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2005.12.19
[ブログ小説] ニッポン・ウーマン 第一章 海の誘い (26)
日未子の脳の襞がアオウミガメの動きに合わせて、溶け出している。その中から淡い記憶が流れ出してくる。なにもかもがランダムに思い出されてくる。本の記憶、子供の頃の記憶、仕事の失敗、失恋、そしておぞましき言葉である不倫…。
不倫?山下利洋とのことが不倫?人の道に外れていることかしら?愛している?愛していない?結婚?結婚しない?結婚できない?銀行の上司との恋愛?日未子はそれに疲れているの?そんなことはない。なにも疲れてなんかいない。無理もしていない。あの人と私はそれぞれの立場を理解し合っているから…。
アオウミガメが白い腹をこちらにむけた。その部分が輝いている。まるでSF映画「未知との遭遇」のUFOだ。人の心に染み入るような不思議なリズムを発信しながらUFOが宇宙の神の使者のように現われる。その姿に人々は、涙を流し、救いを感じる。
スティーブンスピルバーグ監督はきっと海に潜り、アオウミガメと遭遇したときにあの映画を着想したに違いない。あのUFOの飛び立つ姿そのままにアオウミガメはオーロラのような光のカーテンを揺らして進んで行く。
日未子は、水の中なのに涙が溢れてくるのがわかった。
なぜ涙がでてくるのかしら。哀しい?うれしい?その両方の気持ちなのかもしれない。
アオウミガメの泳ぎのリズムは、日未子の気づかない間に混濁していた記憶や潜在意識などに秩序をもたらしたのかもしれない。その秩序化の過程で、不要な感情や知識や意識が涙となって流れ出しているのだろう。
日未子は、アオウミガメの姿が遠くに小さくなってしまうまで見つめていた。
ノリがこちらに向かって泳いでくる。彼女はまるで人魚のようだ。涙で雲ってしまうとよけいにロマンチックに見える。彼女がきっとアオウミガメを呼び出してくれたのだろうと思った。東京から迷いながら自分の道を探そうとしている女が海に潜るから、ちょっといい気持ちにさせてあげてね、とでもアオウミガメに頼んだのだろうか。
それにしても海、産み、生み、膿、倦み…。ウミという言葉も不思議な言葉だ。新しい生命の誕生と腐って爛れていく死と同じ音なのだ。この言葉を生み出した人間は哲学者に違いない。誕生と死が同じ地平にあるということを理解していたのだろう。
ノリがオーケーサインを出す。アオウミガメを見ることが出来て、幸せかと問いかけているに違いない。日未子は、マスクの中で思いっきり笑みを浮かべて、オーケーサインを返した。
この海に来ることができて本当によかったと日未子はあらためて誘ってくれた雅行に感謝した。
海は、命の誕生と死の大きなサイクルの連結部のような気がした。日未子も含めて生きとし、生けるものの全てが海によって繋がっているのだ。
今、日未子はその海に包まれていると、自分の道を探しあぐめていることなど極めて小さなことのように思えてきた。
でもこれでまた地上に立つと迷いの森の中を歩むに違いない。それもまた楽しいことだ…。
ノリが親指を上に突き立てた。上がろうというサインだ。雅行も玲奈もオーケーサインを出している。日未子もそれに倣った。珊瑚礁から手を離し、ノリの後についてボートを目指していく。徐々に明るく輝く海面が近づいてくる。
海に潜るのは今日で最後だ。明日一日、ホテルなどでゆっくりとすることになっている。そしてその次の日は東京だ。もっともっとここにじっとしていたい。そう日未子は痛切に思った。
きっとまた帰ってくるからね…。
日未子は、誰にともなく手を振った。
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【著者】 江上 剛 (えがみ ごう)
昭和29年、兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部卒。第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。広報部次長時代に対応した総会屋事件が、映画「呪縛・金融腐食列島」のモデルとなる。平成15年退行、作家専業に。主な著書に「非情銀行」 「起死回生」「腐蝕の王国(上・下)」など。
(追伸)この「ニッポン・ウーマン」は11月21日発売の「フィナンシャル ジャパン」に掲載されています。
2005 12 19 [16. 小説「ニッポン・ウーマン」] | 固定リンク
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