2005.06.30

[週刊!岡本編集長] 最終回のごあいさつ

 皆さんこんにちは夏デヴの岡本呻也です。
 大変お名残り惜しいことですが、このブログで皆さんにお話し申し上げるのは、今回が最終回です。
 私はフィナンシャル ジャパン編集長を木村剛にバトンタッチします。

 思い返せば、木村さんから「雑誌を立ち上げるので手伝ってもらいないか」とお誘いをいただいたのが一昨年の春のことでした。私はプレジデントを辞めてから、しばらく物書きをやっていて、そのとき、まったく気の乗らない返事をしたのを覚えています。まさか、ほんとに雑誌を出すとは思ってませんでしたからね。
 それから半年ぐらいたってまたお話をいただいて、その時も編集長はお断りをして、「顧問なら」ということで参画することになったのでした。その後ヨーロッパに出かけて、塩野七生さんのところに遊びに行った時にその話をしたら、「あなたが編集長やりなさいよ」と強く勧められまして、塩野さんに背中を押されて編集長を引き受けることになったのでした。それが去年の4月の話です。

 当初は、「雑誌創刊まで半年の準備期間、その後1年くらい編集長をやって雑誌を立ち上げ、木村さんにバトンタッチしよう」と考えていました。スタッフはみんな優秀で、私が思っていたより早く、ぐんぐん編集スキルを身につけていきました。今や、フィナンシャル ジャパンの編集部員は雑誌編集者としてのトレーニングはばっちりです。
 今年初めから木村さんは日本振興銀行に行ってしまって、あまり「フィナンシャル ジャパン」の編集にはタッチしていただけなかったのですが、7月1日にナレッジフォア社長に復帰することになったので、この機会に編集権をすべて木村さんに譲り渡すのがよいだろうと判断した次第です。私の計算からすると3カ月早く、「フィナンシャル ジャパン」をお譲りすることになったということになります。
 私としては、雑誌の土台はきちんと整備することができたと自負しています。それを使って木村さんが、普通の編集者の発想をはるかに超えた超編集長として、斬新な企画でより一層読者の皆さんを楽しませる雑誌にできるだろうと期待しています。

 振り返ってみると、創刊当初は本当に戦争状態でした。手取り足取り編集のイロハを部員に教えていましたし、取材にしても制作にしてもすべて手を添えるようにしてやっていたので、毎日が異常に忙しく、自分でもよく切り抜けられたなあと思うほどです。毎日怒鳴っていたような気がします。
 「これではたまらない」と思って、編集部員が自分でものを考え、自分で判断できるように仕事の方向づけをして、みんなの実力を磨かせました。
 肝心なのは、「編集長はタテの物をヨコにもしないんだから、自分がすべて何とかするしかない」と思わせることです。そうすると、ある種のオーナーシップが芽生えて、自分で考えるようになります。雑誌のページ作りはチーム作業でなくて個人技なので、そうした動機付けが非常に重要なのです。最近では、部員は私に何を言っても無駄だということがわかったのか、何も言ってこなくなりました(あまり威張れませんが)。
 私自身、マネジメントスキルを身につけることができたとても良い経験だったと思います。

 最後に言いたいことをひとつだけ言わせていただきたいと思います。
 FJ創刊以来、経済雑誌や新聞が、FJに金融担当大臣や日銀総裁や、金融庁長官にご登場いただいたことを非難がましく報道するケースが目につきました。「FJに登場すること自体が、これらの人々と木村剛の親密度の証明である」という論調です。
 そうすると、雑誌や新聞に誰かがインタビューに答えて、自分の考え方についてきちんとしゃべるという表現行為をした場合、その人はその新聞社や出版社と仲がよいということになるのでしょうか? まったくナンセンスですよね。だったら中立を標榜する人は、どのメディアにも出られないじゃないですか。それにFJには、他にもいろんな人に出ていただいてますが、木村剛と面識のない人だって出ていますよ。
 さらに行政の長が、メディアに出て、自分たちの姿勢について旗幟鮮明にするというのは、とってもいいことですよね。それがどうして非難の対象になるのか。そういうことを平気で書く雑誌や新聞は、行政府の人間にインタビューに行くなと言いたいと思います。

 これらの企画は、私の編集権の下で企画掲載されたものであり、わたしは中立的な立場から、これらの企画が、他の企画と同様に、読者にとって意味があるのどうかの価値判断をした上で掲載決定したものです。「これはダメだ」と私が判断する企画であれば、木村剛から提案されたものであろうとも、他の部員からの提案と同様、ボツにしてきました。すくなくともいままでは、わたしがそうしたコントロールを行ってきたのです。雑誌と彼のほかの活動は別物でした。木村剛にFJでインタビュアーをやってもらうときには、「FJのインタビュアー」として、読者のためになる情報を引き出すことに徹してもらいました。
 人には役割というものがあります。会社では経営者の役割を果たしている人でも、財界に行けば社業を越えた立場から公益を考える役割を果たそうとするはずです。そういう役割認識を認めないのなら、財界活動などできないし、人の持つ可能性は大幅に狭まってしまうでしょう。民間人が政府に入るということもできなくなります。果たしてそれでよいのでしょうか?
 「FJはメディアとして読者のためになる情報として、公的な地位にある人にインタビューして掲載した」という点を完全に無視して、「自分達は中立公正だが、木村が関与するFJは癒着の産物である」。つまり「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という思い込みでFJをなで斬りにしてきた記者諸氏は、天に唾していないかどうかよく考えるべきだと私は思いますね。

 あー、さっぱりした。わたしはもとの物書きに戻りますので、書店店頭で皆さんにお目にかかる日もあると思います。その日までお元気で。
 あでゅー!

2005 06 30 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.06.23

[週刊!岡本編集長] 『GMとともに』

 こんにちは、「組織は戦略に従う」と思っている岡本呻也です。
 アルフレッド・スローンが書いた『GMとともに』(ダイヤモンド社)を読みました。「史上最初にして最良の経営書」と呼ばれる本です。読後感としては、まったくそのとおりですね。
 ゼネラル・モーターズを世界最大の企業に育てた本人が、その過去のすべてを振り返って書いた実に素晴らしい本です。しかも、1954年に書き上げてから、関係者が全員死亡する1963年まで出版をしなかったというのだから、この偉大な経営者の気遣いは徹底しています。ご本人はその3年後に90歳でなくなりました。ハンパじゃないっす。

 本は大きく2つの部分に分かれています。
 第1部はGMがいかにして経営システムを洗練させていったかについて、経営者の視点から記述したもの。第2部は、自動車の技術的な進歩や販売制度、海外展開、国防への貢献、人事システムなどについて細かく振り返ったものです。私は第1部が強烈に面白かったです。

 GMは長らく世界最大の企業として君臨してきましたが、ここにきて急速に業績が悪化し、大規模なリストラを表明するに至りました。いまやこのさしものエキセレント・カンパニーも曲がり角にさしかかっています。
 「偉大な先達であったスローンの教えを忘れたからだ」などと賢しら顔に非難するのは、どこかの出来損ないの新聞の社説のような感じでよろしくないと思います。経営というのはほんとに難しいものだと私は思っていますので。ただ、この本の最終章から、若干の引用をするにとどめたいと思います。これはあらゆるビジネスマンにとっての教訓を含んでいると思いますから。
 以下に述べられているのは、スローンの経験に基づいた信念であり、彼がやったのは以下のようにGMをあらしめようとしたことです。つまりここに望ましい経営のすべてが書かれていると言っても過言ではないでしょう。
以下引用。

今日のGMがあるのは、優れた人材に恵まれているがゆえ、彼らが互いに力を合わせているがゆえである。彼らが参画した企業が、各人の活動をうまく結び付けたからである。活躍の場はすべての人々に開かれている。技術知識は、科学の発展に伴いすべての人に開かれた「倉庫」から流れでてくる。生産の手法も広く公開されている。機械類も誰でも手に入れられる。市場は世界全体に広がっている。企業が多くの人から知られ、尊敬を集める秘訣は、顧客の心をとらえることに尽きるだろう。(中略)

動きが鈍ければ、どれほど規模が大きくても、どれほど名声が高くても、市場から背を向けられる。1920年代のフォードがその典型だ。フォードはかつて大きな成功を手にしたが、その成功体験をもたらした事業方針に長く執着しすぎたのだ。(中略) そのGMも、ひとたび繁栄を築いた後に失速していたかもしれない。この業界にはこれまで、いやこれからも危険があふれていて、どこでつまずくかわからない。市場、製品ともにたゆまずに変化している状況では、変化への心構えができていなければ---それどころか私の意見では、変化に対応する具体的方法を持っていなければ---、どのような組織も叩き潰されてしまう。

自動車産業は、誕生から今日まで常に、顧客の志向変化をいかに先取りするかという課題に直面してきた。新製品を開発するには何年もかかるが、それでもやはり、需要が生まれた時には準備ができているようにしておくことが、メーカーの務めである。(中略) GMの目標は、単に『すべての所得層の、すべての目的にこたえること』ではなく、『すべての所得層の、すべての人の、すべての目的にこたえること』と言えると思う 

2005 06 23 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.06.16

[週刊!岡本編集長] 「近頃、骨太の歴史小説がない」とお嘆きの諸兄に

 皆さんこんにちは、日々平安な岡本呻也です。
 久々に骨太の歴史小説を読んでみたいと思ったんですよ。でも、シバリョーなんかが定型をつくっちゃって、すでに有名になっている話だと面白くないじゃないですか。そこで新たに書いていただくことにしたんです。それが21日発売のFJ8月号から連載を開始する、「権力の回廊 徳川三百年を創った男たちの軌跡」。筆を執っていただくのは、岳宏一郎先生です。

 今回の小説のテーマは、徳川三百年の治世を支えた男たちの、すさまじいまでの権力闘争に肉薄することによって、日本人の持つ権力観をえぐり出すことです。
 第一回は、家康とともに今川家に人質となっていた徳川家中随一の切れ者、信長と家康の同盟に続いて、秀吉と家康の仲を取り持つことにも成功した徳川家の筆頭家老石川数正の生涯を、憎いほどうまい筆致で取り上げています。
 構想としては、家光の時代までの徳川家を支えた本多正信・正純父子、酒井忠世などの三河武士の系譜をまず辿ります。その後、三河武士以外の俊英たちが幕府の権力に迫ろうとします。堀田正盛、新井白石などです。彼らは、将軍を支える幕閣という立場ではあったのですが、実質上権力をほしいままにした人たちです。
 暴れん坊将軍のモデルになった徳川吉宗は自ら実権を持ちますが、その後は松平定信、田沼意次といった人たちが権力の中心にしゃしゃり出てきます。彼らはどのように権力を手にしたのか、また運命にもてあそばれて実権を失っていったのか、権力をめぐって踊った人間たちの骨太のドラマが展開します。

 筆者の岳宏一郎先生は、関ヶ原の合戦をめぐる大名たちの生死を賭けた壮絶なドラマを圧倒的な迫力で描いて時代小説ファンをうならせた『群雲、関ヶ原へ』でデビューされました。
 その後、黒田官兵衛の一代を描いた『軍師官兵衛』、利休の七哲を描いた連作『花鳥の乱』、本能寺の変を公家の視点から描くというチャレンジに見事に成功した『天正十年夏ノ記』といった、他の作家とは全く違う角度からの歴史への鋭い切り込みを見せる作品群で知られています。また人物の心理描写、群像描写には定評のあるところです。「権力の回廊」は、岳先生の得意技が生かせる題材だと思われますので、ご期待いただいて間違いないでしょう。

 岳先生は今回の小説を準備するにあたって、多くの一次史料を渉猟されております。例えば第1回、「戦国猿 石川数正」では、小牧・長久手の戦いが和睦に至るまでの経緯を、新史料に基づいて書いています。綿密な史料の検討から、これまでにない人物観が打ち出されてくるかもしれません。わたし自身、この歴史小説の連載の今後の展開がたいへん楽しみです。

2005 06 16 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.06.09

[週刊!岡本編集長] 「FJスタイル」をご存知ですか?

 みなさんこんにちは。毎年ズボンを買い替えなければならない岡本呻也です。最近の服は縮むのが早いなあ。
 私は買い物がとっても苦手です。ショッピングを楽しむという感覚は、私にはよくわかりません。その苦手な買い物中でも一番苦手なのが、服を買うということです。自分を飾っても仕方がないと思ってるんですよねー。男は中身で勝負だ!

 ……などと言っていてはビジネスマン失格です。初対面との相手との関係を決めるのは第一印象。話を有利に運ぶためには、着るものは非常に大切なんです。私はどうもこのあたりをおろそかにしているきらいがあるかもしれませんね。
 しかたないので、スーツをつくる店を決めていて、毎年そこでつくることにしています。

 FJの連載記事の中で、意外と見過ごされがちだけど、他の雑誌では絶対に見られないセンスの良い企画として、巻末にあるファッション企画「FJスタイル」があります。
 今号で登場しているのは、GIVENCHYとフジテレビ。GIVENCHYの高級スーツを着たかっこいいガイジンのモデルが、東京のお台場にあるフジテレビの社屋のさまざまなスポットでポーズをとって撮影するというものです。一流ブランドと、日本を代表する企業のコラボレーション。これまでに大胆にも、松下電器産業や資生堂、松井証券、日産自動車といった企業の本社をお借りして、ファッションモデルの撮影を続けてきました。なかなか面白いでしょ。
 その他にぜひチェックしていただきたいのが、 FJスタイル最終ページの、経営者の仕事中のファッションと、オフの日のファッションを比較するページです。第1回にご登場いただいたサイバーエージェントの藤田晋社長から、今回のカカクコムの穐田誉輝社長まで、話題の若手経営者が自分なりのファッションを公開してくれています。
身だしなみにきちんと気を使うビジネスマンの方は、ぜひご覧になってください。

2005 06 09 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.06.02

[週刊!岡本編集長] インターネット10周年

 みなさんこんにちは。ネットデヴ岡本呻也です。
 ふと思ったのですが、今年は日本にインターネットが本格的に上陸してから10年目だと思っているのは私だけでしょうか。
 そもそも、このブログだってインターネットがあるから、メディアとして成立しているものなんですよね。みんなもっと盛大にお祝いするべきかもしれないのに、誰もなんにも言わないのはなぜでしょう。

 企業がやっていたら、誰も祝いたくもないものでも、しつこいほど「10周年記念キャンペーン」なんて宣伝するのでしょうが、インターネットは誰がやっているものでもないですからねえ。
 ところが、「いや、インターネットマガジンは、2004年の11月号が10周年なので、去年がインターネット10周年だったかもしれない」という説があります。いやそれどころか、日本でインターネットが正式に商用化されたのは1993年なんだそうです。ということは、とっくの昔にインターネット10周年は終わっていたということなのでしょうか……。

 でも私にとっては、今年がインターネット10周年なんです。ちょうど10年前の今頃、初めて自分でアップルのパソコンを買ったんです。秋葉原に買いに行って、そのまま会社に送ってもらいました。しばらくは会社でゲームばかりしていたように思いますが、2カ月ぐらいしたらLANが引かれてその先がインターネットにつながったんです。
 自分の机の上で、ウェブサイトを見ることができるようになりました。もちろん当時はJAVA以前ですから静止画だけです。サイトの数も少なかったので、あまり面白い情報もなかったような気がします。YAHOOのホームページなんかも、今と比べればほんとにシンプルなものでしたね。
 しかしこの時は、自分のパソコンが、世界中のサイトつながっているというだけですごい感動がありましたよ。今はそんな感動、誰も忘れていますよね。インターネットはあまりにも自然なものとして日常の風景に溶け込みました。

 実は私がいた月刊「プレジデント」で、1994年の秋に大前研一さんにインターネットについて語っていただき、それをインターネット革命という単行本にしたんです。この本は10万部売れました。その連載がプレジデントに載ったとき、私は編集部員だったわけですが、「個人が自分の情報をホームページに掲載するようになるために、どんなことでもインターネットで調べることができるようになる」と書いてあったのを読んで、「そんなバカなことがあるはずがない、一文の得にもならないのにどうして無料で情報を世界中に発信するなんていうことを普通の人がやり始めるんだろうか」と思ったのを覚えています。

 そして2000年の正月からは、私自身も個人サイトを始めて、今日に至るまで毎日更新を続けているというわけです。【リンク http://www.ne.jp/asahi/shin/ya/
 1999年の後半から2000年の春先にかけては、日本にもネットベンチャーブームが到来しました。インターネットという武器を手にした元気な起業家たちが、大企業を手玉にとってビジネスを伸ばし、株式上場して大金を手にしました。私はその様子を取材して、『ネット起業! あのバカにやらせてみよう』(文藝春秋刊) というノンフィクションを書きました。これが私のデビュー作なんです。ホリエモンが上場した瞬間も取材しましたね。

 これらのネットベンチャーは、経営がうまくいったところと淘汰されたところに分かれましたが、うまくいった企業はさらに大きくなって、今や日本の経済社会のメインプレーヤーになりました。プロ野球の球団を買収したり、派手な買収劇を打ち上げたりして、今も経済社会を引っ張るフロントランナーであり続けています。
 考えてみると、インターネットがいつから始まったかが問題なのではなく、いつ自分がインターネットに触れたかを起点にして、10周年を振り返ってみるとおもしろいかもしれません。インターネット10周年は、今日もネットに接続する人々の、各々の心の中にあるのかもしれませんね。

2005 06 02 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.05.26

[週刊!岡本編集長] ソフトブレーン、東証1部に昇格!

