログ→ブロガー) [( )内は前回順位] 第1位 29man the radical dubber 15回 (30glp)(第1位) 第2位 小鳥(a little bird) 11回 (22glp)(第2位) 第3位 まーねこのひとりごと 10回(20glp)(第6位) 第4位 日常/非日常Blog 8回(16glp)(第3位) 第5位 Hiroetteのブログ 7回(14glp)(第6位) バイオティックレイヤード7回(14glp)(第3位) 第7位 アジア海外駐在員便利帳 6回(12glp)(第3位) 第8位 結茶場Me家 5回(10glp)(第8位) McDMaster's Weblog 5回(10glp) カトラー 5回(10glp)
もうひとつ重要な要素である「かめはめ率」――1回のトラックバックに対して、何回「かめはめ波」を受信したかという数字――をみてみましょう。今回は、「かめはめ波」第1位の「29man」さんが「元祖かめはめ波」の「小鳥」さんをわずかにかわして第1位を獲得しました。第3位には、ランク外から「カトラー」さんがいきなり入ってきました。「レビューのとらお」さんと「[N]ネタフル」さん、そして「俺と100冊の成功本 blog.自己啓発.com」さんも今回始めてのランクインです。
(3)「かめはめ率」ベストテン(かめはめ波÷トラックバック)[( )内は前回順位] 第1位 29man the radical dubber 1.07(10glp)(第2位) 第2位 小鳥(a little bird) 1.00( 9glp)(第1位) 第3位 カトラー 0.71(8glp) 第4位 ふじすえblog 0.57( 7glp)(第3位) 第5位 本家ばんちゃん 0.50( 6glp)(第7位) アジア海外駐在員便利帳 0.50( 6glp)(第8位) 第7位 日常/非日常Blog 0.47( 4glp)(第8位) 第8位 レビューのとらお 0.43( 3glp) [N]ネタフル 0.43( 3glp) 俺と100冊の成功本 blog.自己啓発.com 0.43( 3glp)
さて、総合ランキングは、これら3つのglpを足し上げた合計で決まります。栄えある第2回「週刊!木村剛」トラックバックランキングにおいて、第1位の栄冠を射止めたのは、やはり「29man」さんでした。前回の大量リードを活かしての2回連続トップです。おめでとうございます。
しかし、うかうかしてはいられません。前回は第2位の「小鳥」さんに19glpの差をつけてのブッチギリでしたが、今回、大躍進して第2位につけた「まーねこのひとりごと」さんとの差はたった8glp(今回、「まーねこのひとりごと」さんは、25glpあった「29man」さんとの差を17glpも縮めています)。次回の集計では大逆転がみられるかも?
(4)総合ランキング[( )内は前回順位] 第1位 29man the radical dubber 【54glp】(第1位) 第2位 まーねこのひとりごと 【46glp】 (第6位) 第3位 小鳥(a little bird) 【42glp】 (第2位) 第4位 日常/非日常Blog 【37glp】 (第3位) 第5位 バイオティックレイヤード 【33glp】 (第5位) 第6位 Hiroetteのブログ 【31glp】 (第8位) 第7位 アジア海外駐在員便利帳 【30glp】 (第3位) McDMaster 【30glp】 第9位 結茶場Me家 【27glp】 (第6位) 第10位 カトラー 【25glp】 第11位 fareaster 【24glp】 第12位 ふじすえblog 【22glp】 (第10位) 本家ばんちゃん【22glp】 第14位 PurpleMoon - Online Diary 【21glp】 (第9位) 第15位 [N]ネタフル【16glp】 レビューのとらお【16glp】 俺と100冊の成功本 blog.自己啓発.com【16glp】 チップを弾むから勇気を分けてくれないか【16glp】
