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2008.11.23

[入山メモ] 大航海時代がやってきた(病気編その4)

 こんにちは。フィナンシャルクラブ株式会社の入山です。
 フィナンシャルクラブとは、木村剛が理事長となり金融・経済のナレッジ(木村ノートと私は呼んでおり、知りたくなるような情報が満載です。勉強すればお得な話が直に聞けます)を提供し、私がこれを草の根運動として広く普及させる役割を担うものです。

 今日は、大学卒業と同時に会社に就職し経理部に配属となった話からです。経理部は、自分から希望した部署ですが、周りの人達からは100%営業マン向きと思われていたのでみんな驚いたようでした。私が経理を希望した理由は、将来は田舎へ帰り父の仕事を継ごうと思っていたからです。そのために経営者に必要なスキルを学びたいという思いからです。
 しかし、家業に陰りがでて結局倒産することとなり、私は志を変えてサラリーマン人生を邁進することとなりました。
 本来は営業マン向きの人間ですから、苦手な経理の職場で過ごすことは、“ストレス”とともに生きることに繋がるのです。
 自分では、厭わず一所懸命仕事をしてきましたが、やはり大きな壁となる「病」に負けることとなりました。

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 まず発病したのが神経痛です。左腕が痺れ本格的に病との闘いの日々を迎えることになりました。  
 大きな原因として一つは私の仕事の部署が転々と変わったことで、ストレスが重なったこと、もう一つは当時子供の病気治療の為に奈良へ通っていたのですが、その移動中の新幹線内の冷房にあたっていたことと考えられます。
 結婚後、子供にも恵まれましたが、好事魔多しで私が病にかかっただけでなく子供も難病にかかり四方八方手を尽くし西洋医学・東洋医学を問わず温泉・神社仏閣・針治療に頼ることになるのです。
 左腕の痺れは結構長引きましたが、17代続く奈良の針治療のおかげで良くなりました。
 この続きはまた来週にお話しますがもっとつらい病が続くことをご覚悟下さいませ。
 ただ、この話の深淵はフィナンシャルクラブでお話ししたいと思っております。     つづく

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●入山利彦 プロフィール
1942年9月3日生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、1965年三菱商事株式会社入社。1986年金融子会社のエム・シー・ファイナンス代表取締役に就任し、バブル期に9000億円まで運用したが、1993年3月決算期で三菱商事は、財テク失敗により680億円の特別損失を計上し、エム・シー・ファイナンス代表取締役社長として280億円を肩代わりする。1998年~2003年に三菱商事のアドバイザーであったKFi (現:フィナンシャル)代表取締役社長、木村剛による理論を取り入れ実践し、荒波を乗り越える。
2008年6月30日まで三菱商事株式会社顧問として就任していた事に、失われた10年の謎の答えを見出す。数々の会社役員に兼任し、なお現在も抜群な発想力と決断力を持ち、常に戦略的に行動し各分野で手腕を振っている。
激動を繰り返す歴史で得た経験で最も伝えいきたいことはリスクマネージメントの大切さであると確信し、日本の金融について発展的なことがしたいという強い思いから、フィナンシャルクラブ株式会社代表取締役社長に就任。

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