 みなさんこんにちは。「太ったブタ」より、「太ったソクラテス」になりたい岡本呻也です。直立レッサーパンダでもいい。
 ところで6月1日から、宋文洲さんが経営するソフトブレーンが、東証1部に昇格するそうです。おめでとうございます。
 外国で生まれて、日本で成人した外国人が創業した会社として初めて1部上場の栄誉を勝ち取ったということなのだそうです。素晴らしいことですね。

 宋文洲さんは、いわゆる「変な外国人」としての視点で、日本企業のおかしなところをズバズバと指摘する本も出版していて人気がありますが、とても理詰めで物事を考える人で、「業務の効率をどうすればもっと向上することができるか」を真剣に考えている人なんです。
 その宋さんに、「では現代のマネージャーに求められていることの本質って何なんでしょうか。徹底的に追及してみませんか?」とご相談したところから始まったのが、FJ7月号の第一特集・宋文洲が聞いた「5つの智慧」~「上司」の極意です。
 アサヒビール、クレディセゾン、パワードコム、昭和シェル石油、日本テレコムという、日本代表する論理派の経営者たちに対して、宋文洲さんに突撃インタビューをしていただきました。

 なんせガチンコのインタビューですからね。さすがの宋さんも、「どのように話を聞くか」頭を絞ってインタビューに望みましたし、「今日は社長の本音が聞きたいんです」と前置きをして、どんなに話をはぐらかせされても食いついて、本質的な話を聞き出すことに成功しています。プロのインタビュアーよりもはるかに鋭いインタビュー能力をお持ちの方だと思いました。

 そんなわけでこの特集、「いいマネージャーになりたい」と思っている人、マネージャーを使う立場にある人、どちらが読んでもとても役に立つ実用的な特集になっています。適当に大変をつなげただけの編集ではなく、トータルで見て意味のある深い内容の記事にすることができたと思います。ぜひご覧ください。

 この特集が載っているFJ7月とあわせまして、宋文洲さんがこれまでに出版した4冊の本の共同のフェアを、東京都内十数カ所の書店と、全国主要都市の書店において展開しています。宋文洲さんご自身のお考えをつづった単行本の方も手にしていただければ幸いです。
 
【この特集の記事を立ち読みしたい方はこちらからどうぞ】
宋文洲が聞いた「5つの智慧」~「上司」の極意
 
http://www.financialjapan.co.jp/biz/biz_pickup/

2005 05 26 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.05.19

[週刊!岡本編集長] ホリエモンのアドバイザーに聞いてみた

 みなさんこんにちは、太った「王子様」岡本呻也です。
 フジテレビによるニッポン放送TOBのアドバイザーが大和証券SMBCだったというのはよく知られていますが、ではホリエモンのアドバイザーは誰だったのか? 「えっ、リーマンじゃないの」と思う人が多いでしょうが、MSCBの引き受けは、実はゴールドマンサックスにもJPモルガンにも持ちかけられてたんです。
 「フィナンシャル ジャパン」は、あまり知られていないホリエモンの参謀役への単独インタビューに成功しました。

 ホリエモンがアドバイザーにしていたのは、M&Aに関してはアメリカ最強の法律事務所スキャデン・アープス・スレート・マー&フロム(長いなあ)の日本の共同事業事務所だったんです。

 この法律事務所、世界22カ国に、1700人の弁護士を抱えている大事務所です。LBOの代表的事例として知られている1988年のRJRナビスコ買収の入札は、この会社のニューヨークオフィスで行われて、スキャデン・アープスがアドバイスしたKKRが勝ったというのですから、まさにM&Aの総本山のような法律事務所なんですねえ。

 スキャデン・アープスは世界的に事業展開しているのですが、意外にも最初に海外の拠点として置かれたのは東京事務所だったのだそうです。日本では未だに目立ったM&A案件があるたびに「会社は誰のものか」といった議論が蒸し返されるのですが、そんなところに最初に進出したというのもおもしろいですね。
 スキャデン・アープスの優位性は、とにかく手がけた案件の数が豊富であること。ほとんどのメジャーな案件に絡んでいるといっても過言ではないでしょう。だからアメリカにおける法律的な判断の積み上げに精通しているわけなんです。この経験の蓄積はかなりの財産でしょう。日本の事務所から問い合わせれば、すぐに答えを返してくれる風通しのよさもあるようです。

 このスキャデン・アープスの神谷光弘弁護士に、M&Aに勝つ方法、防衛する方法をいろいろと聞いてみました。なんせ一番よく知ってると思いますからね。
 現在、東京事務所の仕事は、国内企業が国内企業を買うというケースが多いそうです。松下電器産業による松下電工の子会社化とか、セガとサミーの事業統合の米国法関連部分などをアドバイスしたと教えてくれました。
こういうM&Aに強い法律事務所の東京進出は進んでいるようで、サリバン&クロムウェル、シンプソン・サッチャー&バートレットなんてところが都心にオフィスを構えているようです。ホリエモン騒動はすでに人々の記憶の片隅に追い込まれてしまっているようにも見えますが、果たしてM&Aの大波はこのまま収束してさざなみ程度になってしまうのでしょうか。それとも大きく盛り返すのでしょうか。
 それについてもスキャデン・アープスの認識を聞いてみました。

【この記事を立ち読みしたい方はこちらからどうぞ】
ホリエモンの参謀が語る「負けないM&A」  和田 勉
http://www.financialjapan.co.jp/money/money_pickup/

2005 05 19 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.05.12

[週刊!岡本編集長] 「ガリア戦記」

 みなさんこんにちは、GW中にヒゲを伸ばしたけど、誰にも何も言ってもらえなかったのでさびしく剃ってしまった岡本呻也です。しくしく
 わたしはふだんはとにかく忙しくて、仕事に絡む本以外はぜんぜん読むひまがないのですが、GWは少しが時間ができたので、本を2冊読みました。1冊は『ガリア戦記』です。

 これはまあご存知のとおり、世界史上最大の英雄の一人、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)本人が書いた戦記ですよ。紀元前1世紀、現在のフランスにあたるガリア地方を平定するまでの8年間の記録を、実に簡潔で余計な修辞を配した文体で記したものです。しかし抜群におもしろい。それは軍団指揮官の視点から、状況の推移を克明に描いているからです。

 カエサルのガリアにおける働きはすばらしいものだと思います。こんな大部隊のローマ軍団が機敏に移動し、架橋や攻城などの工作を行うことができるというのは、驚くべきことです。それを可能にしたのはそれまでに蓄積されてきたローマの文化だと思います。それがあって初めて、カエサルもローマ軍団の威力を最大化する天才的リーダーの手腕を振るうことができたのだと思います。
 しかし、ローマの文化水準はこの後しばらくしてピークを迎え、徐々に衰退していきます。塩野七生さんが、『ローマ人の物語』のなかで、コンスタンティヌス凱旋門(コロッセオの隣にある門です)の彫刻で分析しているように、彫刻の写実性が世紀を減るにしたがって失われていきます。ローマの文化は時代を経るごとに劣化していったのだと思います。カエサルは、たまたまローマの文化が頂点にある時期に登場したのかもしれないなあと思いました。
また、これは企業の組織文化にも共通することだと思います。最強企業のトヨタでは、世界中どこに行っても共通化された在庫管理のシステムや、「カイゼン」を追求する文化を持っています。彼らは企業文化の優位性によって勝っているわけです。これは非常に重要なことです。知識経営の問題ですね。

 もうひとつ『ガリア戦記』を読んでいて目についたのは、カエサルが特にスピードを最重視していたことです。
 「ただ迅速果断な行動のみがすべてを決定すると思われた」
 「この困難は、ただ機敏な行動によってのみ克服される。成功は戦闘そのものにではなく、機会をうまくつかむことにある」
 「孫子」やランチェスター戦略に書かれているのと同じことです。
 これを知る者しか、リーダーになってはならないと思います。それに誰にでも平等な資源である時間を味方につける大切さを知ることはビジネスマンの基本です。なんせビジネスの語源からしてそうなんですから。しかし、時間を味方につける優位性を知らない人のいかに多いことか。
 わたしは編集部員にある一口話を繰り返すことにしています。それを「新幹線に撥ねられる人の話」と言い慣らしています。保線の人が新幹線の線路の保線作業をしていると、遠くのほうから新幹線がやってくるのが見えます。 「ああ、まだあんなところにいるなら、作業を続けていても大丈夫だな」とたかをくくっていると、新幹線は思いもよらない速さでやってきて、撥ねられてしまうわけです。「時間というのはこのように、思っているより早く過ぎるから、常に先手を打たないと撥ねられてしまうぞ」ということです。まあ、言ってもわからない人は、結局痛い目に遭わないとわからないのですが。

 2000年前にローマ軍団を自在に動かしてローマ世界を一変し、現代ヨーロッパの礎を作ったカエサルは偉大な存在です。ことマネジメントにおいては、いまも昔も本質的にはまったく変わっていないことを思い知らされました。 彼なら、現代の企業を経営しても、必ず成功者となったことでしょう。

2005 05 12 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.05.05

[週刊!岡本編集長] 「大阪」に復活の兆しはあるか?

 みなさん、こんにちは。巨人ファンの岡本呻也です。
 大阪というと長期低落傾向にあり、数年前にはトヨタが支える中部経済圏に工業出荷額で抜かれて、どうしようもない状態にあるというイメージを持っている人も少なくないでしょう。
 ところが、ここ最近、大阪経済が回復の兆しが見えてきたという人もいます。正確に言うと、やっと元気になりつつある段階らしい。ようやく風向きが変わってきたのでしょうか。

 その一番の要因は、松下電器産業に代表される企業の業績が上向いたこと。数年間にわたってリストラを断行し、バブルのウミを出し切って、やっと積極的な設備投資の攻勢に乗り出そうという体制を整えてきたからです。その姿勢は、下請け企業への発注につながります。仕事が増えてきているらしい。どうやら関西の企業には、お金という血液循環ができて、やや経営改善しつつあるようです。

 それはしばらくすると、街の表情にも現れてきます。気のせいだか、繁華街の空気も少しは明るくなったような気がしませんか。一年近く前から大阪に通うようになった人に話を聞いてみると、最初はキタの繁華街もすごーく暗い感じだったのが、年末あたりから明るげな表情になってきたと印象を語っていました。

 とはいえ、直近の経済レポートを見ると、「改善傾向には一服感」という表現が並んでいます。1-3月期の業況判断DIがマイナスだったからです。でも4-6月期予想は、大幅に改善しています。どうなるんでしょーかね。
 万博や新空港の開港で名古屋に注目が集まっていますが、そういう時だからこそなおさら、大阪にも頑張ってほしいものだと思ってなりません。

2005 05 05 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.04.28

[週刊!岡本編集長] いよいよゴールデンウィークですね

 こんにちは、シャル・ウィ・ダンス岡本です。
 ゴールデンウィーク前に何を書こうかと思ったのですが、私が昨年、日経BP社のサイトに連載した、日本のカイシャとビジネス文化についての分析記事をご案内したいと思います。題して
カイシャ主義に挑戦! “オープンソース型ビジネスマン”の生きる道 です。

 これ、かなり好評だったんですよ。投稿のメールも500通くらいもらいました。
 みなさん、カイシャについての不満がかなりたまってるんですね(まあ、当然でしようが)。
 いま編集しているFJの対談の中で、ある社長さんが成果主義について、「みんな評価されることに不満があるんじゃない。正しい評価をしてもらいたいだけなんだ」と述べておられます。
 まったくですよね。だけど日本のカイシャでは、業績を上げることよりも、秩序を守るほうが大切なので、「正しい公正な評価」なんて口先では言っていても、本気でやる気なんかぜんぜんないんですよ。
 この記事は、どうしてそういうことが起きるのか、その構造的要因を探り、古い日本企業の体質にからめ取られない新しいビジネスマンのマインドを提唱したものです。

 新書一冊分くらいのたっぷりした量がありますから、連休中にお時間のある人はご覧ください。
リンクがちゃんと繋がっていないので、わたしのサイトのページをポータルにしていただいたほうが読みやすいかもしれません。
こちら です。
【http://www.ne.jp/asahi/shin/ya/desk/Linux.htm】
 では、みなさんよい連休を!

2005 04 28 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.04.21

[週刊!岡本編集長] なぜ組織はだめになっていくのか

 こんにちは、モリゾー岡本です。
 世の中は移ろいゆくものです。昔は日本が中国をいじめていたのに、今では中国政府が日本を公然と非難し、日本側は死んだふりをしています。
 私も社会人になって20年弱になります。その間に、日本の企業組織に対する人々のイメージはかなり変わってきたような気がします。早い話が組織の「権威」が崩壊して、社長とか上司が、あまり偉く見えなくなってしまったということがあるのではないでしょうか。
 過去20年間をならしてみると、一見まじめに仕事しているのは変わっていないのですが、組織や、そこでやっている仕事に対する信頼感のようなものが、以前に比べると薄くなってきているように思うのです。
 仕事が、しっかりと上司の掌の上に乗っていて、コントロールがしっかり効いているという感じがなくなったてきたのではないでしょうか。

  非常に大きなインパクトがあったのはバブル経済であったと思います。バブルに踊った後、みんなの気持ちのタガが外れてしまって、役所や企業の不祥事が明るみにさらされ、組織の信用は大きく失墜してしまいました。
 さらに、あらゆる組織が抱え込んだ不良債権の存在は、組織の権威を失わせるに十分なものでした。
 経済が縮小することで、企業間競争は激化し、バブル以前のようにのんびり構えていてもやっていけるという時代は終わってしまいました。植木等が歌った「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ~」という環境は過去のものになってしまったのです。
 さらに、昔は考えられなかったコンプライアンスや環境監査への対応といった外部的に面倒なことが増えて、「単に目標達成すればいい」という話ではなくなってきたということも、上司や組織が権威を失ってしまったことの背景にあるかもしれません。360度評価なんてのもありますしね。

 しかしもうひとつの、見落としてはならない文化的な問題があると思います。それは、戦後の平等教育の大きな成果だと思うのですが、上司自身が「自分は組織の一成員にしか過ぎない」という強い思い込みを持ってしまっている、そういう世代の人が上司に多くなったということなのです。
 団塊の世代は、みんなの「お山の大将になりたい」と思っている人たちですから、よくも悪くも「組織をリードしよう」という強い意識を持つ人々でした。しかしポスト団塊以降の人は、段階の世代に迫害されてきた反動もあって、「自分が組織のリーダーであり、目標達成に責任を持っているのだ」という認識に欠けていることが少なくないように思うのです。
 「自分が組織の方向性を決め、チームの産み出す付加価値を最大にする責任を負っているのだ」と思わない人がリーダーをやっているとヤバイと思いませんか。

 実はこんな話を書いたのは、21日発売のFJの営業幹部特集の巻頭座談で、そういうダメなマネージャーをいただいたダメ営業組織をどうを叩き直すべきかが話題となったからです。
 「部下に嫌われたくない、だから部下に嫌なこと言いたくない、部下を問い詰めるようなことはしたくない」という「とても優しい上司」が急速に増殖しているのだそうです。
 そういう組織はよい組織なのでしょうか。みんなで甘えてもたれ合っているうちに業績が下がって、給料も下がってしまうというのが関の山でしょう。自己実現のチャンスも減ります。それは望ましいことでしょうか。

 過去の日本の企業組織では、上司は部下を権威で治めていたところがあります。それは私は好ましいこととは思っていません。上司を結婚式に呼ばない人は少なかったでしょう。しかし今ではそれが当然です。
 マネージャーであるとか、執行役員であるということは、権威ではなくて機能なのです。その機能をしっかり果たすことが各人に求められていることではないでしょうか。ですから経営目標を達成するために、もし部下に嫌われるようなことを言わなければならないのであるならば、「部下に嫌われることがマネージャーの役割だ」と割り切るくらいでなければならないでしょう。それができないのなら、その人は不適任であるということです。

 座談会の中では、ある参加者が、「マネジメントとは人間の本性に反しているものだということを、マネージャーは理解しなければならない」と語っていました。あまりうれしくない言葉ですが、組織が他の組織と競争して生き残っていくためには、押さえておかなければならないポイントなのだと思います。
 FJ第1特集 「ダメ営業組織委は足元からこう叩き直せ」、なかなか面白いですよ。ご覧ください。
【http://www.financialjapan.co.jp/biz/biz_pickup/】

 ところで、FJ 5月号で取材させていただいた「花の宿 松や」の臼井静枝女将が、新たに創設された旅館女将の国土交通大臣表彰の栄えある第1回受賞者として選ばれました。心からお祝いを申し上げます。 
 今回の大臣表彰創設の理由は、ビジット・ジャパン・キャンペーンなどで外国人の訪日を促す動きの中で、「特に、旅館の高いホスピタリティーを維持するためには、接遇業務の総括責任者である女将の役割が重要視されている」との点に注目したとのことです。
 温泉旅館の女将の技量は、アニメーションやゲームソフトのような、世界に誇るべき日本の資産のひとつなのかもしれませんね。

2005 04 21 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.04.14

[週刊!岡本編集長] ロールスロイスに乗ってみる

 こんにちは、グラッチェ岡本です。
 今年の桜はすばらしかったですね。わたしは、上野に程近い谷中墓地で毎年桜を見る機会があります(去年は外国に行っている間に桜が終わってしまって、なにか物足りなさを感じました。やはり日本人は桜を見ないと)。
ここの桜は樹齢がけっこう古いこともあり、見事な花のトンネルを形作っていました。土曜日は特に素晴らしかったです。死体の埋まっているところの桜は特にきれいに咲くといいますからね。

 ところで、トヨタのマーク2に乗っていた私ですが、一度だけロールスロイスに乗ったことがあります。そうあれは、今から10年ほど前。城南電機の宮路社長という人がいらっしゃったのを覚えてらっしゃるでしょうか。なんでも現金で仕入れるため、いつも2000万円ほどの現金をスーツケースに入れて持ち歩いていた、あのおじさんです。
なぜか知らないけど、当時はお茶の間の人気者だったですよね。残念ながら7年ほど前に亡くなってしまいましたが。

 そして宮路社長のもうひとつのトレードマークが、えんじ色のロールスロイスでした。わたしはこのロールスロイスに乗せてもらって、千葉まで宮路社長と2人でドライブしたことがあるんです。
 ひどい企画で、当時の編集長が「古寺巡礼の企画をやりたいので、宮路社長に出てもらえ」というんですよ。あの人が信心なんかするわけないじゃないですか。
 しかし私は一計を案じました。「宮路社長といえば大阪のミナミ。大阪のミナミといえば盛り場。また、ミナミといえば法善寺……」。編集者という人種は、こういうことを考えるろくでもない連中なわけです。
 宮路社長に聞いてみると案の定、「そういえば、ミナミの飲み屋に同伴出勤する途中で法善寺に寄ったことが何回かあるよ」。「それでは」というので、法善寺に宮路社長が行くという話を書くことにしたのでした。
 ところが、法善寺の前で写真を撮りたいのですが、宮路社長を大阪まで連れていくにはどうしても日程が合いません。出張の予定はあるのですが、前の週に行ったばかりだったんです。
 そこで私は、またまた悪知恵を巡らしました。「確か千葉県の佐倉にある国立歴史民俗博物館には、法善寺のレプリカがあったはずだ。ここに社長を連れていって撮影すれば、あたかも宮路社長が法善寺に行ったように見えるじゃないか。
 もう神も仏もあったものではありません。