今回は総合ランキング第15位の方々まで発表させていただくことにしました。総合ランキングにランクインされた方々、おめでとうございます。今後も尾花広報部長の御機嫌をうかがいながら、定期的にトラックバックランキングを発表する予定です。6月末頃を目途に一度締めさせていただき、「第1回ゴーログトラックバック大賞」として、そのときの総合ベストテン第1位の方に賞状と豪華商品(木村剛サイン本10冊セット)を贈呈いたしますので奮ってトラックバックしてください(おいおい本気だったのかよ~、大爆笑)。
これからもドンドン「かめはめ波」を発射していきますので、バシバシとトラックバックしてください。よろしくお願いします。次回のトラックバックランキングが楽しみです。
(追伸)昨日のゴーログ「富山県人とはどういう民族なのか?」において、厄年については42歳というのは後厄であることと、米騒動は1918年(大正7年)であって江戸末期ではないことについて、ご指摘を受けました。「くりおね あくえりあむ」さん、「自堕落人生極まれり!」さん、「エムノジッ」さん、「jupiる」さん、「社怪人2004」さん、ありがとうございました。皆さんも、腰痛の中で文章を書くときは、注意力が散漫にならないように気をつけましょう。
皆さん、こんにちは。木村剛です。GW中の5月2日で42歳になり、まさに厄年に突入したとたんに持病の腰をいためてしまいました。立ち上がって歩くこともできない激痛に耐えかねて、常日頃お世話になっている正復の先生に無理を言って休日の5月3日から毎日診ていただき、なんとか出社できるようにしていただいたところです。
そういう悲惨な状況で、出社してみたら、なんとみなさんから(お誕生日おめでとうメール)がきているではありませんか。
本当にありがとうございます。腰の激痛も一挙に軽くなった気がします。42歳という1年間を(厄年)で終わらせず、(躍年=飛躍の年)になるように頑張りますので、ガンガントラックバックをお願いします。みなさんも(厄年)は気をつけてください。
みなさんご存知かもしれませんが、私は富山県出身の田舎者です(ソコソコ、「裏日本」という差別用語を使わないように!)。大学に入るまでは修学旅行とサッカー全国大会以外では富山県を出たことがなかったので、「純粋培養の田舎者」と断言してよいと思います。どれぐらい「田舎者」だったかというと、大学入試で上京して上野駅に降り立ったときに、あまりの人の多さに仰天して、駅員さんに「今日、祭りなんけ?(富山弁で「今日はお祭りですか」を意味します)」と聞いてしまったくらいの田舎者でした(ちなみにその日は、何の変哲もない普通のウィークディでした)。
その「富山県人」が全国的にブレーク(?)したのは、みなさんもご存知の島津製作所の田中耕一氏がノーベル化学賞を受賞したときからでした(本当かいな?)。じつは、田中耕一氏は、私が通った富山中部高校の三年次上の先輩なんですね。田中氏の受賞に際しては、同郷人として誇りに思ったものです。
そこで、他に富山県出身の有名人にはどういう人がいるかと思って、検索していたら、「Alternative TOYAMA」という面白いサイトを見つけました。まずは、このサイトにしたがって、富山県というお国柄を知っていただきましょう。
富山は特に政治的には「保守王国」などと呼ばれるぐらいのアレである。また、どうやらあるデータでは県民の嗜好というものが、まさしく日本のド平均をいっているらしく、新製品の試験販売から、新人ミュージシャンのプロモーションまで、まず富山で試しにやってみて、うまくいくかどうか調べてみるらしい、という話を聞いたことがある。ホントかどうかはしらないが。それはつまり、ナチュラルにこの土地柄が中央追随を疑問と思わないという事なのであるが、へそ曲がりな僕としてはどうもそれを良しとしない思いがある。逆にそんな土地柄故か、反動として時々鮮やかなぐらいのハネッ返りを産み出すことがあるのも富山の特徴であると思う。