 そういうわけで、「宮路社長とロールスロイスで行く法善寺半日ツアー」になったのでした。ロールスロイスの後部座席はさすがに快適で、非常に静かだし、揺れも少なかったですね。楽しくお話ししているうちにあっと言う間に博物館についたのを覚えています。無事に撮影も終わり、その日は宮路社長と都内で食事をして帰りました。
 マスコミからは「変なおじさん」としか扱われなかった宮路社長ですが、とても素晴らしい人格者でしたよ。弱い者には優しく、強い者はには厳しく、自分のできる範囲で闘っている人でした。化粧品の輸入販売については厚生省と戦い、コメの販売については農水省と戦い、家電製品の安売りについては大家電メーカーと戦っていました。いい人は早く亡くなってしまうんですよね。

 今月のFJでは、このロールスロイスがどのように売られているのかについて取材してみました。
ロールスロイスは1台5000万円くらいします。マンションが走っているようなものです。これはもう、車を超えた車なので、普通の車と同じように売るわけけにはいかないのです。ではどのようにセールスマンはお客さまとお付き合いしているのか。それが今回の取材のテーマです。
 ショールームで久しぶりにロールスロイスを見ました。やはりすごい存在感を放っていますよね。その後近くの日本車メーカーのショールームに行って車を見たのですが、同じ種類のものとは思えないくらい、ロールスロイスには存在感がありましたよ。
 今回は、動画でも取材をしてきましたので、ご興味のある方は以下のリンクからぜひFJオンラインにお立ち寄りいただいて、ロールスロイスに込められているものを見てみてください。
http://www.financialjapan.co.jp/biz/biz_pickup/

2005 04 14 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.04.07

[週刊!岡本編集長] なぜいつもバスはつながって走っているのか

 みなさんこんにちは、春眠暁をちっとも覚えない岡本呻也です。
 私は都営バスで通勤しています。都営バスのマスコットは「みんくる」というキャラクターです。結構かわいくて、私は好きです。都営バスは座席が「みんくる」模様になっています。この前京都に行ったら、京都の市営バスは座席の模様が「牛車」でした。これでは遅くていつまでたっても着きそうにありませんね。

 ところで、「みんくる」は好きな私ですが、どうしてもバスについて気に入らないことがあります。それはバスがいつも2台連なって走っているということです。これって全くの無駄ですよね。しかもみなさんご存じの通り、前の車両は満員で運行しているのに、後ろの車両はガラガラでみんな座っているという状態です。これって何なんでしょうか。

 数学が得意な友達にきいてみると、これはどうやら必然的にそうなってしまうらしいんですね。
 つまり、路線の中を走っているバスが正確に時間通りに運行されていれば、このようにバスがつながってしまうことはないのですが、少しでも遅れるバスがあるとバス停でバスを待つお客さんがたまってしまい、その人たちを乗せている間に後ろのバスが近づいてきてしまうわけです。一度遅れたバスは、どんどん遅れてしまうために、結局後ろのバスとつながって走ることになってしまいます。「ゆらぎ」が起きると、それが広がって無秩序を作ってしまうわけです。
 路線が長ければ長いほど、バスが終点に近ければ近いほど、こうしたことは起こりやすいのではないでしょうか。

 なるほどねー、目からウロコです。こういうふうにならないようにするためには、後続のバスが止まって時間待ちをすればよいのだそうです(前の遅れたバスが満員なのは直りませんが)。
 それで思ったのですが、これと同じようなことは超高層ビルのエレベーターでも起きているのではないでしょうか。私はマンションの38階に住んでいて、降りる人が多くて混み合う朝の時間でも、誰も乗ってこずに1階まで真っすぐ降りられるときもあるのですが、誰かが途中で乗ってくると他の階でも乗り合わせてくる人が増えて、エレベーターが満員になってしまいます。

 考えてみるとこうしたことは、バスやエレベーターだけではなく、資産運用や職業選択など、空間や時間を超えて社会生活のいろんなところで起きているのかもしれませんね。

2005 04 07 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.03.30

[週刊!岡本編集長] 心霊タクシー

 みなさんこんにちは、プリマヴェーラ岡本です。
 京都の龍安寺に行きました。3回目になります。
 門前で拾って駅まで乗ったタクシーの運転手さんに、「どこかおもしろいお寺はないですかねえ。もう大概の観光スポットには行ってしまったと思うんですよ」と尋ねると、「古知谷の阿弥陀寺はどうですか」とのこと。この寺は鯖街道(敦賀街道 or 原発街道)沿いにある慶長年間に創建された寺で、開祖の弾誓上人は即身成仏してミイラになっているそうです。そして運ちゃんは、「私、霊感が強いんですが、この弾誓上人を一度タクシーに乗せたことがあるんですわ」と語り始めました……。

 運ちゃんいわく、
 その寺の前で、やはり霊感の強い女性を乗せたのですが、その人が「誰か一緒に乗ってきましたよね」とわたしに尋ねるんですよ。やっぱり分かる人には分かるんですねえ。
 こうなってくると、面白いので話を合わせるしかありません。
 「ほう、どこまで乗せたんですか」
 「三千院まで乗っていかはりましたわ。降りる前に頭を3回小突かれました」
 「お金払ってもらえないんですねえ」

 この運転手さんは、昼間でもバックミラー越しにいろいろなものを見たり、首のない人を乗せたりしているのだそうです。そればかりか、乗り移られてしまうらしい。ある夜、運転していて信号3つ分くらい無意識になって運転していたこともあるそうです。しかも無意識のうちに曲がり角を直角に曲がっていて、気がついたときにはなぜ自分がそんなところにいるのかわからなかったそうな。危ないので夜の勤務はやめて昼だけにしているとのこと。
 京都は歴史が古いので、心霊スポットには事欠かないそうです。運転手さんが感じるのは25カ所くらいあるらしい。

 その中でも特にヤバイところを教えてもらいました。十条竹田は昔首切り場があったところらしいですが、ここでは首のないお客さんを乗せたことがあるそうです。
 よく話に出る、広沢池や深泥池は、やはり噂に違わぬところらしいです。それから化野念仏寺までは仕事だから行くそうですが、そこから上に登る道には行きたくないとのこと。その先にあるトンネルに入ると見たくないモノが見えてしまうそうです。
 五条通りに山科の方に向けるトンネルがあって、ここは車道と歩行者用のトンネルが別になっているそうなのですが、この歩行者用トンネルのほうはかなりすごいらしい。車ではトンネルを通るけど、絶対にそちらのトンネルには行きたくないとのこと。
 大宮通りの、JRの上を通る高架道路の上もいっぱいいるそうです。乗り移られそうになって10分間ほど念仏を唱えてやっと追い帰したということがあったらしい。

 こういう運ちゃんだと退屈しなくて大変結構です。京都の新しい魅力を発見しました。「貸し切り心霊タクシーで行く 京都市内心霊巡り半日コース」なんていかがですか?

2005 03 30 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.03.24

[週刊!岡本編集長] 顔二題

 みなさん、こんにちは。違いのわからない男、岡本です。
 『ダ・ヴィンチ・コード』って、売れてますねえ。
 知り合いが、西方浄土にあるという「非戦闘地域」に行ってたんですけどね、そういうお仕事の人なのですが、帰国後パソコンをいじっていて、「モナ・リザ」の顔について以下のような秘密を発見したそうです。本人は「世紀の大発見か」とはりきってますが、はたして真相やいかに?
 モナ・リザの秘密 

 ところで、このブログにスペースをいただいていろいろなことを書くようになってから半年くらいたつと思いますが、私がどういう顔をしているのかご存じの方は少ないのではないかと思います。
 そこで、今号のフィナンシャル ジャパンでは不肖わたくし、第1特集の冒頭の記事で、写真入りで登場してしまいました。皆様にお見せするほどの顔ではないのですが、書店の店頭でお手にとって笑ってやっていただければ幸いです。

 今回の第一特集は、「相手の心をつかめば仕事はうまくいく」というタイトルです。
 そんなのあたりまえですよね。あたりまえなんだけれども、ライバル企業に比べて、それがうまくできた会社が勝ち残ることができるという意味において、競争の激しい現代では非常に重要なキーファクターだと私は思います。最近の競争は、コストや商品力で差をつけることが難しいので、消費者一人ひとりの気持ちをどのようにつかみとるか、どうつなぎ止めるかに各企業の命運がかかっているわけです。

 ではどうすれば、相手の心をつかめるのか、その問題に有効な解決策を提示しているのが、今回お出ましいただいたヘイコンサルティンググループです。ヘイコンサルティングは、世界的に有名な人事コンサルティング会社で、仕事の中身を細かく規定して、「この職務についた人にはこのくらいの給料を払う」という、「椅子に値段をつける」ヘイシステムを開発した会社です。つまり現在の世界の給与体系の大本をつくった会社と言えるでしょう。
 この会社が、『EQ』を書いたダニエル・ゴールマンと一緒になって開発した、人が他人に働きかけるときに、頭の中でどのような働きをして相手の心に訴えかけるかというモデルについての解説が、今回の第一特集の冒頭記事なんです。細かいことはややこしいので本文をご覧ください。

 このモデルは、とってもよくできていて、仕事だけではなく、生活のあらゆる局面で応用することができると私は思います。
 東京都内のある有名女子大学のマスコミュニケーション論で講義を頼まれたときに、「何を話そうかな-」と思ったのですが、この話を恋愛論に置き換えて話すことにしました。
 「最近は、大学まで学級崩壊が進んでいるので、なまじなことでは女子大生の心をつかむことができない」と思ったからです。「恋愛EQ」ですね。結果的にはこの話は、90分間女子大生のハートをつかむことができるということが判明しました。テープを録っておいて起こして私のサイトに掲出しておいたので、ご興味のある方はこちらからご覧ください。

さる名門女子大における恋愛論講義録 

2005 03 24 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.03.17

[週刊!岡本編集長] 江戸城再建計画

 みなさんこんにちは、昼あんどん岡本です。  
 またしても私のサイトのネタなのですが、こんなのはどうですか。  
 最近政府は、「ビジット・ジャパン・キャンペーン」というのをやっていまして、「2010年までに1000万人の訪日外国人誘致」を実現したいらしいんですよ。それで小泉さんがCMに出たり、いろいろな施策をやっているらしいのですが、私は以前から、江戸城を再建すると非常に効果が高いのではないかと考えています。詳しくはここに書いているのですが……。

 江戸城というのは、皇居のことですが、皇居として使用されているのは本丸ではありません。本丸は皇居東御苑として開放されています。ここに、江戸時代にあったような高さ地上61メートル、五層六階の天守閣を再建したらどうなるでしょうか。  

 第一のメリットは、天守閣は東京のランドマークになるということです。東京駅を降りた外国人観光客の目の前に、パッと江戸城が飛び込んできたらみんな喜ぶと思うんです。われわれがパリに行って、シャンゼリゼ通りでバスを降りたら目の前に凱旋門があって、「異国にきたんだー」と感動する気分を味わっていただくことができるというわけです(すみません、おのぼりさんで)。東京にそういう歴史的建造物がないから、これまで外国人観光客は鎌倉を訪れるか、日光まで足を伸ばすかしなければ異国情緒にすら浸ることができなかった。これじゃ外国から人はきませんよ。

 第二のメリットは、江戸城を博物館として利用できるということです。単なる博物館としてではなく、周辺にある江戸東京博物館や東京国立博物館などと連携して、総合的に「日本とは何か」を理解することができる展示プログラムの核となる施設にすればよいと思います。土地があるのですから、天守閣の近くにバスターミナルを作ってはとバスを走らせ、東京や関東各地の外国人観光の拠点とすればよいでしょう。  

 第三のメリットとして、再建した江戸城をG8サミットの会場にするということが考えられます。大阪城でAPECをやったときには、各国の代表は大変喜んだそうです。われわれにはぴんときませんが、城郭建築にはそうした魅力があるみたいですね。もともと城なので警備も楽だし、こたつにミカンで会議をやれば、相手をこちらの土俵に引き込んで、日本に有利なアジェンダ・セッティングもやりやすいかもしれません。  

 「今さらそんなまがい物の城を立ててどうする」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、あのノイシュバンシュタイン城だって、コンクリート造りで中にエレベーターが通っているまがい物の城なんです。でもノイシュバンシュタイン城の観光に対する貢献は大変なものだと思います。わざわざ日本からあの城を目当てに出かけて行く人も少なくありませんし、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルにすらなっているわけですから。  
 そんなよしなしごとを、5年前に考えていたということを思い出しました。

2005 03 17 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.03.10

[週刊!岡本編集長] ほ乳類に感動

 みなさんこんにちは、トイレット博士岡本です。
 チキショー、40歳になっちまいましたよ。
 さて、土曜日の夜中に寝ぼけながらテレビを見ていて、驚きました。関東ローカルなので、それ以外の地域の人には申し訳ないのですが、
 こんな動物が地球にいた! 史上最強のほ乳類スペシャル」(テレビ朝日)
というのを見たからなんです。太古の昔に存在した現存しない哺乳類の姿を、あたかもその場にいるような臨場感ある感じで、CGで再現している映像に目が釘付けになりました。
 これはBBCが製作した「Walking with Dinosaurs」の続編である「Walking with Beasts」を、日本版として仕立て直したものだったようです。

 まあ、早い話が、「ジュラシック・パーク」をほ乳類でやっているようなものなのですが、もっとも初期のほ乳類とか、最大のほ乳類とか、アウストラロピテクスとか、サーベルタイガーなんかの生態を、ドラマ仕立てで見せてくれるという、実に見ごたえのある番組だったですね。いやほんと、実に優れたテレビ番組と言えると思います。
 わたしはディスカバリー・チャンネルも見ていないし、テレビ自体も最近あまり見なくなっているので、これしきのCGに驚いているのは困ったちゃんなのかもしれませんが、でもいまはもう見ることができない絶滅動物の暮らしぶりを、あたかも目の前にいるかのようにわかりやすく再現してくれるというのはすばらしいと思います。
 学術的な裏づけもある十分番組だと思いますし、わざとらしいMCが入らなかったら、もっとよかったのに。残念!

 サーベルタイガーというのは、「南米最強の動物」ということで、まあ豹とかライオンのたぐいだと思うのですが、他のオスがハーレムを乗っ取った後、それまでハーレムを支配していたオスの子どもを殺すというところまでやっていたのはリアルでしたねえ。
 たしかライオンは、妊娠中のメスの子どもまで、フェロモンかなんかで流産させて殺す生態があったと思います。まあ、生んでもどうせ殺されるわけですから、流産しちゃったほうがメスにとっても効率的なので、そのように進化した結果だとも思われます。「動物も同族殺しや子殺しをするのか」というので、有名になった話です。最初はハヌマン・ラングールというサルの仲間で発見された行動で、杉山幸丸という日本の学者が研究したのですが、そんなことはどーでもよくって、まあよくここまでカメラワークに凝って再現CGを作ったなと、それに驚きましたよ。先週のTOTOの工場に続いて、「恐れ入りました」と頭を下げる思いです。
 こういうCGは、教育上も非常に効果が高いと思います。

 でおもしろいのが、人類の祖先であるアウストラロピテクスなんですが、「万物の霊長」とは程遠い存在なんです。他の動物に比べるとぜんぜん弱っちいわけですよ。すぐ強い動物に襲われて食べられちゃう。
 でも、弱いからこそ団結して集団で戦うことを覚えたし、コミュニケーションの能力を発達させたのだそうです。なるほど、そーだったのか。ほんとうにそれが人類の社会性の起源だったのかどうかよくわかりませんが、集団で威嚇することで襲ってきた動物を撃退した再現シーンは、説得力ありましたね。

 でも、組織生活の中に安住してしまった人の中には、なぜか自分が力を出さずに集団にぶら下がろうとする人がいたりします。そういう人は、コミュニケーション能力がこれまたかなり退化しちゃってますよね。
 てゆーか、コミュニケーションが取れなかったりする人がいたりします。
 「あんた、アウストラロピテクス以下やろ!」と言ってやりたくなる人がいますよね。
 うーむ、これも進化上の戦略なのかもしれません。人類は時に、アウストラロピテクス以下になることもあるのです……。

2005 03 10 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.03.03

[週刊!岡本編集長] 便器に感動

 みなさん、こんにちは、「愛ルケ」岡本です(読んでないけど)。
 でも、ドラッカーの「私の履歴書」はメチャおもしろかったっす。2~3カ月続けていただいてもよかったのですが。
さて、スカイマーク・エアラインズの飛行機に乗って、TOTOの小倉工場を見学に行って、度肝を抜かれました。今日はそのお話をしましょう。

 軽い気持ちで「工場見せていただけませんか?」とお願いしたんです。そしたら技術部長さんにスタンバっていただいて、じきじきにご説明を伺ったのですが、そのハイテクたるや、たいへんなもんですよ。
 陶器ですから、焼くと体積が14%縮小するわけです。それも均等に縮小するのではなくて、重力に沿って微妙なそりがないと、縮んだらおかしなことになるわけです。それを見越して型を作っているそうです。これは経験によって蓄積されたものすごいノウハウです。参入障壁にすらなっています。

 最近は「トルネード洗浄」といって、水が便器を一巡することで洗浄の効率を上げ、節水する便器がありますよね。
 従来型の便器は、便器フチの水出し穴から洗浄水を出していたので、その穴の間の部分は洗浄しないわけです。そこに雑菌が繁殖して臭いの元になるのですが、トルネードだと吐水口は一カ所ですからこの問題が解消されます。そして、この複雑な水流を東工大のスーパーコンピューターをつかって解析したり、トヨタとホンダとTOTOしか持っていないという産業用CTで便器の中を1ミリ単位でスキャンしたりして品質改善を追及してるそうです。想像していたのとかけ離れたすごいハイテクに圧倒されました。
 たとえば「おつり」って来るじゃないですか。あれって、単なる一次的な反作用ではないんだそうです(お食事中の方のために、表現をぼかしてお届けしています)。じゃなくて、高速カメラで撮影してみると、第1次爆撃をしたあとに、中に溜まっている水が押し上げられて「おつり」になるんです。だから溜まっている水の形状を工夫することで「おつり」を少なくすることができるのです。そうした計算に最新のコンピュータ技術がつぎ込まれています。

 工場の中は、そんなに新しい建物でもないのですが、これがまたもころかしこもピカピカに磨き上げられて、見事に整理されているんですよ。塗装やガラス繊維吹き付けなどの工程は見事にロボット化されてますし、検品や身障者用便器など特殊品製造などの人手がかかるところは熟練の技を織り交ぜています。いま京都で御苑の中に迎賓館を建て替えているのですが、ここに収める便器などは、「数寄屋大工や左官の技法、日本庭園の造園技術など、我が国で昔から培われてきた伝統的な技能を活用する」というポリシーの下、大昔の職人芸で作っているのだそうです。
 この工場は最近、TPMワールドクラス賞というのを受賞したのだそうですが、これは世界で6社しかもらっていない名誉ある賞なんだそうです。そんな自慢の工場だったんですね。広報の人は「んー、ご覧になったらどーでしょうか」レベルだったのですが、やられました。恐れ入りました。

 それで、住宅機器というのは、みんな20年に一度くらいしか買い換えないものです。だからショールームに行くと結構楽しめますよ。便器から音は出るわ、香りは出るわ脱臭はするわ、暖房はするわ、人が近づいたら自動でふたが開くわ、勝手に洗浄するわ、至れり尽せりですよねえ。
 同社が2月に出したバカ売れ商品で、あんまり売れているので欠品させないために必死で増産している「ネオレスト」という商品があるのですが、これなんかすごいですよ。フチがないので、ぜんぶ磨けるわけです。だから雑菌が繁殖しなくて臭いがしないと。便器もどんどん進化しますよね。恐るべし。

TOTOはノリタケを作った森村市左衛門が1917年、東洋陶器株式会社としてこの場所に作ったのだそうです。当時は便器なんかない時代です。そのころ「日本にも衛生陶器が必要とされる時代が来る」と言って、釜を焼くのに必要な石炭が産出される北九州に創業したとか。その心は、アメリカへの輸出は名古屋のほうからすればよい。東洋陶器のほうはアジア市場を見据えようということだったのだそうです。
めちゃくちゃスケールのでかい話です。そして80年以上前の創業者の志は、今花開いています。TOTOは世界中に、なんと年間1200万個も衛生陶器を供給してるんだそうです。すごい数ですよね。インドネシアや北京などに続いて、現在ハノイの近郊に巨大工場を作っていて、ここからアジアへさらに多くの供給を計画しているそうです。
スカイマーク・エアーを飛ばした澤田さんもそうですが、経営者の志が世の中を変えていきますよね。新しいものを作る壮大な気宇、すばらしいことだと思います。

2005 03 03 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.02.24

[週刊!岡本編集長] ニートとおカネとおこづかい

 みなさんこんにちは、ジェリクル岡本です(意味不明)。
 ほりえもんがサンプロに出て、堀紘一氏と榊原英資氏にいじめられたのはみなさんご承知のとおり。それで堀紘一氏の株がぐっと下がって、ほりえもん支持派の間では堀紘一バッシングが大変なことになっています。その翌日発売のFJには彼の高校時代についてのコメントが載っていたりするのですが……。
 さる筋から聞いたのですが、堀さん本人はサンプロに出かける前にはあんな吹っかけ方をするつもりは全然なかったんだそうです。

 ところが番組前の打ち合わせで、堀さんの役割がああいう感じで決まってしまって、ご本人はサービス精神がかなり旺盛な人なので、あんな感じになっちゃったらしいんですね。
 ところがその後のバッシングの嵐。「テレビは怖い」と、あれだけテレビ馴れした堀さんも驚いているとか。うーむ。

 で、木村さんの昨日のブログで「ニートの日」があるというのは笑いました。
 いや、笑えないんですけどね、みんな心の中にニートっぽい部分を必ず持っているのではないでしょうか。
 わたしは人と人との関わり、その総体としての社会に関心があるので、ニートもまた反対の意味で興味があります。社会に入ることを拒否している人たちなわけですから。人はだれでもニートになる要素をもっていると思うんです(ボクはおうちが好き! オフィスに出てくるの嫌だもん)。

 それで、わたしは今月のFJで「金銭教育」を第2特集で取り上げました。これはふつう、雑誌の特集では取り上げないネタですよねえ。
 「金銭教育」というのは、「お金を介して、自分自身が世の中とどうかかわっているのか」を実感していくプロセスだと思うんです。でもってそれは、まさに子どもの「生きる力」に直結してるんですよ。
 特集の冒頭では、金銭教育について日本や欧米のケースに詳しい3人の方に座談していただいたのですが、これがおもしろい。まず、「おカネはただの道具なのだ」ということをしっかり身につけなければ「おカネをたくさん持っていることがいいことだ」という価値観に染まってしまい、ひいてはおカネに支配されてしまうんだそうです。
 ではどうすれば、お金についての教育ができるか。そのためのツールは、こづかいや手伝いです。「仕事をすれば、お金がもらえるし、それが人とのかかわりになっているからおもしろいんだ」という、当たり前のことを身につけなさいと言うことですな。

 最近の子供は恵まれているので、こづかいがなくなるとおじいさんやおばあさん、両親にねだれば何でも買えるという環境にあるわけですが、その認識をまず変えないとあきまへん。
 「お小遣いは決められた金額の中でやりくりしなければならない」というルールを決めて、子供自身に「何を買うべきか」や、「欲しいもの」と「必要なもの」の違いを考えさせないと、お金の意味は身につきませんからね。そういう教育をするためには、親の側にも、「お金が足りなくなっても、追加のお小遣いはあげない」という自制心がないとダメです。

 盛り場に出てくる青少年は、とりあえず自分が自由になるおカネを持ってやってきて、「おカネがなくなったら、その後なんとかすればよい」という行き当たりばったりな考え方で、犯罪に巻き込まれたり、身を持ち崩していくというのが世の相場です (ステロタイプですが)。それはやっぱりまずいですよね。
 消費者金融の新規顧客の40%が20代であるというデータもあります。「どうせ生きるのなら、主体的に世の中にかかわりあったほうがおもしろい」という認識を社会人未満の人にもってもらうためにも、金銭教育は大切だと思うんです。

 「金融教育」特集の記事の一部は、FJオンラインでご覧いただけますよん。

2005 02 24 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.02.17

[週刊!岡本編集長] 怒れる者の歌が聞こえるか?

 みなさん、こんにちは。岡本呻也です。
 この時期やっぱり、ほりえもん対フジサンケイグループの話を書くべきなんでしょうかね。
 ほりえもんにも日枝さんにも会ったことあるし、関心はあるんですけど、無責任なことを書く気にもなりません。お互いが死力を尽くして、「負ければ地獄」のビジネス・ゲームを闘っているわけですから。
 リーマンの利益は数十億円だそうですが、外資系証券大手の某社はこの話を「リスクが大きすぎる」と断ったと聞きます。バイプレーヤーたちもリスクを取って闘っていますね。

 そういう中で、いま話題の映画は「オペラ座の怪人」です (どういう展開じゃい? と自分ツッコミ)。
わたしはロンドンで2回舞台を観ました。最初に見たときはぶったまげましたねえ。「世の中にこんなすごいものがあるのか」と。
 とにかく、舞台転換の仕掛けがすごいんですよ。でも、それって映画じゃあわからないんじゃないの?
 オペラ座は都市のど真ん中の「ハレとケの同居する空間」です。その中に、怪人、オペラのプリマ、恋愛劇、劇中劇、各々の心の中に住む「幽霊」、19世紀のパリの文化、仮面舞踏会などなど……究極のドラマ性を感じさせる舞台設定が「あっ」と驚く仕掛けで次々と目の前に現れてきます。しかもそれがすべて人力で動かされているというのだからすごい。特にオペラ座の地下にある湖を船で進むという仕掛けには、多くの人が幻惑されたでしょうね。あれはおそらくオッフェンバックのオペラ「ホフマン物語」の第3幕ヴェニスの場面をパクったにちがいない。
 この舞台のすごさに匹敵するのは、ゲッツ・フリードリヒが演出したベルリン・ドイツオペラの「神々の黄昏」のフィナーレくらいのもんでしょうなー。

 思えば最初に観たミュージカルがこれでした。いちばんすごいものを最初に観てしまうというのは不幸な感じもします。
 たとえば、『カラマーゾフの兄弟』をまだ読んでいない人を、私はうらやましいと思います。だってこれから読めるんですから。まあ、そんな感じでしょうか。
 しかし、この「オペラ座の怪人」のあとに知ったにもかかわらず、より満足度が高かったミュージカルがあります。それは「レ・ミゼラブル」なんです。最初ニューヨークで観て、ロンドンで2回観て、ニューヨークでまた観て、日本で2回観ました。アホです。
 かわいそうな孤児コゼットがいて、ジャン・バルジャンに拾われて育てられて、かっこいい青年と結婚しました。ジャン・バルジャンは彼女のために命をささげたも同然ですが、そういう親身な恩人だけではなくて、革命を通して世の中を前進させてきた多くの人たちの犠牲の上に、コゼットたちの幸せがあるんですよ、というのを見事に表現したお話です。悪かったですねえ、わたしはこういうのが大好きなんですよ。
 特に島田歌穂のコゼットは、舞台に出てきただけで泣けますねえ。彼女は昔は「がんばれ!!ロボコン」で「ロビンちゃん」を演っていたのですが。

 この劇中の、パリで革命を試みてバリケードに立てこもった青年たちの歌が有名ですよね。歌詞は、

「民衆の歌声が聞こえるか? 怒れる人民の歌を歌っているんだ 二度と奴隷にならないという 人民の歌声だ! 君たちの心臓の鼓動が ドラムの音と共鳴するとき 新しい人生が始まり 明日が訪れる!」 
「この戦いに参加して 自由になる権利をつかもう!」
「すべてを投げうって 我々の旗とともに進んでくれるか? 倒れる者もいれば行き残る者もいよう 思いきって立ち上がろうじゃないか」 

 と言っているんです。

 わたしは、こういう呼びかけに共鳴してしまいますね(単に性格ですが)。
 社畜になって死んだような人生を送るくらいなら、死んだほうがましだと思います。
 自分の住んでいる社会の運営に積極的に参加しようとしない人は、まともに相手にしても仕方がないと思います。「奴隷でもいいや」と思っている人たちなわけですから。
 自由意志で立ち上がって、自分たちの新しい道を協力して切り拓いてこそ、人間だと思うのです。
 そのとき、倒れる者も生き残る者もいるはずです。犬死はごめんですから、リスク・コントロールは必要でしょう。だけど、リスクを恐れてじっと引きこもり、チャンスを失うのはごめんです。
 変革をひたすら拒否して、自分では何もしないくせに、チャレンジしている人をこき下ろすような態度は卑怯だと思います。

 だからわたしは、ほりえもんの勇気に拍手を送りたいと思います。また、防戦するフジサンケイ側にも頑張って欲しいと思います。
 かれらは日本のビジネス界に新しい時代をもたらしつつあります。このM&A劇の帰趨を見つめるにあたっては、われわれは決して「勝ち負け」の帰結だけに興味をもつ野次馬であってはならないと思います。ただ傍観するのではなく、「日本の資本市場が迎えつつある新しい時代に、われわれも参加するんだ」という姿勢すら必要なのではないかと思うのです。

2005 02 17 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.02.10

[週刊!岡本編集長] 「日本の借金時計」を国会に置こう

 こんにちは、岡本呻也です。
 みなさんはもちろん、財部誠一さんのサイトにある「日本の借金時計」をご存知ですよね?
 なに、見たことがないですって! そういう人は今すぐ上のリンクを覗いてみるべきです。
 ふむふむ、おたくの借金は現在1510万円くらいですな。えっ、住宅ローンの残金がそのくらいだって? 違います、そういう借金以外に将来あなたが負担しなければならないツケがそれだけあるということなんですよ。

 国家の財政赤字がここまで急速に膨れ上がっているということは、みんな知っているけど知らない振りをしていただけです。
 私が高校を卒業した年の国債発行残高は181兆円でした。そのころでも天文学的な数字でしたよ。それが今や538兆円(05年度末)。どーよ、これ?
 でも、今から10年前は、誰も問題にしてなかったですよ。私は「これじゃあいかん」と思いました。「もっと財政赤字がみんなにわかるように、リアルタイムで表示する装置を作ればよいのに」と考えていたんです。

 で、96年の暮れに初めてニューヨークに行った時に、友人の車でマンハッタンを流していたら、わたしの目にこれが飛び込んできたんですよ。
 “OUR NATIONAL DEBT CLOCK(財政赤字時計)
 これ、物好きな個人が、自分の持っているビルの壁面でやってるんですよ。偉いですねえ。自分の信念を貫いてます。まさに私が作るべきだと思っていたものですよ。翌日、地下鉄で戻ってきて、さんざん探してカメラで撮ってきました。

 帰国してから財部さんにお話したら、ちょうど予算委員会の公聴会で公述することになっていて、国会で私のとった写真を引き伸ばしてもらって発表してもらいました。みんな感心して聞いていたそうです。
 それで、「銀座の中央通りにでもこれを作りたいですねえ」と話していたのですが、そんなことをしていては何億円もかかってしまいます。財部さんとため息をついていたら、当時普及し始めたJAVAを使えばウェブサイトで作ることができるという話になりまして、この時計ができあがったという次第なんです。ずいぶんテレビでも流していただきました。

 しかし、私はそれでも不満です。インターネット上のサイトでは、自分たちの社会と将来に責任感を持った人たちしかアクセスしないからです。でもほんとうにこの時計を目に焼き付けていただかなければならないのは、そういう意識の高い皆さんじゃないんですよね。
 「日本には日本のよさがある、みんなが助け合って生きていくのが日本流だ」「だから困った人を国が助けるのは当然だ」「それを歳出カットしようなどとはけしからん」とおっしゃる、愛国心が強いのは認めますが、やや経済観念が薄い方(失礼!)にこそよくよくご覧いただきたいからです。言っときますけど、私だって愛国心では人後に落ちません。「このまま借金を重ねて行っては、将来世代の日本人が困る」と思っているからこんなことを言ってるわけですから。

 そこでですね、私はこの「日本の借金時計」を衆参両院の本会議場は言うに及ばず、委員会室、議事堂や議員会館の入り口にも設置するといいと思うんです。コカ・コーラの本社の入り口には自社の株価をリアルタイムで示すボードがあると聞きます。それを見て国会議員の皆さんに毎日、「国民全体の代表者」として気を引き締めていただくのは効果的だと思うんです。
 地方では、地方財政が国と同様に危殆に瀕しています。だから地方自治体版の借金時計を議会や行政庁舎のロビーに設置すればよいでしょう。あるいは空港や駅前の広場、はたまた市民会館やショッピングセンター、テーマパークなど、人が集まるところに作るというのはいかがでしょうか。

 日曜に家族でショッピングモールに行ってみると、「一家庭あたり1500万円」とか借金時計に書いてあるわけですよ。で、お子さんが「ねえねえパパ、うちも1500万円もらえるの?」と無邪気に聞くわけですよ。そうするとパパが、「いや、あれはもうすでにうちがもらった金額であって(自分ではもらった記憶がないんだけど)、将来おまえが返していく借金なんだよ」と優しく教えてあげるわけです。そうすると僕が、「ええっ、だって僕なんにもお金使ってないよ。なのにいきなりそんな借金があるの?」と答えます。
 とっても心温まる光景ですね。しかしまあ、そういう具合にみんなの意識を高めていかないと、こりゃどうにもならないんじゃないかと私は思うんです。

 「日本の借金時計」を国会や地方議会につくりましょう、と私は提言します。

2005 02 10 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.02.03

[週刊!岡本編集長] 「三国志」いろいろ

 みなさんこんにちは、銀座ライオンでビールを飲むのが好きな岡本呻也です。生ビール最高。あと、塩エンドウマメと半分凍った生ハムがあれば、何杯でも飲めます。
 今週は2月発売号の校了期間で苦しい毎日です。しくしく

 ちょっと閑話休題なんです。まあずーっとそうなんですが。
 『三国志』(三國志)といえば、私は「プレジデント」の編集をしていた頃、さんざんネタにしたものです。
 だっておもしろいもん。名シーンてんこ盛りですよ。血湧き肉躍る合戦シーンはあるし、何より三国鼎立という状況下でのパワー・ポリティクスは、ゲームの理論で解析できるのではないかと思えるような微妙なバランスを保っていて、そういう意味でも面白い。しかも『三国志演義』のほうには、孔明・曹操の知恵ばかりでなく、劉備・関羽・張飛の友情と義、趙雲の忠節といった浪花節もこってり盛り込まれているし。
 「プレジデント」でやったいちばんすごかった企画は、日本軍が三国志の合戦を研究して作戦図を現地で作ったのが、防衛研究所に残っているんですよ。それを古代の地図と、現代の地図に照らし合わせて、「地図で見る三国志の戦い」というのを作ったときですね。3日間徹夜しましたが……。

 ところで、伝統的に三国志といえば、いわゆる「吉川三国志」、講談社の吉川英治歴史時代文庫 に入っている『三国志』が基本ですよね。いま文藝春秋に、宮城谷昌光さんが『三国志』を連載しています。彼の凝った文体の『三国志』は、本になってからじっくり読んでみたいものです。
 で、三国志をかんたんに知りたいとすると、中国で作られたテレビ番組の『三国志演義』完全再現版、これに止めを刺すでしょう。ただ、根性を入れないと、全84話、64時間もあるので死にます。というか、よほどヒマじゃないと見れません。

 マンガで読むとすると、これまた便利だったのが、横山光輝のマンガ版三国志だったですよね。顔が全員同じなので、誰が誰だかわからないという欠点はありましたが、とにかくかんたんに読むことはできました。アニメにもなってるんですね。とはいえ、私はほとんど読んでません、あれなら本で読む方がいいような気がします。
 そんな中、驚かされたのが 「モーニング」に連載された『蒼天航路』でしたねえ。画に迫力がありますし、人物が活き活きしてるし、楽しめます。いまも続いていて、376回目らしいですな。