私がその「ハネッ返り」であるかどうかはともかくとして、富山県人の保守性とハネッ返りというのは、極めて面白い視点だと思います。例えば、歴史好きの人なら知っていると思いますが、江戸時代末期におばはん(富山弁で「年配の女性」のことを指す)たちが起こした米騒動の発祥地は富山県なのですから。とにかく女性が強い。いわゆるピンク街はPTAが軒並み潰していくという土地柄なのです。
だから有名人には女性が多いんですね。「Alternative TOYAMA」によれば、「ロッキード事件のとき「蜂の一刺し」で有名になった榎本ミエコ氏も富山出身。芸能人で言えば、室井滋、柴田理恵、野際陽子、風吹ジュン……、これは何も女性ばかりではないが、とにかく、アイドルタレント、アイドル女優というよりは、一癖ふた癖ありそうな、存在感のある人を輩出している」ということのようです。また、フェミニズムの第一人者として知られる上野千鶴子氏も富山県出身だとか。
じつは私も、富山県に有力企業を誘致する「誘致委員」(?)に密かにノミネートされておりまして、有名人の部類に入るのか、このサイトで紹介されておりました。
2002年10月に小泉政権の竹中金融担当相が集めた不良債権処理のための金融プロジェクトチームのメンバーになった人デス。早い話、にっちもさっちも行かなくなった大企業や銀行など、公的資金を投入するなんてせずにつぶしてしまえ、というのが彼の主張で、一刻も早く引退したほうがいいんじゃない、って感じの爺さん達から顰蹙を買っていました。最近、中小企業向け融資に特化した日本振興銀行を立ち上げ話題になった人です。あるオヤジ雑誌には、自分が中小企業向けの経営コンサルタント会社を経営しているから、その市場の拡大を狙っている強かな男であるというような記事があったのだが、一面、そうであっても、彼ほどの経歴を持った人であれば、テメエ一人ならどうやっても食ってはいけるはず。やはり、まず、金融屋、エコノミストとしての使命感があるのだと思って間違いない。本当に大企業とか銀行がガンガン潰れたらどうなるか、とか、彼の主張の是非をここでサッと述べられるような能力は僕にはないが、とにかく、彼なりの21世紀型の日本像を考えてのことであるのは間違いない。それは多分、長年培われ、ついには熟れ、腐り始めてきた、日本の社会制度の慣習にあたる部分、書き言葉にはない部分を透明にしていく事、まず、その辺ゼロにして新しい土台を作り上げていこう、と、そのようにイメージしている。今の僕であれば、まだ、更にドラスティックな変化があっても、充分自分を対応させていけるだろうと思うので、心情的に彼の主張には賛成なのだが、失うものが多い人たちにとっては、あのニヤケ面のメガネが悪魔のようにも見えるだろう。本コンテンツで彼を取り上げたのは、頭のいい彼であるからどれだけの反発があるかも充分予測できたはずであろうが、敢えて強行に彼自身の主張をぶち上げている事、ケンカすることだって辞さないところにある。そして、そんな彼がよりによって、保守王国富山の出であることが、あんた、こりゃぁもう、アドレナリンで頭の中びしょびしょモノですよ。
個人的には、「そんな彼がよりによって、保守王国富山の出であることが、あんた、こりゃぁもう、アドレナリンで頭の中びしょびしょモノですよ」に大受けしてしまいました。彼のサイトでは、私以外に、1991年に食糧管理法の不条理を訴えるために、「ヤミ米を販売している自分を告訴せよ」と役所に殴りこんだ川崎磯信氏(彼も富山県出身らしい)のことも書いていたから、意外にこの手の男は富山県人に多いのかもしれません。
室井滋や柴田理恵や野際陽子や風吹ジュンのような女性たちに日々鍛えられている富山の男たちは、いったん突っ張ると剛直なまでに突っ走ってしまうのですかね。「富山に来るときって絶対声かけてくださいね!オフしちゃいましょう!<かめはめ波稼ぎ(゜ー゜*)」と書いてくれた「本家ばんちゃん」さんも、ひょっとするとそういう民族なのかもしれません。今後も富山県出身の人々には要注目です(^^;)。
2004 05 06 [02. ゴーちゃんの素顔を暴く!] | 固定リンク | トラックバック
