 で、ここに来てぶっ飛んだのが、「ビッグコミック スペリオール」に連載している『覇 -LORD-』ですよ。武論尊原作、池上遼一画といえば、大御所じゃないですか。『サンクチュアリ』『HEAT』を描いたコンビですよ。この二人が作る新しい三国志の世界、タダですまないと思っていたら……設定がすごいです。なんと劉備は日本人なんですよ。荒唐無稽でバカらしいと思われるでしょう。ところがこれがおもしろいんだな。
 彼らが得意とする、豪放磊落でたくましく賢い男の生き様が、毎回展開されます。結局三国志の設定を借りてお得意のハードボイルドワールドを展開しているわけですが、これがよく合っていて納得性抜群なんですよ。ひょっとすると もっと史実からかけ離れたすごい展開があるかもしれないし、期待しています。
 ご興味のある方は、単行本の1巻目が出たのでご覧になるとよいでしょう。

 あと、私はKOEIのパソコンゲームの「三國志」もけっこうやりました。一番好きだったのは、じつは「三国志ⅴ」だったりします……。

 ところで10年程前のことですが、ふと「フィヨルドが見たい」と思ったんですよ。
 で、飛行機に飛び乗ってコペンハーゲンからオスロにいとったんですね。オスロのホテルで朝飯を食べていると、日本人の一家がいるんですね。「どこにでも日本人はいるなあ」と思ったんです。
 で、朝一番のベルゲン行きの特急に乗ると、その一家も乗ってきたんです。それでお話しをしてみると、何でも野球関係のお仕事をしている人らしい。坂井保之さんだったんですねえ。それで一緒にフィヨルドを見に行きました。
ベルゲン鉄道は海抜1300メートルを走る路線で、車窓から氷河が見えるんですよ。ミュルダールという駅で降りて、フロム鉄道に乗り換えます。この鉄道は標高867メートルから海抜0メートルまで降りていく山岳鉄道です。
 フロムでフェリーに乗り換えます。ここが長さ204キロという世界最大のソグネ・フィヨルドの付け根なんです。2時間のフィヨルド観光を楽しんで、クドヴァンゲンという港につきます。そこからバスで1時間ほど海抜0メートルの峡谷を通り抜けてヴォスという駅に行き、ここから電車に乗ってベルゲンに夜到着です。坂井さんと同じ宿に泊まって夕食を楽しみ、翌日の朝食のあと一家とお別れしてストックホルムに向かいました。楽しかった~。
 帰国後坂井さんには、「プレジデント」にもお出ましいただきました。懐かしい思い出です。

2005 02 03 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.01.27

[週刊!岡本編集長] 『ローマ人の物語』

《承前》こんにちは、トレッキーの岡本呻也です。
 毎回2ちゃんネタで釣るのもいかがかとは思いますが、わたし、2ちゃんは2000年の春から見ているので、「ニュース速報+」板と「ニュース速報」板の違いはわかります。ただ、ここをご覧のカタギの衆に「+って何?」という疑問を持たれるのも不親切かなと思って、「+」をはしょらせていただきました。「2ちゃんねるニュース速報+ナビ」というサイトも重宝してますよ。
 あと、「マスコミ板」のことを「メデイア板」とまちがえて書いてしまいました。訂正させていただきたく。人さまにものを伝えるのはいつまでたってもむつかしいです。修行修行。

 さて、今日のネタは『ローマ人の物語』です。塩野七生さんが15年かけて取り組んでいるライフワークもいよいよ『最後の努力』で13巻目となりました。 今回は紀元4世紀前後。ディオクレティアヌス帝とコンスタンティヌス帝が主人公ですから、まさに山場ですよね。
 実はわたしは、塩野さんにはたいへん懇意にしていただいておりまして、「フィナンシャル ジャパン」の編集を引き受けることになったのも、ローマに遊びに行ったときに塩野さんに強く慫慂されたからなんです。という経緯もあって、塩野さんには「フィナンシャル ジャパン」を読んでいただいてます。日本に帰られたときにはお褒めをいただいてうれしかったです。

 で、塩野ローマ史は、政財界のお歴々に圧倒的に支持されています。塩野さんは、組織と人間の関係、政治と経済のダイナミズムを歴史的なスケールで骨太に分析できる当代稀有な作家です。しかも今回の素材は人類の文明の頂点を極めた古代ローマの通史ですからね。ローマ史が西洋人の教養の基礎とされているのは、そこに人類の壮大な知恵が織り込まれているからだと思うんです。そこに彼女が15年かけて挑むというのは、出版界の一大イベントですよ。

 しかも重要なのは、西欧のローマ史は、基本的にキリスト教史観によっているということです。ですので共和制ローマには点数が高いのですが、キリスト教を弾圧した帝政ローマに対しては点数が辛い。それで、「帝政ローマは倫理的に堕落した忌むべき社会であった」というのが通り相場になっていて、ハリウッド映画でもそう描かれているし、明治以来、ギボンなんかを輸入したわれわれの帝政ローマ観もそうなっているわけです。彼女はその通念を、キリスト教以外の文化的ベースを持つ人間の視点で破壊してきました。
 そりゃあ、そんないいかげんなことでは、あれだけの大帝国を一千年も維持できませんよね。つまり「非キリスト教徒が初めて描いたローマ通史」というのがポイントなわけです。

 ところで、この偉大なローマ人でも乗り越えることができなかった壁があります。それは「世襲」の壁です。
 これは塩野さんの分析ではなくて、わたしの妄言ですが、ローマはなぜ滅びたのかというと、ローマ帝国のガバナンス機構には、根本的な問題が内包されていると思うんです。「カエサルの後はオクタビアヌス」という流れがアントニーとの内戦を通して正当化され、国家の基礎として動かし難いものになった結果、世襲の弊害に対するストッパーが政治体制に織り込まれませんでした。というより、古代ではおそらくそんなことは考えもしなかったのでしょう。軍団が勝手に皇帝を推戴し、なおかつ皇帝は世襲できる、元老院は追認するしかないというかたちで、権力の委譲と集権化が進んできました。その頂点がコンスタンティヌス帝といえるでしょう。
 世襲を断ち切るためには、いちいち血の流れる革命を起こさなければならないのではたいへんです。「ならば」と言うので、革命を制度化したのが近代民主主義のシステムであり、資本主義における株式会社なのだと思います。

 そしてさらにローマ社会に大きなダメージになったのは、ディオクレティアヌス帝の時代に価格統制令が敷かれ、ほとんどの職業に世襲制が導入されたこと。元老院と軍事キャリアの間に壁を作って、マルチな人材の育成システムをなくしたこと、元老院を形骸化して、皇帝の勅令で何でも決めるようにしたこと。要するに、社会主義になっちまったんですよ。

 でも、決定打はキリスト教だったと思いますね。ローマ皇帝は、それまで軍団や市民から信任を得なければその座を維持できなかった。しかし、唯一神であるキリスト教の神様に王権を認めてもらったということにすれば、誰にも文句を言われなくて好都合ということなんだと塩野さんは考察しています。それでコンスタンティヌス帝はキリスト教を公認し擁護したのだと。
 これはかなりおもしろい。王権神授の考え方は、唯一神だから可能なんですね。「上の者に従うのは、最上位のものを認めている神に従うことになるのだ」と聖パウロが言ってるんだそうです。
 「自立心を忘れて、上の者には無条件で従う」のを良しとする発想が、この辺から出てきて、社会に蔓延していくんですねえ。上の者に従い、長いものに巻かれていればよいのなら、物事を判断しなくてよいのですから楽ちんです。そうやって西洋人はキリスト教の神様に魂を売り渡し、中世の永い眠りについたんだと思いますね。

 「中世は豊かな季節だった」という説もありますが、人口は増えなかったし、塩野さんはコンスタンチヌス凱旋門のレリーフで解説していますが、共和政時代には非常に写実的で緻密だった彫刻表現が、だんだん簡略化されて稚拙になっていくんですよ。生き生きとした表現がイコンのように無表情になっていくんです。それはモザイクでも建築でも同じです。
 中世の封建制の桎梏、それはみんなが精神的に誰かに依存して、自立心をなくしていくところから始まった、そのスタート地点が、帝政ローマ末期なのではないかとわたしは思います。

 で、なぜそんな話を長々としたのかというと、これを日本に当てはめるとどうなるのかというのが、この先に続くことになるからなんです。それはまた次回以降ということで。

 あと、今日のお勧めはFJの中のこの記事です。日本にはない、違う文化に根差した話として、おもしろいですよ。
  「大富豪」ロックフェラー家に見る投資文化の奥深さ

2005 01 27 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.01.20

[週刊!岡本編集長] NHK盛り上がってますね

 わたし、2ちゃんねるのニュース速報板の愛読者です。忙しいのであまりテレビを見られないのですが、終電で帰ってきて寝る前に、2ちゃんのニュース速報板だけ見ておけば、その日に起きたニュースの中で、みんなの関心が高い項目が何かよくわかるし、一般的な反応がわかるので、重宝しています。だけど、自分では絶対書き込まないんですけどね。だって私は自分の意見は署名入りで書く主義なので、匿名掲示板に書こうとは思わないからなんです。

 ところで先週来、政治家がNHKに圧力をかけた、かけないという話が大盛り上がりです。番組の内容が政治的なだけに、話がますますややこしくなっています。
 で、議論があるのはいいことなので、それはよいとして、やっぱりいくつか原則的な話があると思うんですよ。それを指摘しておきたいなと。
 わたしの畏友で神保哲生さんというジャーナリストがいるんですよ(私のサイトですが 今更ですが、「ジャーナリズムとは一体何なのか」)。先週「ニュース23」で津波被害にあったスリランカのレポートをやっていましたね。その人がAP(The Associated Press.)の倫理基準を翻訳して見せてくれたんです。これは非常によくできていると感心しました。そのなかに
ジャーナリストは、ニュースに関係してはならない
ジャーナリストは、記事について約束してはならない
というのがあるんです。
 最初のは、自分と利害関係があることをさも客観的に報道するのはよろしくないということです。自分との関係を明らかにして、読者の判断を仰げるようにしておけばいいんですけどね。
 次のは、取材をするときに「あなたの得になるように書きますよ」と約束してから取材してはならないということです。取材してみないとウソかほんとかわからない事件を取材しているのであれば、どのように書くかについて取材者はフリーハンドを持っていなければならないのです。そりゃ、そうですわな。そうするとこの点について「約束が違う」と訴えている側も、訴えられている側も、どうにもメディア・リテラシーが欠けているなあということになります。

 それとは別に表現の自由を守るというのは、民主主義の基礎を守るべきいちばん大切なことです。これは絶対に侵してはならないことでしょう。でもって、役人や政権に近い政治家というのは看視されるべき対象ですよ。そうすると、そういう人がテレビや新聞の報道姿勢について聞かれたら、「それはおのおののメディアが自主的に決定することであって、私がどうこう言うべきことではないでしょう」と答えるのが正解です。そのイシューについて「わたしの意見はこうです」というのはどんどん発言していただきたいですが、「こんなことを言うメディアは免許取り上げだ」という政治家がいたとしたら、そうとうヤバイですよ。

 わたしも2ちゃんねるやほかのサイトで悪口を書かれることがあります。でも、それが事実誤認でなければかまわないと思うんです(腹は立ちますが)。だれだって、発言する自由はあるのです。でも、役人や政権に近い政治家に「メディアを看視せよ」というのは明らかにまちがっています。いやしくも「政府」と名がつくからには、打倒する努力をしなければならないくらいに思っていなければ、市民社会はもちません。だからメディアを看視するのは、取材される側でなく、メディアからの情報の受け手でなければなりません、日本が封建社会でないのなら。

 では現在の日本で第四権力のメディアを看視するような強力な主体が存在するでしょうか。あるんですね、これが。2ちゃんねるですよ。
 2ちゃんのメディア板は、われわれがいま持っているもっとも強力なメディア看視ツールといえるでしょう。匿名であるからこそ、第四権力=メディアを監視することができるのです。この機能はあまりにも貴重です。

 で、ここまでが一般論として、わたしがつくっているFJのほうですが、わたしはことさら「ジャーナリズムでござい」というつもりはありません。FJはとんがったジャーナリズムの看板は掲げません。でも、読者と取材対象を「誠実に」つなぎたいと願っています。そのために日々、最高度の努力を続けているつもりです。
 1月21日売り号の特集では、ジャスコを日本一の小売業グループにした岡田卓也さんにわたしがインタビューをしています。毒々しい週刊誌に比べれば刺激は少ないかもしれません。だけど、まともな大人が読むに足る雑誌として、商人道の芯の部分を捉えて、活字にすることができたのではないかと思っています。そういうのもありなんじゃないのかなと。わたしはしばらくこのセンでいってみるつもりです。ここで立ち読みができるので、覗いてみてやってください。

http://www.financialjapan.co.jp/biz/biz_pickup/

 それと、編集長としてのお願いが。FJの末尾には読者コーナーがあります。みなさんお葉書でご意見をくださって勉強になるのですが、締め切りの関係で月末くらいまでに届いたものしか載せられないんですよ。載せられなかった葉書を胸に抱いて、なんど枕を涙でぬらしたことか……。
 ですので、なるべくはやく読後感想の葉書をお送りいただけるとうれしいなあと。あるいは、こちらのほうにお送りいただいてもOKです。
 ご意見がFJに載った人には、特製ボールペンを進呈しているそうです。伝文体なのは、わたしもこのボールペンを見たことがないからです。編集部員に使われないように、担当者が厳重に管理しているみたいです。そういうわけで、かなりのレアモノだったりするみたいです。ヤフオクに出さないでくださいね。

2005 01 20 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.01.12

[週刊!岡本編集長] 「お神輿経営」はどこへ行く

 ゴーログをお読みの新日本人のみなさんこんにちは。
 今日は「お神輿経営」というネタで、みなさんのご機嫌を伺わせていただきます。
 お神輿経営というのは、旧日本人のおじさんたちが大好きな集団主義、精神主義で会社を経営すると何がまずいのかについて、お祭りで担ぐお神輿を説明に使うととってもわかりやすいので、わたしがよく話していることなんです。

【問題点1 意思決定がない】
 まず神輿(旧日本会社における仕事やプロジェクト)は、進む方向をきちんと指示する指揮者がいないので、どちらの方向に向かうのかさっぱりわかりません。一応、棒の端を持つ役割の人がいるのですが、彼も方向を指示する役目ではないので、あくまでも担ぎ手たちおのおのが周囲の「空気」をつかむ中から、神輿の進む方向が何となく決まっていくという特徴があります。
 したがって、自分たちが担いでいる神輿(仕事やプロジェクト)がいったいどこに向かっているのかは、担ぎ手の誰も知らないのです。

【問題点2 集団無責任】
 2番目に、神輿(仕事やプロジェクト)が沿道の家の軒先を壊したり、塀を壊したり、植木鉢を蹴散らしても、責任は一切問われません。なぜならば、それは神さまがしたことだからです。決して神輿の担ぎ手たちが故意にやったことではありません。担ぎ手の総意は、すなわち神さまの意思になるのです。神さまがした悪さであれば、誰に向かっても文句を言えないのです。当然ですね。そしてやった本人たちもまったく責任を感じないのです。神さまがやったんですから、当然ですね。
 欠陥商品で消費者に迷惑をかけたり、不良債権をカットさせて債権者を泣かせたり、いつまでたっても配当できずに株価を下げて株主を泣かせても、「だーれも悪くない。少なくとも自分だけは悪くない」と神輿の担ぎ手(社員)たちは考えているのです。

【問題点3 集団主義・家族主義】
 3番目に、神輿(仕事やプロジェクト)というのは大勢で担いでいますが、担ぎ手の中にはちゃんと担いでいなくてぶら下がっているだけの人もいます。いったいだれが本当に担いでいて、だれがぶら下がっているだけなのかは、だれにもはっきりとはわかりません。また、業績評価をきちんとして「だれが一番神輿の運行に貢献し、だれがまったく役に立っていないか」を明らかにしなゃならないなどとは、だれも考えていません。神輿担ぎ(仕事やプロジェクト)は、目的も効率性も問題でありませんから、個人の貢献度を問うことにはぜんぜん意味がないのです。
 組織の中に波風が立つようなことがあってはならないので、担ぎ手はみんな平等に処遇しなければなりません。「成果主義」「能力主義」の導入や、あらゆる「組織改革」は、現場が混乱して神輿の円滑な運用を妨げるので、厳に慎まなければならないのです。

【問題点4 ガンバリズム・自己目的化】
 4番目に、とにかく神輿(仕事やプロジェクト)は重い(苦労する)ことに意味があるんです。重いこと自体がありがたいんです。誰も御神体を見たことはないのですが、いかにも非力そうな年寄りの神官が扱っていることからみても、100人で担ぎ上げなければならないほど重いものであるとは思えません。それをわざわざ思い神輿に入れて、すき好んで重くしているわけです。
 そしてそのありがたい神輿を、ただひたすら頑張って担ぎ上げること自体に、担ぎ手(社員)の生存の意味があるのです。神輿がどこに向かっていても、それは彼にとって大きな意味を持ちません。目的を達成することよりも、ひたすら頑張り続けること自体が重要であり、彼にとっての目的なのです。担ぎ手全員がそう思っているわけですから、それが組織目的となるわけです。


 どうですか。神輿とカイシャって、共通点が少なくないと思いませんか? 数年前までの日本のカイシャは、威勢ばかりはよいのですが、目的も方向感覚もなく、ただふらふらと漂っているお祭りの神輿のようにしか私には見えませんでした。
 ここにきてずいぶんましになってきてると思いますけど、根本的にはまだ直っていないと思います。ではどうするべきなのか、まあおいおいお話しすることもあるでしょう。では本日のところはこの辺で。

2005 01 12 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2005.01.06

[週刊!岡本編集長] 新年と引っ越しのごあいさつ

 あけましておめでとうございます。きょうから水曜日に引っ越してきた岡本呻也です。今年も日々是編集の毎日です、ハイ。
 「日々是編集」というのは、どういう感じかと言いますと、とにかく忙しいです。どのくらい忙しいかというと、死ぬほど忙しい。時々マジで死んでたりします。一日のうちに何人もの人に会うので、午前中に誰に会ったのかさえも覚えていません。自分では健忘症だと思っていますが、アルチュハイマーとの説もあります。

 さて、そういう走馬灯のように私の眼前に現れてくる人々のなかで、昨年出色だったのは、「フィナンシャル ジャパン」3月号の特集でお引き回ししてしまいました宋文洲さんですね。この人は要チェックですよ。

 この人とは、考え方が根っこのところでつながっているような気がします。どういうことかと言うと、こんど宋さんが『ニッポン型上司が会社を滅ぼす!』 という本を書かれたのですが、これなんか心から賛同しますね。
 この本の中では、「努力、頑張り」などの精神主義、「会社のためならなんでもする」という集団主義がとことんこき下ろされています。痛快です。
 それは古い考え方をこき下ろしたいから言っているわけではなくて、それが成果に結びつかない無駄な努力だからなんです。そういう人が上司だったら、みんなの努力が無意味になっちゃうじゃないですか。それはそのチームが負けるだけではなくて、社会全体にとっても資源の無駄になるというところが問題なんです。宋さんはそれを「大義」という言葉で表現しておられますね。

 編集者として私は、古臭い出版社という組織に属してきましたが、そこで目についたのが、やっぱりこの「ニッポン型上司」の最悪ぶりでしたねえ。で、わたしはどうしたかというと、とことん闘いました。ちょっと書けないこともやりました。上司を引きずり下ろしちゃったんですけどね。
 フリーになってからの私は、怒りをエネルギーにして行動してました。で、そういう古いタイプのビジネスマンを「旧日本人」と呼ぶことにしました。だけど、そうした考え方から脱皮している人たちだっているわけじゃないですか。われわれのことなんですけど。そういう人たちはだんだん増えてきてると思うんですよ。
 つまり日本のビジネスマンは、封建時代のまんまの頭で生きている「旧日本人」と、環境変化に対応して意識改革をやった「新日本人」に、きっぱりと分かれているのではないのかと考えたわけです。
 そこでわたしは、この二者の違いについて整理してみました。
 「新日本人/旧日本人」モデル  

 ヒマだったんですねえ。だけど書いちゃうとすっきりして、怒りも消えてなくなるものです。それに世の中は、遅いながらも徐々に変わってきてると思うんですよね。特に企業行動は変化してきたと思います。つぶれるべき会社はつぶれていったし。そういう中で、古臭いニッポン型上司はだんだん相手にされなくなってきていると思いますから。
でも、いまだに古臭いマインドセットを変えられない旧日本型ビジネスマンにたまに遭遇したりすることもあります。そういう時、やっぱり怒りが燃え上がるんですよね。
 やっぱりそれがわたしのエネルギー源になっているのかもしれません。

2005 01 06 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2004.12.25

[週刊!岡本編集長] My favorite things <4>

 さーて、今日は何を書こうかなあ。
 そーだ。今日は、私が好きな外国の街について書こうと思います。と言っても、私はそんなに海外経験が豊富なわけではありません。フィナンシャル ジャパン編集部の部員は、ほとんどの人たちが英語がしゃべれるので、すごいなぁと思います。だけどそれは、日本語の雑誌を作るのにはそんなに役に立つことではないんですけどね。でもまあしゃべれないよりは、しゃとべれた方がいいということはあるわけで。

 そんな私も、2カ月ほどロンドンに住んでいたことがあります。ロンドンといっても、ビクトリア・ステーションから南に電車で20分ほど行ったところにある郊外の街です。ここから毎晩、電車に乗ってロンドン市内に出かけて行って、ミュージカルを見たり、人に会ったりして遊んでいました。97年の暮れの話です。あの時は楽しかったなあ。
 ところでこのロンドンという町、私は好きではありません。町並みが古くて都市計画がなく、道が細くてごみごみしているからです。なんせ古代ローマ時代に作られた船着き場ロンディウムが起源という町ですから、古いのは仕方がないかもしれませんが、都市として立派かどうかというと、どうもそうは思えません。だから私は上海みたいにごみごみしている街もダメなんですよ。
 それと、イギリスが嫌なのは、ヒースロー空港の入国管理官の態度です。あの人あしらいの悪さは、全くひどい。ふざけていると思います。イギリス人は、外国人に来てもらいたくないという姿勢が、入国管理官の態度によく表れていると思います。だから、私はあまりイギリスには行きたくありません。

 で私は、どちらかというとアメリカよりはヨーロッパの方によく遊びに行きます。アメリカで行ったことがある街は、ニューヨークとワシントンしかありません。
 ニューヨークというのは、多くの人にとって魅力に富んだ街でしょう。「行くだけで元気になる」という人もいます。おそらく、この街に住んでZAGATを片手に週末にレストラン巡りをしたり、パーティーに行ったりするようなディープな楽しみ方をしている人にとっては(それとお金を持っている人にとっては)、こんなに楽しいところは世界中にないかもしれません。
 私の場合は、単なる観光客として2回行っただけです。最初に行ったのが96年の暮れのことでした。この時、観光客が見て回るようなたいがいのところは行ってしまいましたね。例えばメトロポリタン美術館とか、自然史博物館とか、グッゲンハイム美術館とかMOMAとか5番街とか。それでその翌年のやっぱり暮れにニューヨークに行ったんですが、この時はさっぱり面白くありませんでした。見たいと思うものがないということと、日本は景気が最悪で山一證券がつぶれたり拓銀がつぶれたりしているのに、ニューヨークはとっても景気が良くて、その落差が嫌だったんですよ。 でも友達があちこち連れていってくれて、ウエストポイントなんかに遊びに行ったのは面白かったです。
 そうそう、そういうわけなので、タイムズスクエアの年越しのカウントダウンは、2年連続で見ました。感想としては、寒かったです。
 ワシントンは、200年前の都市計画で作られた街ですが、現在でもちっとも窮屈さを感じさせない、素晴らしい街だと思います。スミソニアン博物館は、全部見て回ろうと思ったら何カ月もかかるでしょう。とっても面白いところですね。
 国際機関も多いし、ここに駐在するのは、非常によいだろうと思います。

 ヨーロッパに戻って、やっぱり日本人のおのぼりさんが好きなのは、「パネルクイズアタック25」で目指すことになっているパリでしょう。ここはやっぱり、世界の首都という感じがしますよね。最初に行ったのは、91年でした。この時はほとんど英語が通じなかったし、やな感じでしたが、その後、97年に遊びに行ったら、すっかり印象が変わりました。
 そもそもロンドンからユーロスターに乗って行ったのですが、食べ物があまりにもイギリスと違うので、それで私の印象はとっても良くなったのだと思います。牡蛎のシーズンだったし。
 でも私は、モンマルトルやらオランジェリー美術館にはまだ行ったことがありません。もう1度ぐらい遊びに行っておいしいフランス料理を食べてみたいと思います。

 それとどうしてもよく行ってしまうのは、ウィーンです。この街の中心部は、ハプスブルグ時代に整備された美しい景観を保っています。当時は人口約140万人だったのですが、現在は120万人と減少しています。世界の国の首都で、最盛期よりも人口が減少して、なお首都として存続している街というのは、ウィーンしかないと聞いたことがあります。93年に最初にウィーンに行った時にとても驚いたことは、地下鉄のエスカレーターが、必ず地上まで設置されていたということです。そして老夫婦が、仲良く手をつないで散歩していたりします。これは当時の日本では考えられなかったことです。今でこそ必死になって「バリアフリー」と唱えながらエスカレータやエレベーターの設置工事をしていますが、10年間の日本では、駅や地下鉄のホームにエスカレーターはあまりなかったということなんですね。
 ウィーンでの楽しみは、ハプスブルグ帝国が収集した品を中心にしている美術館や博物館を巡ること、ハンガリーやドイツ、イタリアの影響を受けた料理を楽しむこと。デーメルやザッハーといったカフェで甘いものを食べながらコーヒーを飲むという楽しみもあります。
 しかしなんといっても、ウィーンは音楽の中心地です。オペラ座では毎日違う演目をやっているから、滞在中毎日通っても違う出し物を見ることができますし、ウィーン・フィルの演奏を聴くことができるのも、何とも言えない楽しみと言えるでしょう。この街には今後も通ってしまうと思います。

 だけど、私が一番好きな街は、なんと言ってもローマです。アン王女の言うとおりです。といっても、べつに私には「ローマの休日」のようなロマンスがあったわけではございません、ハイ。
 だけどローマは、まさに永遠の都であり、世界の他のどの街とも違う特別な街だと私は思っていいます。
 その要因を分かりやすく並べてみると……
 まず古代ローマの魅力があります。ローマはギリシャ文化の影響を受けて、ヨーロッパ全土を支配し、現在のヨーロッパの基礎を作った国です。その体制は、徹底した合理主義に貫かれていたと思います。「近代的」という言葉が、合理性を多く含意するならば、まさにその近代性はローマに由来するものなのです。例えば法律による支配、巨大な建造物をつくる建築構造、機動的な軍隊の制度などはローマが普及させたものでしょう。4世紀初頭には、首都ローマの人口は100万人を超えていました。人類の文明が到達したひとつのピークであったと言えると思います。そしてフォロ・ロマーノに行けば、当時の世界の中心地に今でも立つことができます。これは本当に素晴らしいことだと思います。カエサルが荼毘にふされた場所や、アントニーが演説をした論壇を目にすることができるのです。
 2番目は、ルネサンスを受けてバロック文化が花開いたこと。カソリックの総本山として、ドイツをはじめとするヨーロッパ各地から収奪した富を活かし、街並みを変え(最初の近代的都市計画ですよ)、多くの芸術品をつくり出したわけですが、現在でもそうしたバロック美術の精華を、教会や美術館で楽しむことができます。街を歩いているだけでも、ベルニーニの作った素晴らしい噴水をいくつも目にすることができます。
 昼間は人類がどのようにして文化をつくり出し、育ててきたかについて考えながら観光地を回るわけですが、夜になったら、今度はイタめし三昧です。イタリア料理は、何を食べてもおいしい。ピザを食べたいと思えば、ちょっと足を延ばして、ナポリにいけばいいわけだし、そうそう、この前とってもうまいローマにあるナポリ風ピザの店を教えてもらったんですよ。ここは確かにうまかったです。
 ローマは、この先いずれ、一度は住んでみたいと思う街です。冬だって、あったかいし。この街は私にとっては尽きせぬ魅力のある街なのです。

 と、偉そうなことを言ってみますが、そんなにたいして海外に行ったことはないんですけどね。
 海外に行くとうれしくなって、冗長な旅行記を書いたりしています。ご興味のある方は、私の個人サイト「日本のカイシャ、いかがなものか!」の中に、旅行記を掲示してあるページがありますから、ご覧になってください。

 あと前回のこのコーナーにいただいたNEW LETTERさんのトラックバックですが、もしそう思われるのなら、わたしのサイトの中のこのコーナーを読んでみてください。世の中には、そうは思っていない人もいるわけで、面白いですよ。
では今回はこんなところで。

2004 12 25 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2004.12.18

[週刊!岡本編集長] My favorite things <3>

 私は20代後半の時は、勉強会おたくだったんですよ。
 なぜ勉強会にこだわっていたか。それは、編集者という商売は、人脈をつくらないとやっていけないからなんですよ。実際のところ、ほとんどの商売は、人脈がなければやっていくことはできません。人脈とは何でしょうか。きっと信用なんでしょうね。だけどそんな深いところまでは、まだ私も考えていません。とにかく、20代後半は一所懸命勉強会を探して行っていました。

 「人脈なんか、出版社に入れば何とかなるだろう」と思われるかもしれませんが、それは私が持っていたのと同じ誤った認識です。
 ブログでの議論を見ていても思うのですが、だいたい多くの皆さんは、メディアとかジャーナリズムに対する過剰な思い入れ、思い込みをお持ちです。
 昨今、ブログはジャーナリズムかという議論があったりしますが、ブログも、大手新聞も、憲法に保障されている表現の自由を担保にしつつ、事実や意見を伝えるという意味においては、全く違いはないのです。立場はまったく同じです。それなのに、「大手の新聞社が出しているから権威がある情報だ」とか、「読むべき値打ちがある」なんて考えるのは、全くばかげたことです。でもそう思い込んでいる人が少なくない。

 たとえ5人しか読んでいないブログでも、そこに書かれていることにだれも今まで気がつかなかったような真実が含まれているのなら、あるいは世の中のためになる知恵が書かれているのであれば、それは読むべき価値があるものでしょう。そしてそれは、数千人の記者が働いて作った朝刊の記事よりも、ある人にとっては値打ちのあるものである可能性もあるわけです。
 だから、ジャーナリズムについて妙に思い入れの激しい議論を読むのは、私はうんざりです。もし「自分が書く文章が日経新聞の論説よりも劣っている」なんてつゆほども思っているのなら、ブログなんかやめたほうがよいのではないでしょうか。そのくらいの根性がなければ、文章を人前に晒すということはできないと私は思うんです(と、でかいことを言ってみる)。

 脱線を戻して、私が勉強会を始めようと思ったきっかけは、あまりにも会社の中に人脈がなかったからなんです。人脈なんて、先輩から自動的に引き継ぐことができるものだと、若かったころの私は考えていました。しかしそれはそうではなかった。会社には何もないのです。
 私は、「このままではやばい」と思いました。というのも、私は大学時代はほとんど友達をつくらなかったからです。大学時代の友人といえば、映画サークルの友人十数人、哲学研究会の友人十数人であり、彼らは私が属していた経済メディアとはほとんどかかわりのない世界の住人となっていました。ではどうすればいいのか。

 そういう不満を口にしていたら、私の上司が、「世の中には勉強会というものがあるよ。参加してみたらどうだい」と勧めてくれました。それで私は、会社の外に出かけて行くようになったわけです。これは当時としては非常に大きな後ろ盾でした。なぜならば、当時の日本企業にとっては、会社の外は異界であり、出ていってはならない世界だったからです。殆ど幼稚園の子供に、親が「お外は怖いから出て行ってはなりません」と言っているようなものでした。
 そこで背中を押してくれた上司には感謝しています。とにかくいろんな集まりに出掛けていきました。中には新興宗教の集まりまであって、いろいろ話を聞いていくうちに、「これは宗教じゃないか」と、ほうほうの態で逃げ出したということすらありました。

 そんなことをしているうちに、気の合う先輩を見つけて、「一緒に勉強会をやろう」ということになりました。ここで言う勉強会というのは、会社が終わった後7時ぐらいから集まって、誰か有名な講師の人に来ていただいて1時間ほどお話しいただき、質疑応答をするという、まさに勉強会です。2次会の方が面白かったりするんですけどね。そのうちのひとつがB&Bという勉強会です。1990年から始まって、98年までの間、私も4人の幹事のうちの1人として参加し、自分を磨く場にさせてもらいました。B&Bの場合は、お茶の水を開催場所にして、ほぼ月例で、100回近く開催しました。
 勉強会というのは、外に出かけていって参加するよりも、自分で運営した方が絶対に得ですよ。どうしてかというと、入ってくる情報の量が全然違うからです。講師と交渉をするのも幹事の仕事だし、会員の情報を集約するのも幹事の仕事ですから、ただの参加者とは情報収集の効率が全然違います。

 では勉強会において、何が一番よかったか。それは実は、同年代の面白い人間に数多く会うことができたということだと思います。その中には、終生の友となるであろう人間も含まれます。実のある異業種人脈をつくるための手段は、留学や海外駐在以外では勉強会が一番良いのではないかとすら思えてなりません。
 日本は広いように見えて、実は同世代というのはそんなに数は多くないのではないでしょうか。これは地方にいる方には申し訳ないのですが、東京にいて、頑張っている同世代の人たちは、何年かそういうネットワーキングをやっていれば、かなりカバーすることができると思います。これが面白いところです。参加者の中で起業に成功したり、有名になったりする人が出てくるので、世の中の外延を感覚的につかむことができます。

 ところがこれができるのは、せいぜい30代前半までの間だと思うんです。それ以後は、みんな仕事が忙しくなってくるし、年をとってから知り合ってもなかなかは刎頚の友というわけにいきません。私自身は月刊プレジデントの編集をやっていたので、勉強会なんかやらなくても自分の会いたい人には名刺1枚で会いに行けるという状況ができていました。そういう意味で、自分自身にとっての勉強会運営のメリットがどんどん少なくなっていったのです。
 もうひとつは、勉強会を長く続けてくると、会社を起こして成功したり、企業の中で偉くなったり、いろいろなパターンの人がいて昔のように単なる仲間という関係を維持することができなくなってきます。そうすると勉強会の大きさ自体が、手かせ足かせになってしまうという限界にぶち当たるわけです。
 そういうわけで、私は98年くらいに、B&Bの幹事を降りることになった次第です。しかし、私にとって勉強会を通して培ったものは、自分の人生の基盤として非常に大きなものがあったと認識していますし、この勉強会にかかわったすべての皆さんに感謝を申し上げたいと思います。

 おかしなもので、この私が運営にかかわっていたB&Bと、全く同じ名前のB&Bの会という会合を、自殺した政治家の新井将敬さんが運営されていたそうです。私は新井将敬さんと一面識もありませんが、なぜか私がこの新井さんがやっていたB&Bの世話人をやっていたとネット上で書いていらっしゃる方がいるようです(すでに訂正されています)。新井さんの会の運営方針は私にはわかりませんが、私の方のB&Bは彼の会とはまったく無関係であるということを申し上げておきたいと思います。

 なんせ、この勉強会B&Bにかけた8年間の労力は大変なものでしたし、関係者も数百人に上りますから、混同のないようにはっきり申し上げておきたいと思います。いまはそういう会の運営からは遠ざかっているのですが、そのうちまた復活させるかもしれませんね。

2004 12 18 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2004.12.11

[週刊!岡本編集長] My favorite things <2>

 さて、次に私の好きなものといえば、映画を挙げることができるかもしれません。私はひょっとすると某大手映画会社に就職していたかもしれないのです。でも雑誌社へ入っちゃったんだけど。大学時代は映画のサークルにいて、映画三昧の生活を送っていました。一番よく観た月には、40本観ていましたね。たしかあれは、大学3年生の前期試験の時でした。勉強なんかしたくありませんからね。

 しかし、大学を卒業してからは、パッタリと観なくなりました。ですから、私の映画体験は今から20年前で終わっているということになります。
 そういうわけなので、私が好きな映画ベストスリーを挙げるとするならば、以前にお話したフェリーニの「8 1/2」。フェリーニの「甘い生活」や「アマルコルド」も捨てがたいものがあります。フェリーニは一番好きな映画監督です。例えば「フェリーニのローマ」、すばらしいです。「悪魔の首飾り」(「世にも怪奇な物語」の中のフェリーニの担当したシーン)で、ワンカット移動撮影で見せる場面など、忘れることができません。
 そういえば、以前トラックバックをいただいた方が、「私はサテリコンが好き」と書かれていましたが、あれはイタリアのテレビ局が作った十数時間のテレビ番組が本編であって、映画として公開されたものはその抜粋であったと私は記憶しています。日本でも本編の方を通しで見る機会があったんでしょうか。私も見たいです。
 それからビスコンティの一本となると、「山猫」になるでしょうか、あるいは「ルードヴィッヒ」になるでしょうか。「地獄に落ちた勇者ども」もよかったし、「べニスに死す」、いやいやブルックナーの7番が音楽として非常に印象的だった「夏の嵐」も見逃すことはできないかもしれません。早稲田松竹の最前列で、「山猫」と「夏の嵐」という地獄のような二本立てを見た大学1年の秋の記憶は忘れることができません。「山猫」では舞踏会のシーンが40分間も続きます。それを早稲田松竹の首が痛くなる最前席で観た時にはすっかり目が回ってしまいました。

 そして私は、はっきりと申しあげましょう、フランス映画は大嫌いです。特にゴダール。観ていないわけではありません。しかし2度と観たいと思いません。ここまではっきりと人前で言うことができれば、爽快な気分になりますな。
 さりながら、「天井桟敷の人々」、これは大傑作だと思います。忘れもしません、早稲田郵便局の2階にあるACTミニシアター。ここで初めて見たときに、見終わった後何も感じなかったのですが、その後学校に向かう道すがら、なぜか思い出して心の中で泣けてきた記憶は鮮明に覚えています。まったくもってすごい映画です。

 しかし、そんなことが言いたくて、今回この原稿を書いているわけではありません。私が、このまったく私物化したブログの上で、はっきりと宣言したいことは、私は黒澤明が好きだということです。
 考えてみれば某大手映画会社にも、黒澤をほめあげて目に留めてもらったのでした。

 そして私はここで、さらにはっきりと言いたいと思います。世の中で「黒澤が好きだ」と言っている人の中で、「生きる」が好きと言ってる人が少なくありません。高校時代の倫理社会の副読本にも、「この映画が良い」という話が載っていました。しかし私はこの映画はそんなに好きではありません。よく言われるところの、黒澤ヒューマニズムの頂点だということはわかります。だけど、私はアンチヒューマニズムなので、この映画はあまり評価しません。むしろその後の黒澤明の展開の面白さ(映像作品としての質の高さ)を考えれば、この映画にそんなに高い点数を上げる必要はないと思います。
 同様に、「七人の侍」も、脚本の面白さは認めましょう。カメラワークもすばらしいです。だけど、あれをスタンダードサイズでやられても限界がある。その後のシネスコサイズの黒澤の世界を知っているのなら、そこまで高い点数を上げる必要はないのではないでしょうか、と私は声高に主張したい。

 私が、個人的に一番好きなのは、やっぱり昭和30年代に入ってからの黒澤作品です。「隠し砦の三悪人」「悪い奴ほどよく眠る」「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」、これら作品は、映画史、いや人類史に残る素晴らしさを持っていると思います。
 例えば「天国と地獄」の前半の、女性靴メーカーの経営者の家(この設定には破たんがあると思いますが)の応接間のシーンで、誘拐犯人からの電話を三船敏郎が受けるシーンなど、その緊張感を生み出す演出の冴えは、恐ろしいほどのものがあると思います。まさに天才です。「椿三十郎」はエンタテイメント性が強いために、あまり高い評価を受けていないみたいですが、あの人物配置やカメラワークは、完璧だといって過言ではないと思います。まったくもって素晴らしい。そしてその頂点を極めた映画が「赤ひげ」だと言ってもよいのではないでしょうか。
 そりや確かに、学生ですから本を先に読んで映画を見に来ますよ。頭でっかちで知識先行かもしれない。だけど、新宿の映画館で「赤ひげ」のリバイバルを見たときの感動は、何物にも代えがたいものがあったと思います。その後に池袋文芸座でオールナイトでやった時にも見に行きました。確か、「虎の尾を踏む男達」と「白痴」との3本立てだったと思います。
 リバイバルの時のプログラムに、黒澤の言葉で、「観客が席を立つときにすがすがしい気持ちで立てるようなに映画を作りたい」といったような意味のことが書いてあったと思うのですが、まさにこの長い長い映画を観た後に、私たちはすがすがしい気持ちで席を立つことができる、そんなすばらしいプレゼントを黒澤はわれわれにもたらしてくれたのだと思います。
 そのために、彼はあらゆるテクニックをこの映画の中につぎ込んでいます。それをいちいち指摘するのは野暮だと思いますが、本当に観る値打ちがある映画として万人にこの映画を薦めることができると思います。このレベルからしたら、宮崎駿なんかお笑いですよ(ただし「千と千尋」のイマジネーション力には瞠目させられましたが)。

 そして、さらにはっきり申し上げましょう、「トラトラトラ!」の日本側監督の話がだめになり、自殺未遂をした後の黒澤の映画は、それ以前のものとは全く違うものになってしまったと私は思います。だから一応観ることは観ていますが、くり返してみたいと思うものではありませんね。

 ところで黒澤は、「どん底」や「白痴」を映画化していることから明らかなように、ドストエフスキーの影響を極めて強く受けています。例えば、「赤ひげ」の中の、加山雄三と二木てるみの掛け合いのシーン(「おとよ」のエピソードですね)は、明らかに「カラマーゾフの兄弟」からのパクリです。黒澤ヒューマニズムは、あの時代の多くの人がそうであったように、ドストエフスキーの完全な影響下にあると思います。
 そこで、次回は、ドストエフスキーについて語るか、あるいは、私の大好きな映画「ゴッドファーザー」について語るか、今のところ全然決めておりません。

 そう言えば「赤ひげ」の中の、死にかけている子供(長坊)の魂を呼び戻すために、小石川療養所のおばさんたちが、井戸の奥に向かって長坊の名前を呼びかけるシーンは、ディズニーの「白雪姫」のパクリではないかと私には思えてなりません。

 あと以前、[知的体育会系フリーエージェントの実践記録 から]さんが、ヘンリー5世について書かれていましたが、私はあのシェークスピアの作品は映画で見ています。ローレンス・オリビエじゃないほうです。
 そういうわけなので、とにかくこのコーナーは私が好きなことばかりくっちゃべるコーナーなのでした。

 あー、すっきりした。

2004 12 11 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2004.12.04

[週刊!岡本編集長] My favorite things <1>

 ちわーっす。
 今日からこのコーナーは、私が好きなことを描書き散らすコーナーになりました(前からそうだったような気がしますが)。まあ土曜日だから、まじめな話をしていてもしょうがないでしょう。気楽にいきましょう。
 雑誌に関することが読みたい人は、フィナンシャル ジャパンオンラインの編集長日記か、木村剛のメールマガジンをご覧ください。

 そこで、きょうさっそくお話ししたいのは、私が好きなテレビ番組について。
 私が毎週欠かさず録画してでも見る番組は2つです。
 ひとつはスタートレックですね。そう、私はトレッキーなのです。よく、折り畳み式携帯電話を開いて、「カークよりエンタープライズ、3名転送」と言ったり、エレベーターに乗ったときに、行き先を「バーラウンジへ」と告げたりします(嘘です。それじゃかなり危ない人です)。
 スタートレックは1960年代の後半につくられたSFテレビ番組で、エンタープライズ号という宇宙船が宇宙を飛び回り、そこでいろいろな発見をしたり宇宙人と接触するさまを描くという内容なんですが、非常に人気が高かったため、1980年代後半に時代設定を数百年後にずらして「ネクストジェネレーション」という新シリーズが始まり、これもまたウケたために、その後の時代の話の新シリーズにつながっているばかりでなく、宇宙のほかの場所を舞台としたシリーズや、はたまた番組の中で人気の出た宇宙人を主人公にしたシリーズまで始まっているという、恐ろしいほどの広がりを持った番組なのです。
 私がこれにはまるきっかけになったのは、最初のシリーズよりは、「ネクストジェネレーション」の最初のころだったように思います。
 最初のシリーズでは、主人公であるカーク船長が宇宙中を飛び回ってわざわざ惑星に降りていき、何でもかんでも自分で探検してトラブルと格闘していました。しかしこれが次のシリーズでは、ピカード艦長(ハゲ船長ですね)はどっしり構えていて、自分では上陸しません。副長以下のスタッフが、手足となって動くわけで、これは現実の組織のマネジメントに近いというリアリティーがあります。おそらくこの当時のスタッフは、軍隊のマネジメント経験をテーマとしてドラマに盛り込んでいて、それが非常に面白かったことから私ははまっていったんではないのかなと思う次第です。実際、「スタートレックからマネジメントを学ぶ」というたぐいの本が、数冊出ていて、そのうちの1冊はダイヤモンド社から翻訳されています(でもあんまり面白くないです)。
 それとすごいのは、新しいシリーズなのですが、「スタートレック・エンタープライズ」というのがあるんですね。これはなんと、最初のスタートレックから過去さかのぼって、21世紀に人類が初めてワープ航法可能な宇宙船をつくって 宇宙に乗り出す時の苦労話を描いているわけです。
 まるで、未開拓の西部を探検していくようなワクワクする話で、スタートレックのフロンティア精神というテーマ性がより強く発揮されていて、「これはアメリカ人は好きそうだな」と思わせられます。私自身も、寅さんやサザエさんのように同じ人たちの間で完結する話でなく、次々と新しい相手や、想像もしなかったような出来事にぶつかるようなドラマの方が好きなんです。

 もうひとつず欠かさず見ているテレビ番組は、「ザ・ホワイトハウス」のシリーズです。いま「ザ・ホワイトハウス3」をやってますね。これは架空のアメリカ大統領と、大統領を支える広報スタッフの日常を描いたドラマで、相当に面白いです。たとえ原作者が麻薬で捕まったことがあるとしても面白い。
特徴としては、描き込まれている情報量が非常に多いということがあります。ですから、アメリカの政治で何がテーマになっているのか、国際的な問題で重視されていることは何か、選挙の支持基盤を確保をするうえで重視していることは何なのかといった価値観がよく伝わってきます。
政治ですから、力関係と打算の上で動くわけで、そうしたぎりぎりの価値判断がリアルに描き込まれています。さりながら、そうした政治的判断の下のさらに深いところには、「自分たちが人間であり、社会を自らコントロールしていくためには、このような存在であるべきだ」という価値観の存在を感じさせます。そこが非常な魅力になっている。
 主人公である架空の大統領は、ノーベル経済学賞をもらったことがあるというインテリで(実際のアメリカ大統領は、博士号を持っているのはウッドロー・ウィルソンだけなのですが)、歴史とラテン語に通用しています。そういう人物設定なので、そうした理念を言葉としても伝えやすいし、またそれが重要な判断としてアメリカ国家の行動として反映される重みを感じさせてくれるものです。非常に質の高いドラマだと評価できるでしょう。

 この2つのドラマ以外は、テレビはあまり見ません。
 てゆーか、ここのところまったく見る時間がなくなりました。しくしく
 次回も好きなことを書かせていただきます。ではー

2004 12 04 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2004.11.23

[週刊!岡本編集長] 「フィナンシャル ジャパン」のビジュアルに迫る

 「フィナンシャル ジャパン」の設計において、私が非常に重視したのは、いかにして品格のある誌面を作るかということだった。
 かつて日本のどのビジネス誌が持つことがなかった品位と品格を、本物を知る読者のところに届けるのが、「フィナンシャル ジャパン」のひとつの重要な役割だと考えたからである。

 そこで体裁としては、まず上質紙を使用することにした。女性誌は別として、ほとんどの雑誌は中質紙を使用している。紙の質は、写真の表現力にストレートに反映する。だから上質紙を使用することが望ましい。しかし良い紙はコストに反映する。そこを腹をくくって、「フィナンシャル ジャパン」は最高の紙質で勝負することにした。
 次に、判型をどうするかという問題がある。普通の雑誌は、A4判変形という形をとっている。大概は、A4の上下を短くした形である。少し横長の方が一般的に雑誌らしく見えるからである。私はこれを、A4正寸とすることにした。皆さんには、「フィナンシャル ジャパン」は、他の雑誌よりも縦長のイメージがあるかもしれない。その分、迫力のある写真のスペースが広く取れることになる。

 そこで問題は、写真自体をどうするかということになる。私の考えでは、「フィナンシャル ジャパン」の特集の狙いは、経営者の生の声を、ストレートに読者に届けることにある。そうすると、写真もイメージ写真などではなく、紹介する経営者の人間像を最もよく伝える人物写真が望ましい。どのようなスタイルにするか木継アートディレクターと協議を重ねた結果、これまでのビジネス雑誌とは全く違った、「空気」の存在を感じさせるポートレートで、特集によっていろいろな写真のテイストを試していこうということになった。
 創刊号から始まった「フィナンシャル ジャパン」の独特のビジュアルのテイストは、今度の2号目でさらに展開を見せていることにお気づきいただけると思う。特に今回は、わざわざパリにまでカメラマンと編集者を派遣して撮影した市川団十郎のグラビアが巻頭に12ページ載っているので、さらに独特のテイストが味わっていただけると思う。これを撮影した若木信吾さんは、常に人気若手のカメラマンの先頭を行く気鋭のアーチストである。次号以降も、いろいろな撮影をお願いすることになっている。
 それから4ページ取っている第1特集の扉にもご注目いただきたい。いままでこんな渋い雑誌の扉ページがあっただろうか。大御所・十文字美信さんの侘び寂びを極めたイントロダクションは、小誌の見せ場の一つである。創刊号では、なんとこの扉ページの色校正を3回も取っているのだ。前代未聞のことである!

 ここまでデザイナーといろいろ話し合いながら誌面の設計を考えてくると、「もう、行けるところまで行ってやろう」というノリになってくる。そこで3号目以降は、さらにすごい仕掛けをいろいろと準備している。ここまでビジュアルに凝ったビジネス雑誌は過去には存在しなかった。業界の誰もついて来れない雑誌、それが「フィナンシャル ジャパン」である。もはやライバルがいないという領域に、「フィナンシャル ジャパン」は突入しつつある。
 以前、日本版『WIRED』で辣腕を振っていた鬼才、木継アートディレクターが「フィナンシャル ジャパン」の誌面をどのように彩るか、ぜひご期待いただきたい。

 てゆーか、編集長としては木継アートディレクターの奴隷状態なのですが……しくしく。

2004 11 23 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2004.11.16

[週刊!岡本編集長] ナレッジはいかにして蓄積されるか

 「フィナンシャル ジャパン」の発行会社であるナレッジフォアは、ナレッジを生み出す会社である。
 しかして、このナレッジなるものはいかに生み出されてくるのか。この「知識創造プロセス」分野の泰斗はピーター・センゲ、あるいは私もずいぶんお世話になっている野中郁次郎先生ということになるのだろうが、そんな先生方のむつかしい本を読まなくても、「フィナンシャル ジャパン」編集部にいると知識創造のプロセスが実感できる。

 最初はゼロである。
 「光ありき」? ではその光は木村剛がもたらしたものであろう。
 で、「雑誌を作ろう」ということでお金を集める、人を集める、お膳立てを整える、たいへんな苦労の末に編集部を立ち上げて、キックオフした後から知識創造のプロセスはスタートする。

 でもやっぱりゼロからのスタートだ。私はまず、「フィナンシャル ジャパン」のブランド・アイデンティティの議論を1カ月かけて行い全員で共有した。なぜなら、ブランドは読者へのプレゼンテーションがどのように受け入れられるかについての指針であり、読者にとって、広告主にとって、あるいは編集側自身にとっての「FJとはなにか」の問いに回答を与えるものであって、雑誌編集を通してのブランド作りこそ雑誌作りの肝ともいえるものだからである。
 そこから、望ましいアイデンティティに沿った体裁を考え、企画を立案する。
 しかしアイデアが浮かばないこともある。あるいは「こういう企画をやりたい」と思っても、どこにアプローチしたらよいのかわからない、どうすれば企画が実現するのかわからないケースもある。資源とナレッジが不足しているからである。

 創刊準備号は、そうした過程の中で苦しみながら生み出されたものだ。ブランド・アイデンティティからは外れてはいないが、やはりどことなく物足りなさを感じられた方も少なくないだろう。
 その後、準備の過程のリサーチでお目にかかった方や、外部の協力者からの情報がどんどん蓄積されてくる。FJを見て「おもしろい! こんな人を紹介してあげよう」といってくださる方のご紹介はほんとうにありがたい。
 また、新しい編集部員を採用して、人脈や知恵が加わる。さらに部員が取材経験や編集経験を積むことで、新しい切り口を見つけたり、斬新なネタの出し方、よい企画の立案方法を発見する。ページデザインや写真の撮り方も、写真家やアートディレクターの指導によって上達してくる。
 まさに「ナレッジとは蓄積されるもの」だと実感できる。続ければ続けるほど、新規の資源が獲得され、経験度数が上がり、その情報がミーティングやITによる情報共有で個人の知識に落とし込まれ、そこで再生産されたナレッジが誌面に反映されて、雑誌のクオリティが向上するという循環である。

 では、そのサイクルの原動力となっているものはなんだろうか。
 私は、「判断に困ったら、読者の立場になって考えろ」と言っている。「その次に、われわれを取り巻く環境やライバル誌のことを考えろ」。これ以外の判断要素はないかもしれない。
 つまり、「FJを読む読者に最高のものを届けたい、読者に雑誌を見てもらって喜んで欲しい」という姿勢以外に、知識創造のサイクルを最大化する原動力はないということなのである。
 それを忘れてしまったら、われわれの使命は失われたことになるし、ナレッジの進化が止まるので媒体が自然に競争力を失っていくだろう。

 世にあるものは、すべてあるべくしてある。自然の摂理に逆らって、どのような主体も存立し得ないのは、かくなる原理のなせる技なのだと思う。

2004 11 16 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2004.11.09

[週刊!岡本編集長] ミュージカル「ナイン」を観た

某月某日
 天王洲のアートスフィアで、ミュージカル「ナイン」を観た(14日まで)。これはフェリーニの「8 1/2」をブロードウェイでミュージカルに翻案したものだが、まさかこれが観られる日が来るとは思わなかった。

 「8 1/2」は私の中でベストワンの映画だ。この映画を1983年の最初のリバイバルで観たときの興奮は、今でもおぼえている。だいたい「8 1/2」とか「甘い生活」が好きな奴は、腐れ編集者や売れない物書きになるものである。

 舞台はヴェネチアにあるという設定のスパ(そんなの実在しないだろう)。映画監督の主人公が新作のアイデアができなくて困っている。その彼を取り巻く女性関係と、彼の幼児体験が描かれる。フェリーニの卓抜した人物造形が映画のえもいわれぬ魅力なのだが、舞台でもほぼそのままパクっているのでわかりやすい(プロデューサーや批評家を女性にするという改変はあるが)。

 第1幕は、映画の登場人物やエピソードをかなりうまく表現している(サラギーナの挿話だけはどうしても私は気に入らない)。舞台装置もよくできている。第2幕は、フェリーニが映画の中では大胆に省略した、ごたごたした感情表現をくどくど説明している。そうしないとミュージカルにならなかったのだろうが、逆にここを描かなかったのが映画のすばらしさだと知らされる。映画の「人生は祭だ」というフィナーレも舞台では中途半端になってるし。音楽にしても、ニーノ・ロータの名曲と比較されるのだからたまらない。
 しかし、「8 1/2」は観るたびにインスピレーションを与えてくれる驚異的な映画であり、これを観て「なにか創りたい!」と考えたクリエイターの気持ちは痛いほどわかる。

 それと、おそらくこの映画のテーマの魅力を、ズバリと指摘する批評を書くことほど難しいことはないだろう。壮年の男性の女性観や仕事観をざっくりと、かつ狂騒的に、見事に切り取っているからである。「言葉にできないこと」というより「しにくいこと」を映像とモンタージュで見る者の前にどさっと投げ出すのが「8 1/2」の凄さだと思う。観る側としては「そうだよなあ」「わかるよなあ」としか言えない。そういう究極の表現にミュージカルがどれだけ迫れるか。やや不満は残るものの、意欲的な挑戦だと思う。

 やっぱりフェリーニは天才だ。

 ところで、前回いただいたギルゴア大佐からのトラックバックで、私が以前書いた本『ネット起業! あのバカにやらせてみよう』(文芸春秋刊)からの引用をご紹介いただいた。ネットベンチャーの若者たちの軌跡を描いたノンフィクションである。これなんかまさに「8 1/2」的なおもしろさをこめたつもりなのだ。新しいビジネスを創ろうとする者たちの情熱、行動力、懊悩、矛盾、混沌の中から何かが生み出されてくる様、偶然と必然のない交ぜになった論理を超えた世界、まさに「ベンチャーは祭りだ」
 この本の中で、「事実を持って語らせる」ノンフィクションの王道から外れて、筆者が語ってしまっている恥ずかしい部分がある。
そ れが、ギルゴア大佐にご引用いただいた部分なのである。いや~、恐れ入りました。


2004 11 09 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2004.11.02

[週刊!岡本編集長] 鬼の目に涙

 10月21日、フィナンシャル ジャパン創刊号が発売された。書店を回って帰ってきて、「その場にいる編集部員だけでシャンペンを開けて祝おう」ということになった。もちろんみんな忙しいので、その場にいない人もいるのだが、全員そろうのを待っていたら来年になっても乾杯できないかもしれない。そこでいない人には申し訳ないが、さっさと乾杯を済ませてしまうことにする。

 「じゃあ木村さん、一言ごあいさつをお願いします」と言うと、木村さんはが「まあ今日のところは編集長だね」と固辞されるので、「では私が責任編集の木村さんに代わって一言をごあいさつすることに。この半年間、大変な思いをしてやってきましたが、ついに本日フィナンシャル ジャパンが全国の書店の店頭に並ぶことになりました。素晴らしいことです。われわれは何もないところから始めて、無から有をつくり出したのです」。
 ここまで話したときに、胸にこみ上げるものがあって、つい言葉に詰まってしまった。

 それというのも、私は編集については、まず最初に雑誌のブランド・アイデンティティーを確定し、それに基づいた編集方針を決めて、それに合う企画を立て、取材依頼をしてデザインコンセプトに従って編集制作作業を進めるということを実に淡々とやってきたつもりだったから、自分たちが「今までにないものをゼロから作り上げたんだ」という実感を、この時まで全く持っていなかったからなのである。私は編集については経験があるので、まず戦略を立てて、山を登るように着実に進めてきた結果、増刊号が刷り上ってきても、「よしよし、計算通りにきちんとできているな」というくらいの感想しか持っていなかった。

 しかし一方で私は、「人の仕事の中で一番尊いことは、無から有をつくることだ」と考えている。仕事として最低なのは、前任者が作ったやり方を単純に踏襲するというだけの流れ仕事。これは仕事というよりは作業でしかない。だから「現状を守るのが自分の仕事だ」と単純に信じ込んでいる守旧派の人々は、私に言わせればフリーライダーでしかない。
 多くのビジネスマンにやっていただきたいのは、せめて少なくともよりよい方向に「仕事を変える」ということである。多少の工夫をするだけで、新しい付加価値が生み出される。それができるのが、人間の素晴らしさではないかと私は思っている。だからフィナンシャル ジャパンの創刊号のテーマは変革なのである。

 そしてなによりも望ましい仕事は、いままで世の中になかったものを新たに作るということである。それはすなわち価値を創造しているということなのだから。
 ベンチャービジネスが行っているのは、まさにこれである。たとえ失敗しようとも、リスクを取って自分の作り出した価値を人々に問おうとするベンチャー創業者の意気込みを軽蔑することは私にはできない。そしてベンチャービジネスの提供する価値が多くの人に支持されて成功するのは何よりも素晴らしいことだと思う。それは彼らが、無から有を作り上げることはできたからにほかならない。丸の内や大手町にあるエスタブリッシュメントの大企業でも、最初からそこにあったわけではない。そもそもはベンチャー企業だったのだから。ベンチャーの気概を失ったら、ビジネスマンはおしまいだ。

 ファイナンシャルジャパン創刊号を世の中に問うことができたということは、皆さんに受け入れられるかどうかは別にして、とりあえずわれわれが新しいものを作り上げることができたということだ、無から有に少しでも近づけたのだということに気がついた瞬間、鬼の目に涙が湧いてきた。
 涙は心の汗だ!


2004 11 02 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2004.10.25

[週刊!岡本編集長] トラックバック恐怖症

 私は日替わりの個人サイトを運営してもう5年近くになる。ほとんど惰性で続いている気もするが、それなりに読者の方もいらっしゃるのでありがたい。そんなわけでウェブログとかソーシャルネットワークには縁がないと思っていた。ところがである。

 なんと超有名ブログの中に自分のコーナーができてしまった。誘われてGREEにも参加した(でもって尾花広報部長を引き込んだ)。しかし盲点があった。なんとブログにはトラックバックという機能があるのである。
 これは恐い。サイトだと書きっぱなしで、人が何を言っていようがお構いなしだが、トラックバックは思わず読んでしまう。しかも育ちのよい私としては、「もらったお手紙には必ず返信しなければならない」という強迫観念がある(すみません、見栄はってます)。しかし、いちいち返信するほど編集長という仕事には時間のゆとりがない(というか私は時間の使い方が下手)。

 とりあえず、今までいただいたトラックバックの中で、編集長として答えなければならないものにこの場でお答えしよう。
 まず、体裁について。「でかい、重い、目がちかちかする」というご批判がある。これはFJの求めるハイクオリティの裏返しの特性なので、しばしご寛恕いただきたい。そのうち用紙メーカーと、ハイクオリティかつ軽くて目にやさしくて写真の発色のよいFJ用紙を開発するかも。
 写真について。なんども繰り返しているが、竹中大臣・福井総裁のツーショットは合成写真ではない。
表紙写真の中島さんは、ハリウッド俳優(デ・ニーロとかタランティーノとか)ばかりを撮っている写真家。プロ中のプロである。細部に見落としがあるかもしれないが、肝心な点は決して逃さない。ポートレートとしての完成度の高さをぜひご覧いただきたい。
 2号目の宮内義彦氏の写真も、ぶっ飛びもののすばらしいイメージになっている。乞うご期待。

 それから内容について、多くいただくご批判、「FJは富裕層の読み物であって、自分の読むものではないのではないか」。とんでもない、将来ひとかどの人間となるために必要な要素がFJにはたっぷり盛り込まれているわけであって、大げさな言い方をすれば今後も日本が国際社会において名誉ある地位を占めつづけるためにも、FJをなるべく多くのみなさんにご覧いただきたいと私は思う。まっとうな社会人として、人や資本を動かす立場になる人が絶対に知っておかなければならないエッセンスを、ぜひともFJの誌面からお汲み取りいただきたい。
 「編集部のまとめを入れて欲しい」というご要望もいただいたと思う。これについての私の考え方は、某ニュース番組のキャスターコメントのようなことはしないということ。クロンカイトはアンカーマンを長い間やっていたが、キャスターコメントなど入れなかった(あくまで伝聞です)。コメントなど言わなくても、彼はアンカーマンとして編集権を持っているので、自分で報道するニュースの順番や長さを決めることができた。この姿勢は、FJが目指す正統な態度に近いと思う。
 そのクロンカイトが唯一言ったコメントが「私はベトナム戦争に反対だ」だったわけで、それで世論が大きく動いたのはご存知の通り。そのうち木村剛がなにか言うかもよ。

 というわけで、私はトラックバックが恐い。あとは渋いお茶が一杯恐い。

2004 10 25 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2004.10.19

[週刊!岡本編集長] 合成写真じゃない!

 周到な準備を経ていよいよ創刊される「フィナンシャル ジャパン」。雑誌を創刊するというのは、生半可なことではない。しかも異業種から雑誌出版に進出し、ゼロから雑誌を作って一流ビジネス雑誌と肩を並べよう、いやいや凌駕しようというのだから、たいへんなことである。

 わたしも木村剛から構想をはじめて聞いたときには(去年の春だった)、「まさか冗談だろう」と思っていた。
 その雑誌が明後日、全国書店店頭に並ぶのだ。すごいことだ。
 ところで取材先で創刊号の表紙のダミーを見せると、「竹中さんと福井さんのツーショットですか、よく出来た合成写真ですねえ」とうなずきながら感心された。
 おいおい、ちょっと待ってくれよ、合成写真じゃないんだよう! ちゃんと撮影したんだよう。


某月某日
 4000億円もの今期経常利益を見込んでいるJFEに、江本会長・下垣内社長を訪ねる。この二人が川鉄・NKKの合併を断固として推進し、業界構造を一変させた。
 お二方とも数限りなくインタビューを受けられているが、二人揃って過去を振り返る対談企画というのはFJがはじめてだという。「どうなることか」と思っていたら、飾らないというよりは歯に衣着せないお二人のトークが炸裂して、大爆笑の連続になった。取材でこれほど笑ったのは私も初めてだ。江本会長が飛び込み電話して始まった世紀の合併劇だが、この二人だからこそ成功したのだなと実感した。笑えるけれど、当事者の本音をきちんと踏まえた貴重な記録といえるだろう。編集としては、ご本人たちの肉声の表現をなるべく生かしたまま原稿にするよう留意したつもりである。
 JFEの本社ビルは、鉄鋼をふんだんに使った頑丈な作りなので、「地震の時は外に出るな」と言われているらしい。 「大手町で地震があったら、JFEビルに逃げこもう」とは編集担当の鈴木。

某月某日
 木村剛のアイデアで始まった新景気指数「FJ120」。このアイデアのキレのよさには私も脱帽だ。
 昨年(03年)の秋に、景況感がガラッと変わったことが指数グラフからはっきり看て取れる。そのFJ120だが、今月は当期売り上げは上向いているものの、来期予想はやや下降気味に。
 「この傾きが微妙なんだよなー」と、担当の山本が唸っている。景気はもつのか、それともピークアウトするのか。デフレが続くのかバブルがくるのか、山本の悩みはしばらく続くだろう。

2004 10 19 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2004.10.12

[週刊!岡本編集長] 信越化学工業の金川千尋社長が語る経営の真髄! 

 こんにちは。一週間ぶりのご無沙汰でした。「フィナンシャル ジャパン」創刊号の編集作業は快調に進んで、ほぼ最終段階です。「やればできる!」を実感しております。雑誌製作のプロセスと、編集子の日常の一コマをつづります。

某月某日
 信越化学工業の金川千尋社長、経済同友会の渡邉正太郎副代表幹事のご対談。名経営者の誉れの高い金川社長と、花王にこの人ありといわれた渡邉さんの豪華顔合わせが実現。創刊号第1特集のトップに持ってくるしかない。お忙しいお二人の日程も押さえられてホッと一息ついていたら、渡邉さんが官邸に呼ばれたので、最初の日程がお流れに。冷や冷やしたものの、なんとか実現にこぎ着けた。雑誌の編集で一番しんどいのは、実はこうしたロジスティクスの部分だ。汗をかいたのは編集担当の広瀬。
 対談の司会は木村剛が行う。まさに「経営」を掌中にした名経営者同士の、見事な経営論議になった。編集者冥利に尽きるなあ〜。


某月某日
 フォーシーズンズホテルで、本田健さんに会う。『スイス人銀行家の教え』などのベストセラーで、お金の哲学についての当代の第一人者とも言える本田さん。実は、知り合いの編集者からいろいろと話は聞いていて、「こんな感じの人かな」とイメージはしていたが……。実際お目にかかってみると、溌剌とした目の輝きがあり、人の心をとらえて離さない魅力にあふれた人でした。あの若さで、あの人間力はスゴイかも。優れたマーケティング・マインドを持った方です。その一面、子煩悩なパパだったりする。

某月某日 ゴゴイチ
 「フィナンシャル ジャパン」編集部は霞が関1丁目にある。じつは以前ダイヤモンド社があった地所だ。ドラッカーの『断絶の時代』で儲けたカネで新館を建てたので、「断絶ビル」と呼ばれていたものだ。私はダイヤモンド社の子会社のプレジデント社に12年半いた。印刷会社がダイヤモンドビルの中にあったので、よく出張校正にきていた。
ダイヤモンド社は原宿に移ったが、なぜかやはりこの場所でビジネス雑誌が作られているということは、よほどビジネス出版に縁のある地所なのだろう。
ところでこのあたりはオフィス街なので、いろいろな店がある。昼飯を食べようと歩いていると、夜は焼酎を飲ませるの だが、昼はカレー屋をやって稼いでいる店を見つけた。ここはおもしろくて、セルフサービスで自分でカレーを掬って、1グラム1円の量り売りである。
 「こりゃあいいや」と思って辛口カレーの入った容器を覗き込むと、昼飯時も終わりとあって具がにんじんばかりだ。「ま、にんじんもよかろう」とにんじんを山ほど盛り付けてみたものの、食べているうちに途中で飽きてきた。
これからはもう少し早く行って、にんじん以外の具も食べてみたいものだ。たとえば肉とか……。大戸屋が新開店したから、そっちに行くか……。

2004 10 12 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック

2004.10.05

[週刊!岡本編集長] 竹中大臣、福井総裁とのビッグ座談 

 みなさんこんにちは。
 木村さんと一緒に、10月21日に創刊される月刊誌「フィナンシャル ジャパン」(愛称「FJ」)をつくっている岡本呻也です。えっ、読み方がわからないって? おかもと・しんやと読んでください。尾花広報部長には「直径」で計らないと計れないといわれています。だいたい直径173センチくらいです。なお、体重は「宗教上の理由」で秘密です。
 雑誌をつくって13年、飽きたのでしばらく本を書いて遊んでいたら、旧知の木村さんに誘われて、木村雑誌を世の中に送り出すことになりました。このFJが、どのようにして編集されているのか、私のマル秘編集長日記を、ココログをご覧の皆さんにこっそりお見せしましょう。

某月某日
 日本サッカー協会に川淵三郎キャプテンを訪ねる。ピカピカのすごいビルだ。このビルの上層に、日本サッカー協会が入っている。最上階にキャプテンを訪ねると、応接スペースでイチローの試合をご覧になっていた。「もう少しで大リーグ記録だからね」と言いながらも、観客の入りが気になっているご様子。さすが今期予算131億円の大組織の経営者だ。サッカー音痴の当方の質問に対しても、何発も的確なシュートを放っていただいて、実りの多いインタビューになった。
 てゆうか、盛りだくさん過ぎて全部載せきれないんですけど。川淵さんのかっこいい写真だけでも見る値打ちあります。

某月某日
 巻頭の創刊記念鼎談。恐れ多くも、竹中平蔵内閣府特命担当大臣と福井俊彦日本銀行総裁に、霞が関のオフィスにお越しいただく。定刻より10分早く福井総裁登場。木村剛が「どうもお忙しいところを」とお出迎え。つづいて時間ぎりぎりに竹中大臣登場。さっそく阪神話で盛り上がる大臣と総裁。竹中大臣が西宮球場に通われていたとは知らなかった。話は野球から、新規参入を認めない野球界の話、そして金融界の競争政策の話へと自然に進んでいつしか白熱。こうして巻頭記事ができあがったのだった。
 時計を見るといつのまにか1時間半経過。そこから場所を変えて写真撮影。この様子はFJオンライン担当の神部が撮影させていただいた。FJのプロモーションビデオとして、全国の書店店頭でご覧になる方も少なくないだろう。お話の最中にフラッシュをバシバシ焚いてスチールカメラとビデオでうるさく撮影して、申し訳ありませんでした。でもお二方とも撮影には馴れられていて、まったく動じられなかったのはさすが!

2004 10 05 [21. 週刊!岡本編集長] | 固定リンク | トラックバック